精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記125】"START WITH WHY"読書感想ブログ・完 ~WHYから始めて、次の本へ~

少し寂しいのだが、遂に終わりが見えた。この部分を書いている今、最終章というか後書きのコーナーに入っている。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

だが改めて「仕事をする意味・理由」という根幹を考える良い機会になった。今「起業家」とかを読み返すと、また違った受け取り方ができる気がする。

 

これを読み終わったら、次は実践のフェーズとなる。メソドスのままにしておくにはあまりにも勿体ない知識だ。だから早く読み終わりたいという気も先立つ。

 

ということで早速、読了させにかかろうではないか。

 

 

5月1日(月) リーダーとは

 

本書の最後では、「つまりリーダーとは何か」という問いが書かれていた。シンプルだからこそ答えるのが難しい問題だ。筆者はどう答えるのだろう。

 

なんと、それは究極的には2つの力だと喝破していた。まだ見ぬ楽しい世界を描く力と、それを人に伝える力。その総合力がリーダーシップなのだと。

 

このシンプルな解を念頭に置いて、昔読んだ様々なリーダーの言葉を思い出してみた。すると確かに、共通するものを感じる。

 

正解はあると言い切って集団を導いていく。成果を可視化して進むべき道を作っていく。大風呂敷を広げて夢を語り、仲間に形にしてもらう。等々。

 

そう思えばやはり、みんなでなかよく、こどくをいやしてもらうというリーダーは甘いのだということが、すごく腑に落ちてくる。

 

むしろ僕は、どこかに孤独を感じるくらいで丁度いいのかもしれない。楽しい世界を描きながらも、現実的な辛さは全て引き受ける。なんと骨太な仕事なのだろう。

 

だからこそやりがいがあるよなと、そう思った。

 

5月2日(火) 後書きを読んで知ったこと

 

本書の最後は謝辞が並ぶのだが、その中に見慣れた名前があった。それは、「ヤバい経済学」でおなじみの、スティーブン・D・レヴィット氏のそれだ。

 

いわく、著者にかなりのインスパイアとヒントを授けた名著だったそうだ。(実際に会って交流したかどうかはわからなかったけど)

 

バイアスを意識的に外し、世の中を純粋な目線で眺め、謎を発見し、算数といった武器で分析し、本当の姿をありのままに眺める。

 

答えありきではなく、データを紐解くことで、世界がどうなっているかを確認する。内容そのものがまずとても面白いのだが、そこから得られる価値観もまた、面白い。

 

自分で言うのもなんだが、僕は好奇心が強い。だがそれは、幼稚という捉え方をされる弱点だと思っていた。そこを肯定できたのは、実はこの本の恩恵と言える。

 

問いを持つことも、それを考えることも、楽しいし面白いし学びになるし結果が出てくるのだ。子ども上等。メンタルはいつまでも9歳のままでいい。

 

謝辞を見て、すごく自分を肯定できた、稀有な瞬間であった。

 

5月3日(水) 改めてゴールデンサークルを学ぶ。

www.ted.com

 

本を読み終えたので、実はずっと放置していた動画を視聴することにした。本に書かれていた教えの要点が綺麗にまとまり、あっという間の20分であった。

 

少し忘れかけていたのだが、WHYを突き詰める理由は、「人間の本能・神経」に根差した部分に突き刺すためである。

 

例えば、この商品は何が良くて、あなたはこれができますよ!とだけ言われても、ぶっちゃけどうしても怪しさとか不信感が、何か自分の中に立ち込めてくるわけで。

 

この違和感という言葉にもヒントはあるが、あまり言語化できていないけど、ふわっと”ある”と思う何かに、僕らは「感」という言葉をよく使う。

 

違和感以外にも、不信感、嫌悪感、抵抗感・・。英語で言うfeelのことだが、これらは脊髄反射とかそういうレベルで、脳の中の原始的な部分が反応しているから、らしい。

 

原始的な部分ゆえに、言語化ができない。論理が通じないのだ。だからまず、リーダー自身が突き詰めて己のWHYと向き合い、その矛盾を打破することから始まる、と。

 

―と言っても、話を聞いてると、取っ掛かりそのものは超難題という風には感じなかった

 

それは要するに、自分の記憶の中にある、「よくわからんけど楽しかった」ものを改めて眺めてくると、点と点が繋がるように見えてくるはずだからだ。

 

自分が言葉にできないものの、確かに面白さや楽しさを感じた何か。それを紐解いて、言語化し、そこから出発していく。

 

「売りて~」という欲望ありきだと、せいぜい「操作」が関の山だ。ファンは絶対に生まれない。機能だけを売っても未来は無い。「夢と金」を読むと、よくわかる。

 

自分の心が躍っている限り、そこには何かしらの共通点があるはずだ。もう少しだけ続く連休、ここの内省はしっかりと深める必要がある。改めて強く、そう感じた。

 

5月4日(木) 次なる本

 

次の本はこれにした。スーザン・ケイン氏の「内向型人間の時代: 社会を変える静かな人の力」である。(原題は【Quiet】)

 

僕自身、今年に入ってから「俺はHSPなんじゃね?」と思う場面が増えており、その理解をもっと深く、体系的に得たいと思ったのがきっかけだ。(少し古いけど)

 

難解な本かと思ったが、少し読んで気が付いた。良心的に平易である。内向的とは何か。外向的より劣っているのではないか?

 

著者は自分のことを内向的と言っているけど、TEDで講演もしている手前、それは嘘なのではないか?そういった問いに、簡素に答えるところから本書は始まる。

 

今のところ4~5ページ読んだだけだが、クセも少なく、難解な単語もそこまで多くないので、至極自然に読み始めることができている。

 

今度はどんな知恵に出会えるのだろうか。今からこっそり、ワクワクしている。

 

5月5日(金) 内向とは


内向という言葉を肯定する人は少ない。むしろ陰キャ、コミュ障などの乱暴な定義で僕らをそう呼び、優越感に浸りたい人の方が多いように思う。

 

内向とはあくまで、自分の外に情報を求めない、大人数より少人数の方が好き、内省が得意という性格の癖とか傾向に過ぎない。そう書かれていた。

 

外向はそれも同じで、根明で周りに対しガンガンいける人が無条件で優れているなんてのはすごくバカバカしいこと、みたいな指摘もチクっと書かれていた。

 

しかも、どちらかに全振りした人間もまた皆無であり、この人との間柄だと自分が内向的だが、友達と一緒だと外向的になる人も多いことだろう。僕もそうだし。

 

内向はただの個性。自分の人見知りさが好きになれない人は、まず距離を取ることを、強く進めておきたいと思う。

 

5月6日(土) 外向けの印象のいい加減さ

 

一見絶対に外向型としか思えない人が、実はめちゃくちゃ内向的というパターンはそこそこ多いという。例えば、エマ・ワトソンもその一人だという。

 

ダンスイベントは大嫌いで、人込みも嫌い。できれば狭いところで引きこもっていたい。そう答えたインタビューみたいなものもあるそうだ。意外過ぎる。

 

他にも、超満員の観客の前でシュートを打ちまくるバスケ選手も、家に帰れば静かに本を読んだり何かを書いたりする方が好き、というケースも紹介されていた。

 

外向的なんてのはいい加減な他者からのラベリングなのかもしれない。そういえば僕も、日の浅い生徒からは、「人見知り?嘘やろ?」と言われるくらいだしな。

 

外向的でなければならない教の弊害を、まざまざと感じる好例だと思った。

 

5月7日(日) 外向的であれば無条件でいい、だと?

 

外向的であることを手放しで賞賛する人は多い、というかもはや、そういう文化になっている気がする。

 

根暗、オタク、陰キャ・・。内向的な人間を評するとき、どこか見下した悪口の方がボキャブラリーが豊富なのも自然な流れなのかもしれない。

 

逆に陽キャであれば全て解決という乱暴な論理も感じる。この背後にはどんな事情があるのだろうか。ぶっちゃけ陽キャの方が、相手をしていてラクだからではなかろうか。

 

裏に深い思慮も無ければ、こちらの指示をじっくり検討することも無い。すべてのことに反射的にリアクションし、反省より次の行動を好む。

 

なるほど、外向的な方が確かに魅力的に映る。だが僕は、そんな危なかっしい言動なんて、怖すぎてできない。

 

ここは個性だ。良い悪いではなく、単なる生まれ持った考え方の違いだ。外向であればあるほど絶対的な正解なんて、それこそ愚かである。

 

内向であることを肯定する人はどうしても少ない。だからこそ、1つでも多くのメッセージを、この本を読みながら集めたいと思う。

 

―ということで今日はこの辺で。

 

 

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