この記事の内容は、仕事の帰り道に喋ったことを取り込んで、それをChatGPTで整えて、僕が校閲してまとめたものだ。
それくらい今日は、急ぎ言葉にしておきたいことがあった。簡単に言うと、仕事におけるトラブルに対する今の自然な思考が、過去に無いリアクションなのだ。
そもそも何が起きたのかを死ぬほど乱暴に言うと、一見仲良さげにやれていたはずの講師と生徒がいるのだが、突然生徒の方から講師の交代希望が出てきたのだ。
温和なトーンではあったが、つまりこれはクレームだ。その不信感を抱く原因になった行為を保護者から聞いたが、なかなかそう思われても仕方がないものが並んでいる。
もちろん本人に、露骨なまでの背信行為をしたという自覚はないとはないと思うのだが、そう思われたのなら仕方のない話だ。
―正直ちょっと前の自分だったら確実に狼狽して、 自責や、ミスに対する恥の感情へのこととかで、頭の中がぐちゃぐちゃになっていたと思う。
しかしやはり、今の自分は、それらとはまた違った不思議な心境だ。なんならちょっと面白いなとさえ思うので、残しておこうと、録音アプリを立ち上げた次第である。
では以下、率直な気持ちを書いていく。
もう悲劇に飽きた。
今の率直な感想を一言で言うと、本当に何も思わない。そういう出来事が起きた、以上。それだけだ。
何ならいちいち落ち込むこととか、恐怖を感じるとか、申し訳なさそうに振る舞うとか、自分を責めるとか、そんなネガティブなメタには、もう飽き飽きしている。
もう、落ち込むのが面倒くさい。ただしこの境地に至ったのは記憶にある限りこれが初めてなので、ちょっと意外というか、面白がっている自分もどこかにいる。
交代させるからには当然別の人間を打診する必要もあるし、交代を食らった講師のフォローも必要になる。そこには色々な自他入り混じった負の感情が乗ってくるだろう。
ただしそれは、もう夜遅いし、明日でいいかと思っている。今日はもう帰路についているんだから、あとは帰って酒を飲んで寝るだけなのだ。
―僕は社内でも、きちんと【豆腐メンタル】だという印象をしっかりもたれている。だからさっきも、僕の心中を慮る電話が、上司から掛かってきた。
「大丈夫か?」とか、「力になれるんだったら言ってくれ」っていう頼もしい電話をもらったわけだが、ぶっちゃけ、別に落ち込んでない。気持ちはありがたいけれど。
・・こうやって愚直に文字にしていくと、「特に何も思わない」という今の心境の解像度が、どんどん上がっていく。さらに具体的にすると、どうなるか。
今、正直に、本当に正直に、思うこと。それはよく考えると、「ウンザリ」ということかもしれない。もちろん生徒とか保護者の方に対してではない。
悲劇か何かの主人公みたいなスタンスにいようとする、自分自身に対してだ。そうやってめそめそする自分に、何ならイライラするくらいである。
この状況はなかなかに興味深い。構図として、感情的なリアクションをしている自分を冷ややかな目で観察している、理性的な自分が居るためだ。
もしかしてこのメンタリティこそが、感情を完全に切り離してて、理性で物事を見てる状態を指すのではないか。いわゆる心が強い人の思考体系に、僕は入れたのか?
正直、今も頭の片隅で、自分のメタがネガティブなことを考えているのは感知している。していながらも、それを自動的にスルーできている状態だ。
観察すればするほど、なかなか不思議なメンタルで、他人事として面白いなと思う。心の成長は、つまり俯瞰とか鈍化とか、そういう言葉で表す方が適切なのかもしれない。
僕は、淡々と現実を受け止めて。冷静に見つめ、判断し、考えて進めていける人達を、本当に凄いと思って、無条件に憧れてきた。なんなら今もそうだ。
ただ仮に、もしその人たちが本に書いていた心境がこれのことを指すんだったら、確かにすごいかもしれないが、想像以上に全然ダイナミックさが無いんだなと思う。
勿論今はこうでも、朝になったら自分のメタが喧しく、ネガティブを掘り返してくるかもしれない。ただそれは起きてからの話であり、今考えることじゃない。
僕が一番苦手としていた納得の形を、今はすごく自然に取れている。なんと穏やかな心境ならんや。
落ち込むこと、自分を責めること、敵意剥き出しの他者を想定すること。そういったものに心底辟易するって、あり得るんだな、と。
個人的には今年一番面白い発見と言っても過言ではない。そんな心境だ。ただ、何がトリガーとなって入れたか解らないので、再現性が無いのが一つの課題である。
今はもう、強い意識として、落ち込みたくない。落ち込めというメタに全力で抗いたい。感情に流されることは、まっぴらごめんだ。
だから、今日は普通に家に帰ってお酒を飲んでぐっすり寝てることだろう。そしてそれでいいのではなかろうか。
平和な心。これが永いこと続かんことを。てことで今日はこの辺で。