精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

肉親以外の、僕が触れてきた「死」を書き連ねてみる。

最近、目の前のことが凄く慌ただしいせいか、いっそ人生の最後に必ず待っている「死」について、立ち止まって考えるようにしている。

 

「今すぐ消えてしまいたい!」という自暴自棄な思考が理由なのではなく、これこそが自分の心を一番静かにしてくれるテーマだから、というのが大きい。

 

ほぼ日刊イトイ新聞にも、「死」をテーマとした、とても深く、そして優しい対談が載っていたのを読んだ。それを読んでいると、本当に心が澄んでくる。

www.1101.com

 

ところで、僕は一体どれくらい、人の死に触れてきただろうか。できれば、肉親とペットを除いて考えてみたい。何故か直感的に、そう思った。

 

ということで今日は、思い出した順に、僕が触れてきた「死」を言葉にすることで、今の現状をより俯瞰したいという記事である。

 

今現在イライラカリカリ、あくせくして仕方がない人には向いてるかも。では以下、どうぞ。

 

 

突然いなくなったお爺さん。

 

僕は今、アパートで独り暮らしをしている。そんな僕が住んでいる棟と向かい合う形にある別のアパートには、以前、風変わりなお爺さんが住んでいた。

 

洒落っ気のある恰好をして、すごくゆっくりと、そこそこ値段がしそうな自転車を漕いで、近所のスーパーやドラッグストアを往復する姿を、何回か見たことがある。

 

垢ぬけた格好と、どこにも焦点が合っていないように見える眼。このコントラストが印象的で、すぐにその人の顔を覚えてしまったものだ。

 

―ある日、そのアパートの前に、不思議なトラックが止まっていた。荷台に屋根は無く、家財道具が乱暴に放り込まれている。その光景に、僕は興味を覚えた。

 

そしてトラックのロゴに書いてある社名を検索して、僕はその全てを悟ってしまった。それは特殊清掃系の会社だったのだ。

 

孤独死。僕の目の前で、それが起こるとは。そして数日経って、僕はもう一つのことを悟った。あの日から一度も、そのお爺さんを見かけないのだ。

 

実は自転車が特徴的すぎるため、その人の部屋番号を僕は知っていた。その人の部屋は1階に在り、その自転車はドアの前にいつも駐輪されていたのだ。

 

だから恐る恐る、散歩がてら、その部屋を確認に行った。そして自転車は、消えていた。

 

そのお爺さんの名前も歴史も、僕は知らない。その人はどう生きたのか、知る由もない。たった一人で迎えた死。あのお爺さんは最後、何を思って逝ったのだろうか。

 

僕は独りで死にたいだろうか。それとも誰かに看取られたいだろうか。それらを自分に尋ねてみる。僕は不思議と、誰かに看取られたいと思ってしまった。

 

独りで逝くのが怖いからだろうか。いや、死はどう頑張っても独りで旅立つものだ。それはすごく、矛盾している。この違和感は、喉に刺さった魚の骨に似ている。

 

あのお爺さんが、面識の全くない僕に残した違和感を解消するには、まだまだ時間と内省が必要なようだ。

 

終わらさせられた命。

 

あれは中学2年生の頃だったと記憶している。蒸し暑い夏、何故か突然緊急の全校集会が、夏休み中なのに開かれたのだ。

 

僕は元々人の話が全く聞けないガキである。だから、もしかしたらその時点で、何かしらの説明があったのかもしれないが、その部分が記憶からごっそり抜け落ちている。

 

ただ一つ覚えていること。それは、誰かのために、皆で黙とうを捧げたことだ。その前後の記憶は、もう全く残っていない。

 

そして、これから書く話も、いつ誰から聞いたのか、全く覚えていない。だがいつからか、僕の胸に突き立っている。辛さも悲しさも付随しないが、ずっと刺さった記憶。

 

あの全校集会で捧げられた黙とうは、夏休みの最中に亡くなった、とある生徒に向けたものだったのだ。

 

学年は僕の1つ上で、軽度ではあるが、脳に障がいがある生徒だった。そして僕は、その人のことを、薄っすらだがまだ覚えている。

 

それだけなら、全国ニュースでたまに耳にする、すごく辛い報せに他ならない。いずれ薄まり、記憶から消えるものだ。だが、僕の心に強い衝撃を残したのは、その死因だ。

 

親が毒を盛った。このフレーズを、僕は強く覚えている。全国的なニュースにもなったそうだが、記憶にある限りの名前や情報を打ち込んでも、それが全然ヒットしない。

 

そういえば!と、そのときの僕が思ったことがある。夏休みが明けてから、僕はその先輩を確かに、一度も見かけていないのだ。

 

縁あって僕は、その特別支援学級のある教室に、週に3~4回は足を運んでいた。その頻度で通いつつも、一度も出会わないということは・・。あの報せは、事実だったのか。

 

尤も、親が毒云々の部分は、噂にくっ付いたモラルの無い尾ひれかもしれない。しかし何故か僕は、その親とされる人が連行されるニュースの映像を、朧げに覚えている

 

それ自体が夢なのか、事実なのか、僕の妄想なのか、勘違いなのか、もうわからない。確かなのは、その子はあの夏に、その生涯を終えたことだけだ。

 

命は時に、理不尽にも”終わらせられる”ことがある。僕は悠長に、なんだかんだでジジイになって、畳の上で死ぬのだろうと想定していたが、それは楽観なのではないか。

 

僕の命の終わりは、それこそ明日かもしれない。それは絶対にわからない。死の準備という言葉を免罪符にして、今を蔑ろにするのもまた、すごくバカげている。

 

生命の終わりはいつだって突然で理不尽だ。あの先輩がこの世を去ったとき、僕が受け取ったのは、ある意味平等だが残酷な真理なのかもしれない。

 

ということで、書いている内にマジで周りから音が消えるほどの静寂に至ったのだが・・

冷静に「死」を見つめれば見つめるほど、「自死」は無いなと確信しつつある。

 

運命とやらに運ばれたうえで、人類の歴史という巨大な建造物に、せめてレンガの一つでも積んでから、その上で死にたいと、改めて思った。

 

どうせなら、したいことは色々ある。遺伝子は無理だが、何かを遺したいという想いはある。痕跡ではない、何か。簡単だが、答えるのが難しすぎる問いだ。

 

また近く、萩にでも行って、志を貫いて散っていった僕より年下の人たちの思想に、触れてみようかな。何か大切なヒントを受け取れると信じながら。

 

では、今日はこの辺で。

 

 

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