ADHDという言葉を知ってから長いこと、僕はそうなんだろうなと仮定して、今まで生きてきた。なぜかと言うと、その特徴・特性に、心当たりがありまくったためだ。
だが、ここ最近、ADHD以上に、僕が抱える生き辛さを言い表せるかもしれない言葉に出会い、ずっと勉強を重ねている。それは「ASD」だ。
正式名称は【Autism Spectrum Disorder】であり、日本語訳を付けるなら【自閉スペクトラム症】である。平たく言えば、自閉症のことだ。
この言葉自体、前の記事でも書いたが、実はノーマークだった。その理由は、自閉症の一例をドキュメンタリーで観たことがあるのだが、あまりにも僕とは違ったためだ。
その子はご飯を口に入れることさえままならぬほど不器用で、また予想しえないことがあると、大声を上げて興奮する一幕もあった。僕は流石にそこまでではない。
・・だが、勉強を重ねるにつれて、僕はASDについて無学も良いところだったと反省しつつあるし、それが自分にもあると仮定すると、色々説明がつくのにも気付いている。
今日は自分が勉強してきたことについて、一旦棚卸してみる。そんな記事である。
ASDを知る。自分に重ねる。
まずは定義を列挙しながら、ASDとは何かを整理したい。ということでChat-GPTにお願いして、なるべくシンプルなそれを書いてもらった。
自閉スペクトラム症(ASD)は、発達障害の一種で、社会的コミュニケーションや行動のパターンに影響を与えます。
ASDはスペクトラムと呼ばれる理由は、症状の現れ方や重症度が個々によって大きく異なるためです。
ASDの主な特徴には、他者との社会的なやり取りの困難さ、限定された興味や反復的な行動が含まれます。
例えば、会話のキャッチボールが難しかったり、特定のルーチンに強いこだわりを見せることがあります。
ASDの原因は完全には解明されていませんが、遺伝的要因と環境的要因の両方が関与していると考えられています。
診断は通常、幼児期に行われ、行動観察や発達評価を基に行われます。早期診断と適切な介入が重要で、行動療法や言語療法、薬物療法が用いられることがあります。
ASDを持つ人々は、多様な才能や強みを持っていることがあり、正しい支援と環境が整えば、その潜在能力を最大限に発揮することができます。
社会全体での理解と受容が進むことが、ASDの人々の生活の質を向上させる鍵となります。
そして続けて、「ASDの典型症状」について、これまたChat-GPTに教えてもらった。
ASDの典型的な行動・言動には、以下のようなものがあります:
社会的相互作用の困難:
他者との会話のキャッチボールが難しい。
目を合わせることが少ない。
コミュニケーションの困難:言葉を使わずに意思を伝えようとする。
言語発達の遅れや、話し方が独特。
反復的な行動:同じ動作を繰り返す(手を振る、体を揺らすなど)。
同じ言葉やフレーズを繰り返す(エコラリア)。
限定された興味:特定の物や話題に対して強い関心を示す。
興味の範囲が狭く、深い知識を持つ。
感覚の過敏または鈍感:音、光、触覚に対して過敏。
特定の食感や素材を嫌がる。
ルーチンへのこだわり:日常のルーチンや環境の変化に対する強い抵抗。
予測できない変化に対する不安やパニック。
社会的規範の理解の困難:社会的なルールやマナーの理解が難しい。
他者の感情や意図を読み取るのが難しい。
独自の遊び方:玩具や物を一般的な方法とは違うやり方で遊ぶ。
規則的な配置や並べることに強い関心を持つ。
視覚的な情報の好み:図や絵を使った情報を好む。
視覚的な手がかりを優先する。
身体的な感覚の探求:自分の体を特定の方法で触る。
特定の姿勢や動きを繰り返す。
太字にしたところが、僕が僕の言動を顧みたときに心当たりがある部分だ。これらを順繰りに、軽く自己解説してみたい。
実は日頃から、僕は他人と目を合わせるのがとても難しく、気恥ずかしさというより、全く落ち着かなくなってしまうほどだ。(いわゆるキョドるという奴ですな)
特定の話題や物に対して強い関心を示すというのも、自分の中に多々具体例がある。ただ同時に好奇心も強いので、パッとハマってサッと飽きるケースがとても多い。
そして僕は大きな音、甲高い声が大嫌いで、そういうところに晒されると耐えがたいほどの苦痛さえ覚える程だ。耳を掻きむしりたくなるといっても過言ではない。
下の階の住人が、引き戸を強めに閉めて「ドン」と音を立てるタイプのヤツなのだが、その音があまりにも不愉快すぎて、僕は今、一軒家への引っ越しを検討している。
続けて、実は一番強く実感しているのが、自分の時間を奪われること、崩されることへの猛烈な苛立ちや不快感である。
朝のルーティンも自分が決めたことを決めた順番でやらないと気持ち悪くて仕方ないし、仕事のやり方も自分の決めた方法でないと、とにかく苛立ちが勝ってしまう。
また、他者の感情にもびっくりするほど鈍感だと言われる。極端な例だと、大学の頃、2件の部内恋愛に、独りだけ気付いていなかったというのがある。これは驚いた。
他にも、おもちゃをオリジナル溢れるやり方で使うのは好きだし、図が無いと物事を理解するのが困難だし、気付けば肩甲骨を寄せる体操を何度もやっていることが多い。
もちろんこんなものは色眼鏡に過ぎないのだが、無関係であると言い張るのもまた無理があるような点が多いのもまた事実である。
なぜ「自閉症」なのか?
「自閉症」という言葉を見て、一つ引っ掛かったことがある。それは、「自閉」という言葉の言わんとするところだ。
「自分を閉じ込める」なのか、「自分に閉じ込められている」なのか。どちらにせよ、障害というかつての書かれ方も相まって、すごく重症感が拭えない響きである。
確かにASDの典型症状を見ると、その当事者が社会で生きていくことに不便さ、不自由さを覚えることは容易に想像がつく。
だが、それによって「己という器に封印される」という意味合いは、いささか強すぎるのではないか。そこは色んな意見があり、押しなべて皆、否定的なようだった。
この表現について書かれたコラムをいくつか読んだが、自然と頷いてしまったものが一つある。それはこちらだ。
特にこの箇所を読むと、訳者のジレンマがまざまざと伝わってくるように感じられる。
日本語の「自閉症(あるいは自閉)」は英語の「Autism(オーティズム)」の訳語なのですが、この二つの言葉には、かなり語感の違いがあるように感じています。
Autism はギリシャ語の「自己(autós)」が語源となっており、外部の力や操作によらず、自律的、自己完結的に動く、といった意味になります。
オートマ(AT)車の「オートマティック」や、自動化を意味する「オートメーション」などに含まれる「オート」も同じ語源から来ています。
この「オーティズム」が日本語に翻訳された際、自己を表す「自」に加え、外部に向かって閉じた状態を表す「閉」が加わって、「自閉」という語が当てられたようです。
この「閉」の字がある日本語と、それに対応した意味を(直接的には)含まない英語とでは、言葉の響きがだいぶ違って感じられます。
私の感覚なのかもしれませんが、日本語訳には、英語にはない「社会を拒絶する」「引きこもる」といった意味が足されている気がしており、自閉スペクトラムの方々の実情や多様性とはずれたイメージを生み出す一因となっているようにも思われます。
日本では「自閉」という言葉ではなく、以前は「アスペルガー」、最近は「発達障害」といった別の名称が好まれがちなのにも、言葉の響きが関わっているのかもしれません。
翻訳がなされた当時と現在とでは自閉症の理解にも大きな変化が見られることですし、もう少し実情に即した、ポジティブな響きの日本語名があれば良いのに、と思うこともあります。
ただ、自身ではなかなか良い訳語を思いつくこともできず、歯がゆいところです。
https://www.musashino-higashi.org/education-center/senjumessage.htm
本来は【自己完結型の思考・言動が特徴】という感じのニュアンスで紹介されていたようだが、日本に入ってくるタイミングでどこか【拒絶】の意味が乗ったようだ。
当事者が感じていることと、外から貼られたレッテルに、わかりにくいが大きなギャップがあることが伺える。そしてそれによって生まれる誤解は、想像以上に深い。
それは過去の僕も同じだ。今だから言うが、自閉症は、脳性麻痺のような症状と同じようなものだと僕は感じていた。端的に言えば、特別支援学級で扱われる対象だと。
だからこそ、自分がそうであることを微塵も疑ったことがなかった。それゆえに自分を定義する言葉を見つけることが遅れ、余計に悩む時間が増えたのかなとも感じている。
診断を受けに行くか、否か。今は結構迷っている状態だが、ある程度の輪郭が見えた今、とりあえず動揺は鎮まった。それなりに満足したし、もう十分だ。
ところで、今回がっつり調べたものの中から、ASDであることを踏まえた仕事の仕方(ライフハック)も発見することができた。
それについてはまた別日に、記事にしたためたいと思う。では今日はこの辺で。