「感情は、すぐに脳をジャックする」という本に書いてあったことの中で、「言わんとすることはわかるが、すごく遠い理想だなー」と思うフレーズがある。
それは、ざっくり言えば「一つの感情に固執しない、できるだけスッと手放す」というものだ。ちなみにこの考え方は、表現こそ違えど、仏教思考の中でも説かれている。
「手放す」という言葉自体は、過去何度もどういうことかを理解しようと努めてきたが、どうにもしっくりくる表現も感覚もなく、ヤキモキし続けてきたテーマでもある。
そんな「手放す」という感覚だが、たまたま読んだ本に書いてあったことがヒントとなり、現時点から一層腹落ちさせることができたと感じている。
今日はそんなことをテーマに書いてみよう。
僕の心は「揺らいで」いるか。

直接的なきっかけとなったのは、【ポリヴェーガル理論】という考え方を知ったことである。少し難解だが、以下に定義を引用する。
ポリヴェーガル理論は米国イリノイ大学の脳神経学者スティーブン・ポージェス博士によって1994年に提唱された自律神経に関する神経理論です。
ポリヴェーガル理論が登場する以前は、一般的には1つの標的臓器を交感神経と副交感神経の両方が支配し、リラックス状態のときは副交感神経が働き、活動したりストレスがかかったりすると交感神経が働くというように、通常は拮抗した作用を示すと考えられてきました。
副交感神経の8割は第Ⅹ脳神経である迷走神経が占めています。この哺乳動物の迷走神経が、実は進化のプロセスの異なる2系統に分かれており、1つの個体の中で古いものから新しいものへと順次積み上がってきた自律神経系が3つの階層構造を形成すると説明したのがポリヴェーガル理論です(図1)1)。
この考え方が画期的なのは、「リラックスか、興奮か」という反応からさらに一段階加えて、人間が脅威に相対した際に採る行動を説明している点にある。
例えば、長期間イジメやパワハラを受け続ける人は、何故かその状況を受け入れて、誰かに助けを求めることも無く、ひたすら耐え続けるのを選択するケースが多い。
これはストレスが極致に達した際に採る防衛本能の一つで、哺乳類で言う死んだふりのようなものらしい。つまり感情を極限まで殺し、危機が去るまで凍り付くのだ。
つまり人間のコンディションとしては、【闘争か逃走】【リラックス】に加え、【凍り付く】という三段階を”揺らいでいる”のが、本来の在り方なのではないか。
まだ勉強の途中なのでいい加減なことは言えないが、僕はポリヴェーガル理論が唱えていることを、現状そんな風に理解しているところである。
これらの反応はいずれも、生存に必要だからこそ、今まで残ってきたと言える。特に【凍り付き】の反応は、進化の段階として高次である生物のみに備わっているそうだ。
だからこれら一つずつに善悪は無く、むしろこれらが必要に応じて機能したりしなかったりという”揺らぎ”があることこそが、健全なサインと言える、とのことだった。
これは冷静に考えれば当然のことで、例えばずっとリラックスしっぱなしなら仕事にならないし、ずっと緊張しっぱなしなら生きていてしんどい。
もちろん機嫌自体が情緒不安定レベルで変わりまくるのは、それはそれでやや不健全(急激すぎるのも悪い)なのだが、揺らいでいることが自然というのは、救われる考え方だ。
この理論については、今後もムリの無い範囲で学び続けたいと考えている。
感情を自覚し、敢えて揺さぶる。

ではこのことと、「手放す」ことは、どうリンクするのか。それについて、ここからは説明をしていきたい。
まず僕にとって盲点だったのだが、感情や反応において、自分が主体的に選択して発露させているケースは極めて稀ではないだろうか。
例えば楽しいという感情を味わっているとして、「楽しいと思おう!」と思ってそうなっている人などほとんどいないのではないだろうか。
友人とランチをするとか、好きな漫画を読んだとか、仕事を褒められたとかそういう風に、外部からの要因に対する反応として、「楽しい」と思っている。
こちらの方が圧倒的に多いのではないかと思う。そもそも「楽しいと思おう」というトリガーだけでそう思えるなら、精神科医は要らないのではなかろうか。
そう思えば、「手放す」という考え方の意味合いがかなり変わってくる。それは、今自分がどういう感情を選ば”されている”かを察知し、揺さぶるということではないか。
例えば自分が不安という感情を抱いていると気づいたら、それを解すような対処をする、という風に。
この一例としてわかりやすいのが呼吸だ。緊張すると呼吸をゆっくりにする人は多いが、こうすることで副交感神経が優位になり、文字通り身体が落ち着いてくる。
では、そうやって感情を手放すために、何を基にして感情自体を自覚すればいいか。これもやっと自分の中で合点がいったのだが、「身体反応の観察」である。
実際にいくつか例を載せておく。以下の症状が出ている場合、頭ではどうあれ、”潜在意識下では”その人は強い不安を感じているかもしれないそうだ。
不安は身体症状を伴っていて、「どきどきする」(動悸)というのもそのひとつですが、ほかにも「胸がしめつけられる」「息が苦しい」「冷汗が出る」「体が震える」「ふらふらする(めまい感)」「手足のしびれ」「脱力感」「頻尿」「のどが渇く」「眠れない」「頭痛」など、さまざまな症状が現れます。
こういう知見をヒントにして、身体の反応に注目することで、やっと僕も「手放す」の意味が分かってきたのだ。もちろん、他にも身体反応の例は多々存在する。
汗が増える。背中が丸まる。胸の辺りが詰まった感覚になる。飲み物を飲んだとき、それが身体のどこを通っているかという感覚を得辛くなる。早口にもなる。
これらはいずれも、僕が不安や恐怖、何なら嫌悪を感じている際に自覚している症状だ。だから、これらのサインが出てないか、時折自分の身体をスキャンしている。
そしてそれを察知したら、副交感神経に切り替える行為を意識的に入れる。例えば深呼吸したり、背筋を伸ばしたり、肩甲骨を思い切り寄せたり、という風に。
それによって、身体反応から思考を”揺さぶる”。僕にとっての「感情を手放す」ことはつまり、身体反応を意識的に使い、切り替えようとする行為になったのだ。
今のところ、僕はかなり猫背癖があるし、呼吸も簡単に浅くなる。本当にキリがないが、それらを察知するたびに、逆の反応を引き起こすことを心掛けている。
周りから見れば何も起きていないに等しいが、僕の中では常に”ゆらぎ”が発生している。「手放した」後の世界は、これまで感じたことが無いくらい、穏やかで静かだ。
では今日はこの辺で。