精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

仕事を生めないマネージャーはゴミクソだと猛省し、どぶ板営業をかけようと思います。(※ただし頭は使ったうえで)

やはり空き時間が長いと、猛烈に意味もなく焦ってくる多動症・中元です。

 

はい。最近、自分が経営者になるとして、欠けているモノはさてなんだと、猛烈に自問自答することが増えた。そして決定的に足りないものが1つ、突き付けられている

 

それは、仕事を生む力だ。塾講師の仕事とはつまり授業であり、その機会を生み出す力に、僕は極めて乏しい。そういう自覚がある。

 

だが大事なのは、自覚したうえで何とかしようとすることである。だから、結局ごちゃごちゃ考えず、「どうやったら問い合わせくんねん」というのを調べている。

 

その結果必要だとわかったことは、どぶ板営業ともいえる、泥臭い時間と労力。これに尽きるということだ。

 

今日はその覚悟と、それに関して僕が抱える組織の末端という立ち位置のめんどくささについて、半分愚痴を添加しながら語りたいと思う。

 

 

カッコイイ集客なんてできるわけがない。

 

広報と言うと、僕も不思議だとは思うのだが、なぜかインフルエンサーの戦略を参考にしたくなる。

 

SNSをバズらせて、圧倒的知名度を得て、集客し、オフラインへ・・・・・・うんぬん、かんんぬん。だから見様見真似でSNSを始める、と。なるほど、先の見えた戦いだ。

 

地方塾に身を置いているとよくわかる。こういったオシャレな集客方法から、問い合わせが来たことは全くない。マジで無い。全く、無い

 

つまり、取るべき戦略として、全くもって的外れということなのだ。ちなみに、この理由を説明するのは、死ぬほど簡単。

 

地方(人口20万人程度の都市)はまだまだ雰囲気としては保守的であり、革新的なサービスが普及する土壌がマジで整っていないためだ。

 

例えば脱毛サロンなどは、都会だと知名度をばっちり得ているが、僕が住んでいるエリアで発見するのはかなり難しい。Uberも全く走ってないほどだ。

 

だからこそ、繁栄しているのはそもそも長いことその土地に根差した企業か、歴史の長い大企業の支店ばかり、という状況なのだ。

 

これをアーダコーダ言う前に、現実がそうなんだから、さっさと受け入れて手を考えねばならない、という話である。

 

ということでそれを踏まえて、具体的にどうすればいいか?以下、僕の仮説を書き殴っておく。

 

画期的な手はまず通じないという現実を認めよう。

 

こんなレッドオーシャンでも生徒数を稼げている校舎には、やはりある程度の共通点が見て取れる。中には身も蓋もないやつもあるが、まとめるとこんな感じ。

 

① 大手塾。

② SNSを活用している。

③ 中で何をしているかが見れるツールがある。

④ 講師と生徒の仲がマジでいい。

 

という具合。僕はこれらの共通要因を、今のところ【安心・安全が担保された場】という風に考えている。

 

要するに、お客様目線で見たときに、「不安」とか「手間」という部分が徹底的に潰されているということである。意識的にせよ、無意識的にせよ、だ。

 

そして地方塾における【安心・安全の担保】が成されている証拠こそ、僕は口コミだと考えている。

 

完全新規の入塾に見えても、実は紹介を受けていましたというケースが非常に多い。むしろ、繋がりなき入塾とかあり得ないんじゃないかという風にさえ思えてくる。

 

そういった口コミを起こすことが大切なのは百も承知だが、それをどうやって起こすかについて本気で考える人は、びっくりするほど少ない。僕はそう思う。

 

―となれば、逆に言うと、これをキチンと意識した広報活動を考案し、実施することこそが、確実にして最短の方法だと言えるわけで。

 

だがその方法は、技術の進化や世の中の雰囲気に応じて、変化し続けている。魚釣りと同じで、どの策がハマるのかを知るには、まず手を打たねば始まらないのだ。

 

そうして外れれば、次の手を試す。対照実験を繰り返すことは、やはり大切だ。そんなこと、これこそ骨の髄からわかっている話なのだ。

 

なのだ、が。こういう特性があるからこそ、末端社員には厳しい現実が、ここに峻厳と聳え立っているともいえる。

 

ってことで、こっからは愚痴。読んでも面白くは無いので、ここで切っていただいても大丈夫でーす。

 

新しい手は理解されないし、失敗は絶対に許容されない。

 

自分が勉強したこれらのことを踏まえ、僕はある広報の提案をしたことがある。ただそれは、何度か書いたが、見事に既読スルーされてしまった

 

もちろん根回しが不足していたのは僕の落ち度でもあるのだが、理由は単純に、前例がないからというのと、内容が理解されなかったというところなのだと思う。

 

結局、特に何も検証・反省することもなく、「ポスティングいきまくりましょう」みたいな案に着地したときには、少し身震いするものもあった。

 

新しい手は理解されないし、失敗は絶対に許されない。責任を僕が取れないというのは、良いことに思えて極めて不自由なのである。

 

―ちなみにそれに苛立って、自分が考えていることを会社の許可なく実行してみたこともある。ただし序盤でバレてしまい、信じられない温度の怒りを食らった

 

言葉にするのを避けてきたが、ぶっちゃけこのままでは、僕の勤めるところは確実に泥舟となる。僕はそれの巻き添えは食らいたくない。

 

立て直す方向でしばらく頑張ってみたが、その努力はどうやら目障りに映るらしい。その悟りこそが、独立を誓う一番のきっかけになったと言える。

 

―ということで、ここで感じた違和感については、また別の記事で言葉にしておこうと思う。

 

では、今日はこの辺で。

 

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