診断が出てない以上あまり妄信めいたことを言わないように気を付けているが、僕はASDの典型症状がいくつか自分に当てはまっていることを、確かに実感している。
例えば自分のルーティン(想定)が何らかのアドリブで崩れると、とてつもなくイライラすることはしばしばである。こういう拘りへの阻害は、典型的な特徴の1つなのだ。
そういうのもあって、世間一般で提唱されるライフハックの術が、そのままだと自分に合わないという違和感もずっと抱えている。70点は取れるが、それが限界なのだ。
だから色々試行錯誤を重ねており、合っていると感じたらさらに工夫を重ね、よりカスタマイズし、合ってないと思ったら、人気の手法でも躊躇いなく捨て続けている。
そんな日々を重ねて、最近色々と手応えのあるやり方を開発するに至っている。今日はそれらの整理を兼ねて、記事に一旦まとめようと思う。
マインドマップ・アウトプット
自分で言うのもなんだが、僕の脳内は四六時中がなり散らかしており、寝ているとき以外はいつも何かを考えているか、刺激に反応しているかで消耗している。
最近は脳疲労が段々抜けなくなってきており、8時間近く寝ても、主にメンタルの疲労が抜けないような感覚が一定値以下に下がらなくなっているくらいである。
その最中でも、確かな効果を実感したのが、そのとき頭の中に渦巻く全てを、マインドマップ方式でメモ帳に書き殴るというやり方だ。
面白いのだが、どれだけ派生させても、手が止まる頃には「あ、こんなもん?」と拍子抜けするくらいのところにまとまり切るのだ。
ぶっちゃけ、あらゆる気分転換・ストレス発散の方法の中でも、僕にとってはTOP3に確実に入るくらい、頭がすっきりするし、即効性・持続性共に高い。
本当に思いついたところですぐにできるように、最近はベッド、家のPC周り、職場のデスクにメモ帳とペンを必ず置いているほどである。
大袈裟でもなんでもなくQOLを高めてくれるほどだと感じるこの方法、毎日5~10分は取り入れてほしいと感じている。
ブロック乱数・ポモドーロ・テクニック
近年稀にみるほど爆発的に、僕の作業効率を高めてくれた方法だと感じている。内容としては、このnoteで紹介されていたものを自己流にアレンジしただけなのだが。
その方法は、ざっくり言うと以下の4ステップで構成されている。
①タスクリストの作成
その日にやらなければならないこと、したいことを、とにかく箇条書きで列挙する。僕は今現在、LINEのKeepメモを使っている。(その内サービスが終了するそうだが)
②グルーピング
そこで書き出したタスクを、ある程度の法則・共通点に基づきながらグループ分けしていく。個人的には、ここが最も大切なステップだと感じている。
区分けのルールはオリジナルで問題ないと思うが、僕は例えば「席についてできること」「立ち歩きが要るもの」「他者への依頼が絡むもの」といった感じで分けている。
③番号を振る
そうやってグループ分けしたら、そのグループ自体に番号を僕は振っている。例えば「席についてできること」というグループに、①という番号をつける感じだ。
そしてそのグループ内のタスクにも、「1」といった番号を振り分ける。イメージし辛いので、今日のタスクリストを簡単に紹介すると、こんな風になる。
①
1数値目標再考
2授業のネタ考案
3ブログを書く
4ASDについて勉強する
④乱数メーカーを回し、ポモドーロ・テクニックで処理をする。
最後に、ポモドーロテクニックの出番だ。大事なのは乱数メーカーを回し、出てきた数字をつべこべ言わずに処理をするという取り決めをきちんと徹底することだ。
僕は↑のサイトを使っているが、ランダムな数字さえ作れれば、アプリでもなんでもいいと思う。そしてその数値の振られたタスクが終わったら、その項目を削除する。
そしてまた乱数メーカーを回し、終わったら、消す。これを愚直に25分繰り返すだけなのだが、同じ性質のタスクに分けたのもあり、気持ちいい程サクサク終わるのだ。
以前はタスクの質ごとにグループ分けをすることなくひたすら乱数を回していたが、どうにも非効率なときがあるという感覚を、実は持っていた。
それを綺麗に昇華できる方法として、とても素晴らしい小技だと、すごく納得している。
瞑想(ただし狙いは本来のそれと少し異なる)
瞑想に一時期取り組んでいた。その際は結構手応えがあったというか、その効能として紹介されていたアレコレを、実体験としても得られたと感じている。
ストレスや不安の軽減
集中力や注意力の向上
感情のコントロール能力の向上
記憶力や学習能力の向上
痛みの緩和
免疫力の向上
特に強く感じるのは、太字にもした「感情のコントロール能力の向上」である。些細な刺激でネガティブな感情を想起することが多いだけに、この恩恵は大きい。
これは別に、怒りを即座にニュートラルに置き換えられるといった極論ではなく、単に”気付ける”ことが増えたという方が正確なところだ。
例えば「ん、俺は今苛立っているな」というのを察知できて、静かなところで少し休んだり、紙に書き出して整理したりと、対策を打てるようになったという感じだ。
感情自体を即座に別のモノに置き換えられるなんてのは、フィクションの中の話だ。現実的には、こういう察知➡置き換えでも十分有難いだけに、僕は結構満足している。
終わりに:今なんとかしたいこと。
そんな風に色んなライフハックを見つけたり開発したりできている中、今のところ全く手応えが無いものが1つある。それは、不快な刺激によるダメージを減らす方法だ。
僕はどうやら聴覚における感覚過敏があるようで、主に特定の音に対し、強いストレスを感じる場面がとてつもなく多い。
例えば、怒気を含んだ人の声、ドアを強く閉める音、ぐずる子供の声、物をガシャンと落とす音、その辺が滅茶苦茶嫌いで、嫌悪感・苛立ちをすぐに覚えてしまう。
この不快感情はなかなかに厄介で、1日の中で波のように強弱をつけながら、短くても1時間、長ければ寝て起きて翌朝の時点でも持続するくらいである。
毎日こんな風に他者から見れば些細なことでイライラしているのが僕なのだ。結果人より疲弊する度合いが強く、ガス欠に至るまでが本当に早い。なんか情けなくなる。
ぶっちゃけ、クモが生まれつき大嫌いな人が、それを大好きになることはほぼ無いように、不快と思うその対象自体の解釈を変えることは不可能だと僕は諦めている。
ならばどうするかというと、結果出てくる症状をもっと上手にケアするしかないのではないか。そう考えている。
では具体的にどうやって?・・この答えが、今のところ全く掴めていない。不思議なもので、仏教哲学・ギリシャ哲学を探しても、ヒントになりそうなものが見当たらない。
僕の思索が甘いだけだと思うが、科学的なやり方をもっと探した方がいいのかも含めて、今は良くも悪くも五里霧中という感じである。
これは何か手応えがあったら、忘れる前に書き残しておく次第である。では今日はこの辺で。