1時間だけと言いながら、2時間昼寝するって結構ありますよね。中元です。
はい。今日は自分の中でまったく答えが出ていないことについて、ちょっと本腰を据えて考えたいな、と。
それは、ナイトルーティンだ。難しい表現をすれば、帰宅してから寝るまでに行う、一定の決まった流れである。
これについて特に悩み始めたのは、今の仕事に就いてからである。何をやっても腑に落ちないもやもや感が、そこを境目に激増したという具合だ。
ということで、同じく寝る前のアレコレに違和感を覚える方の参考になればということで、ただの個人的な仮説だが、以下書きなぐってみよう。
なぜ【ナイトルーティン】に悩んでいるのか?
なぜ、さほど難しいとも思えない、ナイトルーティンづくりに悩むのか。
それは、なにかの病気に聞こえるが、家に帰ってからただただ何もしないまま過ごすと、どうにも「人生を無駄にした」という感覚が腹の底から湧いてくるからだ。
たとえ体が疲れていても、頭を使った後でも、本の一つでも読めるだろうし、映画のひとつでも見れるのではないか?
脳のリソースを使い切って、最後はスイッチが切れたように寝るのが理想ではないか。そういう観念が意識の底にあるのだと感じている。
なぜこういう考え方に凝り固まっているのかも思い巡らせてみたが、多分、20代前半まではそれができていたからだと思う。
起きて、学校に行って、勉強して、帰ってからも勉強して、ギリギリまでゲームをプレイしたり漫画を読んだりして、最後は気付いたら寝ている、と。
内容の薄さにびっくりだが、当時の僕が、その日の時間を最大限に使い切っているという感覚を強く抱いていても、何ら不思議ではない。
そんな生活をずっとやってきたので、夜は休養のために使う、次の日に備えたリカバリータイムという価値観が、どうにも相容れないのだと思う。
―さらに考えてみて気付いたのだが、おそらく学生だった頃と塾講師になってからの今では、帰宅後の元気度で言えば、今の方が確実に高い。エネルギーが余っているのだ。
この理由も意外と簡単で、おそらく遺伝子的に夜型であることがそうだ。学生のような朝6時に強制的に起こされる生活では、最初から一定のしんどさで1日が始まる。
だから夜になる頃には、エネルギー枯渇でエンジン停止という流れにすんなり持っていけたのだ。疑似的に、遊び疲れて寝落ちする子供の状態になっていたらしい。
今はサプリの知識も多少得たし、自分に合った生活サイクルを回せているしで、結果使えるエネルギーの総量としては、実のところ増えているわけで。
だが一方、肉体的疲労と、集中力に関する疲労のアンバランスさは、かなり激しくなった。
立ち仕事がメインとはいえ、体力を使い切るほどではない。だが、頭を酷使する時間が長いため、集中力などは、もう夜には残らない。
身体はやや元気で、頭は回らない。そんな状態で帰宅するようなものなので、使い切った感じがしない。勿体なさを覚える。
だから時間を圧縮するため、浴びるように酒を飲んで、とりあえず何かした気になる。一見楽しい時間を過ごす。ある程度の健康を犠牲にしつつ・・・。
それこそが、僕がずっと酒を飲む生活を止められなかった根っこだと思っている。(今は意識的に断酒して久しいが)
さて。体力はあるが集中力はない。休息が必要という考えも認めつつも、この残されたリソースを使い切って眠りに落ちたい。できれば飲酒以外に。
暫定的な僕のわがままはこんな感じだ。これを満たすには、さて何をすべきなのか。
以下、具体的な仮説を、他の情報源を参考にしつつ考えてみる。
よりよい【ナイトルーティン】作成を目指して。
ちなみに、今は決まったナイトルーティンがないのかと言われれば、別にないわけではない。
帰宅してから20分程度、一度読んだ本を再読する。その後はできるだけ早い時間で晩御飯を自炊し、食後30分以上は空けて入眠する。
ここまではうまいこと機能している。だが、まだ何かができるという気がしてならない。その何かを探すため、色んなことをやってきた。
ブログを書くのをノルマにしたり、座禅を組んだり、ストレッチを行ったり、徹底的にその日の総括を行ったり、次の日のスケジュールを組んだり・・・・。
だがいずれも、いつの間にか立ち消えになったり、あるいは上手になったりして、結局また時間の空きが生まれる。仕方ないから、酒を飲む。こんなのが続いた。
こういうときは、仮説を作るための材料を探すことが先決だ。ということで、色々な人のナイトルーティンを、できる限り集めて、ぢっと眺めてみた。
少し色眼鏡が入っているだろうが、抽象的に共通点をまとめてみると、以下の通りであった。
① 脳をフル活用するような時間にする人はいない
② 意識を集中できるような遊びや単純作業をする人が多い
③ 頭の中にあることを書きだす人もチラホラ
④ カモミールティーを飲むといったガチな人はやや少数派
てな具合。あとは、【リラックス】の定義も、僕が考えていた定義とは、少し異なっていた。
具体的には、「完全に何もしない時間」ではなく、「家族との団らんや、気が置けない仲間との交流の時間」こそが、リラックスの中身のようだったのだ。
更に、意外と多かったのは、自分の睡眠を可視化して、日々の結果の良し悪しに一喜一憂する、という人たちだ。
睡眠の質に徹底してこだわり抜くことで、1日の生産性を最大にすると豪語する人もいた。これの楽しさは、僕自身結構同意するところもある。
こんな感じで色々な知見を集めると、僕なりのナイトルーティン、その仮説が作れそうな予感がしてきた。てことで最後に、まとめとして書いておこう。
まとめ:理想的なナイトルーティン・β版とは?
少し実験的な意味も乗ってくるのだが、家に帰ったらもう何かを生産することを完全に諦めようと思う。もちろんやる気があればいいのだが、あったことが無いのだ。
今までもずっと挑戦しようとして、結局失敗し、反省する。もういい加減、そのプロセスにも飽き飽きした。帰宅後はもう、次の日に備えるのだ。
だから、その準備に一生懸命になろう。そういう風に、時間が掛かろうと、意識を変えることが先決だと今は考えている。
具体的にはどうするか?川崎宗則選手が昔インタビューで言っていたが、アスリートのルーティンは、順番に身体の機能や集中のスイッチを入れるような時間だという。
では逆に、一つ一つのスイッチを切っていくイメージで、夜のルーティンを組んでいくのはどうだろうか?
仕事終わりに一番冴えているのは、やはり頭だ。まずはこれのクールダウンが要る。だから帰ってからの読書(昔読んだ本の再読)は、これからも継続しようと思う。
そして身体のクールダウンについて。これは瞑想を兼ねて、ストレッチの習慣を復活させるのがいいかと思う。
もちろん意味もなく柔軟性を高めても仕方が無いので、可動域が広いと何かとトクをする肩甲骨周りに取り組んでみようと思う。
その後は、無心になる時間が欲しいということで、自炊の頻度を高めることにした。日頃から料理は作るのだが、もっと意識的に、回数を増やす所存である。
そしてメシを食いながら、YouTubeを見つつ、このタイミングでサプリメント一式を摂取する。
食後は30分のタイマーをセットし、この間は頑張って起き続け、最後にすとんと寝る。(最近は、昔ハマったゲームのTAS動画を観ると、すっと寝れている)
このルーティンを、しばらくは回してみようと思う。あと、睡眠のスコアを計測する器具に、キチンと投資することも決めた。ちょっと大きい出費だが、腹を括る。
今のところはFitbitを買う予定だが、その辺についてはもう少しリサーチを重ねて、色んな意見を参照しつつ、決定したいと思う。遅くとも9月中には注文しよう。
―ということで、はじめて人生において、寝る前の時間について滅茶苦茶考えてみた。まぁ、暫定的な案はできたから、ヨシとするかな。
なにか参考になるところがあれば嬉しい。では今日はこの辺で。