精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記165】"PSYCHO LOGICAL"読書感想ブログⅠ ~メンタルディズィーズ?ディスオーダー?~

「僕は僕のことを全くわかっていないのではなかろうか」と、最近不安になっている。自分の気持ちは他者にわかってもらえないと思っていただけに、これは不穏だ。

 

僕のことを理解しているのは僕だけだ。実はその前提すら違うとなれば、僕という存在を理解している者は地球上に一人もいないことになってしまう。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

僕はもっと広い目線で、「心」と向き合う必要がある。そう思っていた折だったからこそ、タイトル買いでこの本を選んだのかもしれない。

 

サイコロジカル。一体どんな話が始まるのか。期待と不安が入り混じるが、早速読んでいこうと思う。

 

 

2月12日(月) 異端児。

 

著者が心理学を学ぶきっかけになったまのは、ジャングルに生まれ育った子が生物学者を志すようなものらしい。

 

彼の生家は文字通りのデッドエンドに構えられたバーらしく、日々メンタル的にアレな方々を、ある意味拡張された家族として観察していたそうだ。

 

だから順番が反対になる。心理学を学んで、人の思考や言動をラベリングできるのではない。

 

元々観察してきた振る舞いに名前があることを、心理学から学んできたらしいのだ。

 

異色の経歴と学習プロセス。型破りな中身になるのではないかと、既に期待は始まっている。

 

2月13日(火) 認知≒理解。

 

「awareness」という言葉は、英検1級のスピーチ練習で何度も繰り返し登場する。そして、使い勝手がいい言葉だとも感じていた。

 

「認知・認識・気づき」、みたいな意味合いなのだが、今読んでいる章で、筆者が面白い指摘をしていた。それは、認知と理解は異なるというものだ。

 

例えば地球温暖化問題に関して、世間の認知は高まっているに違いないが、具体的な原因・状況・改善策が見えている人、つまり理解できている人はそうではないかなと。

 

これは僕も同じことで、確かに知ってはいるが、それが同時に対象の理解に至っていることは全くの別問題なのだ。

 

今世界では、メンタルヘルスについての認知は確かに広まっている。だがその理解が深まっているかと言われれば、どうしても眉唾だ。

 

そもそも学問としてまだまだ発展途上なので、それも当然と言われれば当然である。この本を読むことで、僕は少なくとも、途中経過を理解したいと考えている。

 

2月14日(水) 消せないが和らげることはできる。

 

サイコロジカルとは、実際はサイコパス絡みのタイトルでもなかった。

 

心理学という認知はされているが理解されていないものを論理的に説明する、という感じの導入であったのだ。

 

著者はコロナにより父を亡くしたという。その際に激しい悲しみは消せずとも、なぜ、どうして、そんなに辛いのかは解ったらしい。

 

理解することは動揺を鎮める。学ぶことの理由はほぼそれが全てだ。英語を通じて内省をガッツリ深めるのはなかなかレアな経験である。楽しみに読み進めよう。

 

2月15日(木) メンタルヘルスとは。

 

メンタルヘルスとはなにか。日本語において【メンヘラ】といえば、ちょっとヤバい人を指す代名詞になっていると言える。

 

筆者はあくまでも、どうもきな臭さをその言葉から感じるのは、「使われ方」が千差万別なだけだと念押しする。

 

大事なのはスキルや知識そのものであり、あくまでも医師はそのツールの使い方のサポート役であり、個々人が状況に応じてそこから選びとるのが筋なのだと。

 

故にこの本では、例えばメンタルに関する薬といった情報はバッサリカットし、脳や思考の特性にフォーカスした内容になるのだという。

 

それこそある意味望んでいたトピックなので、僕としても嬉しく思う話である。

 

2月16日(金) disease ill sick

 

Diseaseとillとsick。似てるけど違うことはわかるものの、特に調べる気にならないこれらの語句。

 

その差異が、今回たまたま本に書かれており、すごく目から鱗だと思った。Diseaseは「病気そのもの」であり、いわゆる病名のことであるとのこと。

 

そしてillとは、「病気によって生じる、痛みなども含めた不快な感情を指す」のだという。すごくなるほど!と思った。

 

そしてsickは、意味を取り違えているかもしれないが、「他者から見たその人の体調不良な様子」とか、「より広範にふわっとした体調不良」というニュアンスを感じた。

 

そう思うと、メンタルヘルスよりもメンタルイルネスの方が言葉としてしっくりくるのではないかという筆者の指摘は、ごもっともだと思う。

 

またひとつ言葉の面白さを学べた時間であった。

 

2月17日(土) メンタルの不調と文化の関係。

 

メンタルの不調をバチッと定義する言葉を日本語から探そうとする、なかなか難しい。

 

憂鬱?不定愁訴?杞憂?どれもこれも、「元気出せよ!気にしすぎだよ!」という励ましを受けそうなあれこれだ。

 

一歩英語圏での定義だと、言葉が"強すぎる"ことが普及や理解の阻害になっているのだという。

 

Disorderもdiseaseも、障害や病気というように、どうにも大病感が強すぎる。だから人は認めたくなくなるのだと。

 

メンタルの不調。風邪のようなもので、体調が優れないのと同じようなノリで受け止められる日が来ることを願う。

 

2月18日(日) もしかしてこれって・・・。

 

医学やメンタルの知識を得ると、あるあるの話になるのだが、些細な不調が大病の予兆に思えることがある。

 

胸が痛むのは心筋梗塞の初期症状かもしれない。右手の痺れは放置すれば、右半身不随に繋がるかもしれない。そんな風に。

 

メンタルも同じだ。不安な気持ちが生じると、何かとても重い精神的不調の前触れにどうしても感じられることがある。

 

そんなときこそ冷静に、蹄鉄の音がしたときには、シマウマではなくウマを想像できるような視点を心掛けよう。改めてそう思った。

 

では今週はこの辺で。

 

 

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