精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「不合格」の報告を受けて浮き彫りになった、僕という人間の精神が持つ致命的な「弱み」。 ―ただそれは、「弱み」じゃなかった。

この仕事を始めて7年近く経つが、その中でも飛びぬけて辛い不合格の報告を昨日受けた。正直そのことを思い出すと、まだ嗚咽が込み上げてきそうになる。

 

僕自身、なぜこうも心が揺さぶられたのかをまだ言葉にし切れていないのだが、昨日はいい年こいた大人が、その連絡を読みながら一人泣いていたほどだ。

 

一応僕なりにできる返答はしたが、それについてのレスは無い。その胸中を想像しては、僕もまたひたすらに「辛い」という感情を、否応なく味わわされている。

 

ハッキリ言って、自分事の数百倍悔しい。それによって神経も昂っているようで、心拍数が平常時もずっと高く、身体がとてつもなくしんどくなっている。

 

・・・こういう大ダメージを負いながら、同時に確信することがあった。このコリの中に、僕という人間の精神が持つ、致命的な課題が潜んでいる

 

生徒の悲しい報告に涙する。これだけなら美談に聞こえなくも無いが、それによって自分含めて誰も救われていないという構図には、シビアに向き合わねばならないだろう。

 

今日はその欠陥について、自分なりに区切りをつけつつ、他の講師や教員のヒントになればいいと思い、散文的にプロセスを全て書いてみる。

 

まあ、自分を慰める記事に等しいのだけれども。では以下、本編である。

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生徒の気持ちに寄り添うということについて、僕の暫定解を書く。

受験を終えた生徒。そしてこれから受験を迎える生徒。人生における勝負所の、入り口と出口。どちらにも、筆舌に尽くしがたい感情の渦があると思う。

 

特に芳しくない結果だった生徒や、心が壊れそうなほどに緊張している生徒を見る度に、僕はほとほと、それに何もしてやれない自分の無力さが嫌いになってしまう

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苦しんでいる生徒に、僕ができることは本当に無いのか?いわゆる、気持ちに寄り添うとか、そういうことさえも僕にはできないのか?自己嫌悪がグルグルと始まる。

 

アドラー心理学の課題の分離という言葉で納得したい自分もいる。しかし、それを生徒の課題だと切り捨てることは冷酷すぎると、反発したい自分もいる。

 

つまり僕自身が現在進行形で感情が揺さぶられまくっている折なのだが、だからこそ腰を据えるためにも、このテーマについては思考を深める必要があると考えている。

 

生徒の気持ちに寄り添うとは、果たして何なのか?

 

今日はその暫定解について、つらつらと書いてみる。

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【英文読書ルーティン日記116】"START WITH WHY"読書感想ブログⅤ ~八方美人徹底論破~

英語でビジネス書を読む。大学生の頃なんかは想像もしなかったくらい意識が高いことを、今はやっている。だが、学べる点が多くてすごく有意義だ。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

英検1級を受けていた頃のバリバリに仕上がった状態、バチバチに気を張った状態ではないのだが、ただ純粋に読むだけなら特に気負わずできる。成長を感じる。

 

僕自身、別に英語でコミュニケーションを取りたいという欲は、もう無い。正直、喋れなくても聞こえなくても、書けるし読めるからいいやと思っている。

 

知識さえ吸収出来ればいい。そう割り切っている。―ということで今回も、ゾンビ英語で吸収した知識を、ここに紹介する次第である。

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考えてもわかりっこないことは、時間を決めて考え抜く。

ヘンなことを言っているとしか思えないタイトルだが、不安傾向が強い僕が心掛けるようにしてから、だいぶ心が安定するようになった考え方である。

 

今は受験のハイシーズンだ。まだ本番になっていないのに、これまでのテストの成績や、当人に抱く感情から、受かるか落ちるか、すごく心が動揺しがちになる。

 

こういう絶対に予測できない事柄に対する考え事は、ある意味どんどん巨大化していく磁石のようなものだ。

 

未完了のタスク、過去の黒歴史、未来のネガティブなどを次々と引き寄せて、はた迷惑な塊魂みたいなことをやらかす。

 

結果、心が圧迫されて、今のこのとき、つまり現在という時間軸を眺めるのが難しくなる。そして何より、どんどん心が疲弊していく。

 

だから放置することはマズいのだ。特に矢継ぎ早にあらゆるストレスを受け止めがちな感情労働に従事している場合はなおのこと、である。

 

そんな折に僕がやっているのが、表題通りのこと。考えてもわかりっこないことは、時間を決めて考え抜く。

 

今日はそんなお話である。

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僕は受験生に、「健闘を祈る」としかもう言ってない。

受験が近い。大学入試の前期はもう終わったが、高校受験はこれからである。必然的に、ナーバスな受験生に声をかける機会は増える。

 

過去、本当に色々と悩んだ。勝手に心中を察し、気の利いた一言を掛けようと頭をねじりあげながら、結局通り一遍のセリフを口にして、自己嫌悪、という風に。


受験生に対する胸の内を切実に書き尽くした塾長さんのブログやFacebookを読んでは胸を打たれ、そこまで思い入れないと失格だという烙印を自分に押そうともした。

 

―だが。そういう煩悶が完全に一周したのか、僕はもう、誰に対しても、同じ声掛けをするようになってしまった。

 

その声掛けとは、「健闘を祈る」。以上である。今年からではあるが、僕はもう、これしか言ってない。

 

今日はその理由を、脳内整理かねて書いてみる。

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スクラップ無きビルドも、ビルド無きスクラップも、特に得られるものは無い。

大掃除が佳境である。今回はこれまでの経験と反省を活かし、1日当たりの作業時間を減らす代わりに、日数を増やすようにしているのだが、これが結構イイ。

 

1日で一気にやろうとすると、確実に見落としが発生する。終わった後になって、やりたいことに気づくことなどしょっちゅうだ。


そのせいで握力が回復しないまま日数が重なりそれがシンドイが、今までで一番完成度が高い大掃除になりそうな予感は、既にしている。

 

―ちなみに、今回僕は、「とにかく捨てる」ことを目標にしている。その目的は、大袈裟だが、そこから僕の世界観をクリエイトするためだ。

 

スクラップ無きビルドも、ビルド無きスクラップも、特に得られるものは無い。僕が言うのも変な話だが、掃除が苦手な人は、この辺を勘違いしていると思う。

 

今日はそんな話である。

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僕が自分から「俺が校舎長です」と言いふらしまくっている理由。

年度が替わり、ぬるっと昇進を果たした。とはいえ旧年度のタスクとごちゃごちゃになっているため、まだまだ実感がまるでないというのが本音である。

 

そんな状況だが、折に触れて、「俺が校舎長になるんですよ」という宣伝だけは、無理矢理機会や口実を作ってでも、生徒やご家庭に繰り返している

 

ここだけ切り取れば、あまりにも強い自己愛ゆえの行動に思えるが、実際はその逆である。自己愛型のマネジメントに、ほとほと辟易してきたからだ。

 

その反動で、僕は僕がここを率いている者だと、とっとと周知させようとしている次第である。

 

今日はそんなお話である。

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