精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【ヘッドピンの法則】がようやく理解できた件について。

この冬季講習は、何度愚痴ったか知らないが、マネジメントをしくじったと感じている。死ぬ気で働いたら、僕は覚醒するのではなく、鬱になるだけだとよくわかった。

 

正直、自分がスーパーマンであれば、深い思考など何一つ要らず、全てを脳筋解法でなんとかできる。だが、大体の人間はそうじゃない。だから考えねばならないのだ。

 

からしっかり反省する。僕は具体的に何をマズったのか。一番実感があるのは、僕という人材の使い方を間違えているという感覚だ。

 

ヘンな例え話だが、僕は指導できる科目や深さ、経験などを考えると、スーパーレアくらいの力量は流石にあると思う。

 

だが、いわゆる実働部隊として、例えば中学1年生1人に充てるには、あまりにもオーバースペックなカードだともいえる。本来こういうのは、もっと取っておくべきなのだ。

 

オマケに、自分を場に出すカードとしたせいで、ブレイン不在と言ってもいい状態になてしまった。

 

ただそれはメタファーなので、現実は無茶だろうがそれでブン回す、いわば場に在りながら指示を出すという、とてもわけのわからない体制に今回は陥ってしまった

 

もちろん、事前にしっかりと綿密なプランや作戦を立てておき、それを丁寧にトレースするという設計があれば、その期間はプレイングに集中することも可能だった。

 

が、今回はそもそもの準備自体が後手に回ったため、歪ばかりが生まれてしまい、本当に大変で仕方が無かった。なんなら、無責任だったなぁとも、申し訳なく思う。

 

そうやって自己否定にならないよう振り返りを行っていくと、何故か突然、【ヘッドピンの法則】という言葉が頭に浮かんできた。

 

そして今こそ、その言葉が言わんとすることを汲み取って、意識的に再現するべきときなのではないかと、そう直感するに至っている

 

ということで今日は、冒頭がめちゃ長くなったが、この【ヘッドピンの法則】について語りたいと思う。

 

 

【ヘッドピンの法則】って、なに?


元々この言葉を知ったのは、斎藤一人の人を動かす】という本から、である。

これはどのようにすれば効率的に人を顎で使えるかという意味ではなく、どのように思考・行動すれば、人が動きたくなるような自分になれるかというテーマになっている。

 

その中に書かれたヒントの一つが、【ヘッドピンの法則】なのだ。ちなみにヘッドピンとは、ボウリングの際、先頭に立っているピンのことを指すという。

 

ではこの法則は何を伝えるものなのか。初見の頃、確か10年以上前の僕は、「要は効率よくできる方法を採ろうとか、そういうことか」と考えていた。

 

実際説明の際に使われていた例は、「ピンを10本倒すとして、端っこから一本一本倒していくと10投要るが、真ん中に当てれば1投でいける」といったものだった。

 

だからそういうもんかと僕は浅い理解で満足していたのだが、今はもう少し深い部分に、その真意があるように思う。

 

僕は今、ヘッドピンの法則を忠実に意識し実行していくことで、僕が全てを掌握しなければならないような組織体制を手放せるのではないかと考えている。

 

乱暴にいえば、講師一人一人が自立して働けることで、僕が1から100までレールを敷かずとも、成果に結び付けてくれるような体制が作れるのではないか、というものだ。

 

これは放任・放置・マネジメントの放棄という認識に極めて近いので、しっかり言葉にしておかねばならないが・・・。

 

ただし、似たことは【リーダーの仮面】にも書いてある。だからヘッドピンの法則とは、むしろリーダーにおける基本的な軸たるもの、なのかもしれない。

 

先述の本によれば、働く人間に一番のストレスとなるのは、「何が許されて、何をしたらダメかという線引きがあいまいな状況」だという。これ自体は物凄く同意する。

 

逆に言うと、ここを認知し、仕組みで取り除くことで、ものすごく潤滑に組織が動くことになる。腰痛が起きたとき、痛み自体を消すのではなく、歪みを治すのと似ている。

 

―ここまで書いて、ハッとした。ここでいうヘッドピンの法則とは、つまり【ザ・ゴール】にあった、ボトルネックのことを言っているのではないか

 

円滑なコミュニケーションや作業、授業実施を阻む存在を突き止めたり、あるいは一層のそれを促す制度を整えたり。全てがそこと結びつく気がしている。

 

しんどいということは、僕の周りには大量のバグ、もとい倒れていないヘッドピン、すなわちボトルネックが溢れているということなのだろう。

 

それを取り繕って隠したところで、根っこのバグは消えはしない。生徒数が伸び悩むのも、無駄な疲労が溜まる仕組みになっているのも、原因が他に隠れているとしたら?

 

なるほど。すごく霧が晴れる気分だ。僕は良くも悪くも、現場だけを見て満足するわけにはいかなくなっている。

 

目の前で起きている出来事を俯瞰し、その根っこを考えたり、全体像の中でのそれを見つめたり、視座を高めたり引いたり集中したりする必要があると、よくわかった。

 

斎藤一人氏が平易な言葉や教えに込めたヒントの深さが、一層身に染みて解った瞬間であった。

 

では、僕がまだ倒していないヘッドピンは何か。しっかりと観察を深め、組織作りに役立てていきたいと思う。

 

では今日はこの辺で。

 

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