ここ最近、結構恥ずかしい話だが、「あー、直さんといかんなぁ・・」と強く意識している自分の弱点がある。
それは、自分の暗さだ。社交的とは多極の性格をしていて、かつ地声がそもそも低いのもあって、僕は黙っていると勝手に怖がられるタイプの人間だ。
正直言って、暗いとか怖いとか、可愛らしいとかかっこいいとか、そういった部分は生まれ持ったものだと思っている。つまり、努力でどうこうなる部分ではない、と。
だから実を言うと、特に改善に向けた努力はしてこなかったのだが、ここ最近、そうも言っていられない状況になりつつある。
てことで今日は一種の決意表明として、それに関する話を書いておきたい。
暗い人は陽キャにはなれないが、暗いままだとそれはそれで迷惑・・らしい。
「暗い」なんて、過去何度言われたかわからない。ただしそれは、僕にとってはもう「日本人!」と言われるのと同じで、「知ってるよ、だから何だ」という話である。
それゆえ、その「暗さ」を改善する努力は、今までろくすっぽしてこなかった。正確に言えば、大学生のころまで自分なりに頑張ったが、まるで報われないと悟っている。
僕はネアカにはなれない。陽キャにはなれない。自分の中に1㎜も存在しない要素を伸ばそうとする努力など、したくない。それは人生そのものの浪費だ。
その対価として、自分はこれからも暗いと思われるだろうが、それはそれで仕方ないと割り切って考えてきたし、納得もしてきたという自覚がある。
しかし、それはそれで極論だったのかもしれない。さながら、どうせしてもしなくてもモテないんだからと、身だしなみの一切を放棄するかのような思考ではないか、と。
というのも、最近塾の体験授業がちらほら入っていたのだが、その打率が振るっていないのだ。現状、”入らない”率の方が、少し上回ってしまっている。
授業そのものがまずかったとは思わない。もちろん、相性が悪かったと言えば、それまでだ。だが、それでは何も次につながるヒントにならない。
だからここで、心に松下幸之助氏を召喚する。「雨が降っても自分のせい」というくらいの気持ちで割引いて、体験授業最中の己を振り返ってみた。
例えば、僕自身が狙って、楽しい雰囲気作りができたかどうか。これはとても怪しい。なぜかというと、僕は暗いし、その改善を止めているのだから。
この怠慢が原因で、入塾に至らないと考えてみる。それ自体被害妄想甚だしいが、心当たりがあるだけに、すごく反省したい気持ちが湧いてきた。
究極的には、僕が表に立たなくなればそれでいい。実をいうと、自分が表に立つ人間として不適格だと自覚しているから、交代したいという気持ちもある。
だが、人材に余裕のない中小である以上、そうも言っていられない。自分よりもコミュニケーション能力がある人間に交代するまでは、僕が変わらないとダメだ。
しかし、希望はある。例えば千原ジュニア氏という芸人がいるが、彼はバラエティなどで見せる顔と異なり、その実、とても暗いらしい。
しかし、彼は”演じる”ことで、テレビやトークショーなどの場で、明るい、楽しいといった印象を持たれている。これはなんとも夢のある話ではないか。
演じることで、評価は変わる。僕は陽キャやネアカになり替わることは不可能だが、一時的に、必要に応じて、その像を再現することはできるかもしれない。
いや、しないとダメだ。じゃないと暗さがにじみ出た、とても楽しいとは思えない校舎が出来上がってしまう。僕が校舎長でいるだけで、マイナスとなってしまう。
せめて、「暗い」を超えて、「冷静」「穏やか」というところに持っていけないだろうか。努力は自分だが、評価は他人。試行錯誤しながらフィードバックを貰い続けねば。
暗いという評価に甘んじてきたが、それを僕自身がスルーしていればよい頃から状況が知らぬ間に変わっていた。
暗いと、迷惑をかける。陰キャは要らないというのが、残酷だが社会の多勢なのだ。暗さを少しでも昇華させて、もう少しくらい良い評価に持っていく努力はマストである。
ぬるかった自分の認識を叩き直すきっかけになる、そんなここ最近のパンチであった。今日はこの辺で。