精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

ずっとイライラして不調なときに、どう自分を中立へ引き戻すか。

なるべく好奇心を持って観察しようとは努めているのだが、今日ははっきり言ってメンタルの調子が滅茶苦茶悪い。ただし、別に鬱というわけでもない。

 

まず、起きてから何故かずっと、滅茶苦茶イライラしている。起きてもいないトラブルを想定してカリカリし、ムカつく言動を思い出しては勝手にストレスを感じている。

 

それだけじゃなく、集中力も今日はまるで深まっていかず、アイデアを出したいのに思考は散漫で、些細な刺激で簡単に気が散ってストレスがどんどん溜まっていく

 

正直、早く仕事を切って、とっとと酒を飲んで寝て、今日という1日を終わらせたくて仕方ない。何が原因かは心当たりがないのだが、それだけに性質が悪い。

 

さて。こうやって精神的に不調なときは、普通に起こりえる現象だと思う。睡眠や食べたもの、前日の過ごし方の組み合わせ次第では、いつ起きてもおかしくないのだ。

 

そういうときは、一体どういう心構えで切り抜ければいいのか。今日はそんな、不調時だからこそ思い巡らせることができるテーマを、考えてみたく思う。

 

 

「イライラ」の一般論とは?

 

「苛立ち」を客観視するため、まずは一般論を並べて、その解像度を高めておきたい。まず、苛立ちを強めた「怒り」の説明には、大抵こう書いてある。

 

怒りは、大事なものが脅かされたときに沸き起こる感情

 

苛立ちは怒りと似ている。だからここを起点とすればいいのではないか。表面的にはそんな納得をすぐに得られた。

 

―ただ色々調べていくと、例えばハーバード大学の分類では、「怒り」と「イライラ」は異なるものとして定義されており、同一線上に考えることは微妙という感想を持つ。

froggy.smbcnikko.co.jp

 

つまり英語圏においては、この2つの言葉は似て非なるものなのだろう。こういうときは英英辞書を引くに限る。

 

すると、「イライラ」を意味する「irritation」に、結構面白い定義・説明が書かれていたのに気が付いた。

 

the feeling of being annoyed about something, especially something that happens repeatedly or for a long time

 

何かに苛立っている感情。特に繰り返すもの、長時間続くものへ生じる感情。

 

怒りは割と突発的な感情だ。だが苛立ちは、それよりかは緩やかだが、長い期間にわたって持続する感情という意味で違いがある。

 

確かに、例えば誰かに悪口を言われたといった単発的なことではなく、その人の存在自体や、組織の風土への違和感といったものに、僕らは”苛立つ”ことが多いように思う。

 

ついでに、類語である「annoy」を調べてみたところ、こちらもすごく納得の定義が書かれていた。

 

to make someone feel slightly angry and unhappy about something

 

あるものについて、他者に弱い怒りと不快な気持ちを起こさせること

 

苛立ちとは、「弱い怒り+不快感」に分解できる。そう思うと、確かにこちらの公式の方が、実態の説明としてより正確だと思う。

 

僕は別に、不快さを覚えない対象にも”怒ること”はある。だが、不快感を抱かない対象に、僕は苛立つことはない

 

「不快感の有無」こそが、怒りと苛立ちを分けるとするなら、これは面白い指摘だと思う。大切なものへの脅威が伴わないムカつきは、単なる不快感なのだ。

 

―ところで、不快感をよりしっかりと理解しようとすると、どんな言葉や説明が出てくるのだろうか。そんなときに知ったのが、「不快情動」という言葉だ。

staff.aist.go.jp

 

引用して、その説明を紹介したい。

 

◆欲求の正体はその欲求に関連する快情動と不快情動である

 

一般に、

欲求が満たされないと不快情動が起きて動物はその状態を避けるようになり、

欲求が満たされると快情動が起きて動物そのような行動をより取るようになる

のではないでしょうか。

すべての欲求の正体は、その欲求に関連する快情動と不快情動であると私は思います。

 

例えば、動物はおそらくみな「安全な状態でありたい」という欲求を持っていると思います。その正体は、危険が近づいた時に起きる「恐怖」という不快情動と、危険が去った時の「安堵」という快情動でしょう。

 

生理的欲求も同じです。例えば、のどが渇いた時には独特の不快感が生じ、その状態で水を得た時には独特の心地よい感覚が生じます。これらの感覚が水を得たいという欲求の正体だと思います。

 

・・・これはとてつもなく面白い説明ではないだろうか?僕という個人が持つ”欲求”は、僕が無意識に避けるものであり、かつ無意識に求めるものでもあるのだという。

 

そしてこの”欲求”とは、心理学の文脈で使われる語句で、その人自身の強い動機たりえるものの内、最たる根っこの部分だと僕は解釈した。

 

「僕は何がしたいか。」

 

答えられるようで、歯切れよく答えるのがなかなかできないこの難問を解きほぐす、とても大きなヒントになりそうな考え方だ。

 

そう思えば、苛立ちもまた、僕に何か大事なことを教えてくれるシグナルとして、改めて理解することが出来そうだ。

 

まとめると、こうなる。

 

何かに苛立つとき、そこには不快感が伴っている。不快感とは、その人が潜在意識で「イヤ」だと感じていることから遠ざかるための情動である。

 

そのため、何から遠ざかりたいかをしっかりと観察することで、逆に僕が求めたい、達成したい理想が見えてくる可能性がある。

 

周りの目を気にせずヘンな遊びをする子供。ネットのアンチコメント。平気で僕の時間を奪う様な電話や依頼。夜通しギターを掻き鳴らす、下の階に住む大学生。

 

―もしかして単に、僕は一人で居たいってだけなんじゃなかろうか。だが、孤独である自分を想像したときに、それが理想とはとてもじゃないが、思えなかった。

 

32年生きてきたが、僕は僕の輪郭さえ、まだロクに掴めていないらしい。なんならこれが一番、イライラする状況なのだと言える。

 

苛立った際は、「何から逃げたい?」「目の前の状況がどうだったらいい?」と今後は自分に問いかけを入れたいと思う。そうすれば、少なくとも中和はされるだろう。

 

実は当初想定していた内容とはかなりズレてしまったのだが、着地点としてある意味綺麗だったので、別にイイやと思うことにする。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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