精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

僕が思う英語の長文読解が得意な人の共通点を、今さら書いておく。

自分で言うのもなんだが、僕は英語のテストにおいて、一番得意なのは長文読解だ。(一番苦手なのはリスニング)

 

実際かつて英検準1級を受けたときも、リスニングは平々凡々、合格者平均点とは正答率が10%くらい違ったのだが、リーディングは38問当てており、我ながら引いた


1級のときも、スコアシートを紛失したので自己申告になるが、一次のリーディングの正答率は83%だったことを覚えている。(リスニングは70%きっかり)

 

そんな僕の読解法は、別にオリジナリティ溢れるやり方でもなんでもない。かつて通っていた大手予備校で知った現代文の読解法を、英語で使っている感じである。

 

そしてこの読解法は、英語の長文読解が得意な人の間では、かなり共通する考え方なのではと最近は考えている。それくらい、長文を得手とする人の思考は似ているのだ。

 

今日はそんな共通点を、ネタが尽きた今、しれっと文字にしておこうと思いヤス。

 

 

長文読解において、基本的だけど、意外とやってる人がいない考え方。

 

いきなり英検の長文セクションの過去問か何かを渡して、「じゃあ2分間でできるだけ解いてみて」とだけ指示を出すと、結構クッキリと2つの特徴が出ると感じる。

 

それは、小問が1つ解ける生徒と、「まだ読んでる途中だったのに」という顔をする生徒だ。この差は、単に速読力があるとか、そこじゃない部分にも原因がある。

 

後者は大体、長文は文章を一度”全部読んでから”解くことが、無意識下で癖づいている。そしてこれは、長文読解ではあまり好ましくない構え方なのだ。

 

早ければ小6や中1の国語で習う話だが、文章を一つ小さい単位に分けると、段落になる。つまり文章とは、段落の集合体なのだ。

 

その段落1つ1つが働きを持って組み合わさることで、文章という巨大なメッセージを読者に伝えていく。そう考えると、僕らが読み取るべきは、むしろ段落の方なのだ。

 

レシピの各工程を丁寧に再現していくことで、気付けば料理という完成したものができている感じに近い。その際は全体像より、区切られた部分部分の理解の方が大事だ。

 

そして、特に英検は顕著にそうなのだが、共通テストをはじめ、各都道府県の公立高校入試なども、段落1つに小問1つのペースで問われていく傾向がとても強い

 

だからこそ、一気に読んで全ての内容を把握し、また最初の方を思い出しながら設問に答えるなんてのは、超人の技なのだ。再現性がなく、また、する必要もない。

 

段落を1つ読んだら、設問に1つ答える。これを愚直にできる人ほど、頭に余計な負荷を掛けずに問題を解けるという意味で、他の人よりラクに解けるのだと感じている。

 

ただしこれに関して、なまじ国語や英語が得意だった人ほど、小さい頃の成功体験が捨てられず、一気読みが定着してしまっていることがある。

 

実際僕が受け持った生徒にも一人、高3でその考え方をしている者がいた。その子に段落解きを教えたところ、「すごく解きやすい!」と嬉しそうだったのを覚えている。

 

ということで、「段落を1つ読んだら設問に目を通すこと」は、長文読解を攻略する基本スタンスだけど、意外とやってる人は少ないと、僕は勿体なく感じている。

 

「合っている」「間違っている」の雰囲気を言語化する。

 

これまた同意が得られず寂しいのだが、長文読解が得意な人のマーク式試験の問題用紙は、大体いい意味で汚い

 

例えば選択肢の番号も、合っているモノに〇が付いているのは勿論、間違っているモノにも斜め線や✖がちゃんとついているのだ。


これはすなわち、全ての選択肢の正誤をきちんと検証したことの証左であり、ぶっちゃけこのようにして隅々まで読む人の方が、速いし、正答率も勿論高い印象だ。

 

僕は長文読解(特に共通テストのような内容一致問題)について、「正解を選ぶゲーム」ではなく、「違う3つを消すゲーム」という風に考えている。

 

公務員試験の裏技をまとめた問題集にも書いてあったが、間違っている選択肢ほど堂々としていて、正解の選択肢ほど魅力に乏しいからだ。

 

誇張すれば、本当に以下のような温度差を、僕は英検なり共テなりセンター試験の過去問なりから、感じている。

 

1 3に3を掛けたらな、12に絶対なるんだよ!!

2 3に4を掛けると、12になる可能性があります。

3 断言しよう。12になる計算とは、3に5を掛けることだ。

4 ソクラテスも言っていた。3と6を掛け合わせると生み出される数こそ12だと。

 

ちなみに僕は「2」が正解のつもりで書いたが、不正解の選択肢たちも、ここまで胸を張って間違われると、なんか不思議と選びたくなる

 

マーク式の試験の最たる特徴は、これだ。だからこそ、堂々としている選択肢がちゃんと間違っていることを確認し、それを3回繰り返せば、勝手に正解が出てくるのだ。

 

その際僕が参考にしていて、かつ生徒にも伝えているのが、「大体これがあれば間違っている選択肢の特徴」2選である。

 

1 本文に書いてない

2 5w1hがムチャクチャ(だれが、なにを、いつ、どこで、だれと・・がばらばら)

 

本文に書いてない情報は、どれだけ堂々としていようが✖だし、5w1hがムチャクチャなら、本当にそれは正解になってたまるか、である。

 

日本史で言えば、間違っている選択肢は、実はこれくらい露骨だ。

 

894年、坂上田村麻呂藤原道長と協力して蘇我蝦夷を打ち滅ぼした。

 

「いつ、だれが、だれを、どうした」がぐちゃぐちゃ過ぎて笑えてくる。語句一つ一つは本文にもちろん書いてあるが、繋ぎがバグりすぎなのだ。

 

大体この2点が含まれる選択肢は、その時点で容赦なく切り捨てるくらいで丁度いい。酷ければ、最初の3単語くらいで切れることもザラである。

 

―そして、正解の選択肢の特徴は、マジで突き詰めればたった1つだ。それは、本文の記述が抽象的に言い換えられていることである。

 

正直、内容一致問題の得点力とは、とある選択肢が書いてないことなのか、それとも実は言い換えで本文の記述を述べているのかを選り分ける力に等しいと思っている。

 

そしてこの抽象的な言い換えとは、これまたすごーく露骨だ。慣れてくると本当に、「なんやこの分かりにくい選択肢。じゃあこれが多分正解か」と思えてくる。

 

これに則って、ドラえもんという作品を言い換えると、以下のレベルで露骨にふわっと書かれるようになる。

 

ある小学生は、勉強を不得意としているのだが、ふとしたきっかけであらゆる摩訶不思議な道具を扱える未知のロボットに遭遇し、日常に影響が及んでいく。

 

・・・ここまでわかりにくくできるのかよ、と感動する気持ちさえ湧いてくるほど、”正解の選択肢”は、表面上曖昧模糊である。

 

これらを組み合わせて、間違っている選択肢をサッサと消してから、残ったものにちゃんと抽象的な言い換えが発生しているか確認し、していたら、選べばいいのだ。

 

余談だが、この露骨に抽象的な選択肢は、英検準1級の読解問題でよく見かける。(他には共通テストの追試や、2010年以降のセンター試験など)

 

気になる人は、その辺を教材にして授業をしてみてはどうだろうか。

 

―ということで思ったより文字数がいったので、今日はこの辺で。