精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

僕が見ている世界は、他の人より”忙しい”のかもしれない。

先日、自学の一環で、発達障害当事者の方のnoteを読んだのだが、それがきっかけで初めて、自分の中に生じた疑問がある。

 

それは、「え?こんな風に世界が見えるのって、当たり前じゃないの?」というものだ。特にこの図はまさに、僕が見ている景色に、かなり近い。

謝っている発達障害の当事者が同じミスを繰り返す理由|ゆらり

 

例えば、僕は人混みが嫌いなのだが、その理由は、頭に刺さる情報量がとてつもなく多くて、そこに居るだけでとてもしんどくなってくるためだ。

 

こんな風に、僕が見ている世界は、他の人より実は”忙しい”のかもしれない。これは感受性とも取れれば、特性によるハンデとも括れる。つまりどちらでも”ある”のだ。

 

だから今日は、僕が見ている・感じている世界を、色んな時間軸から観察し、言葉に起こしておく次第である。

 

 

僕の思考はとてつもなくフラクタル

 

自分で言うのもなんだが、僕は常時、1人で連想ゲームを行っている。しかもそれは、猛烈な勢いで拡散する。

 

例えば、街を歩いているとする。すると、たまには読者モデルのような美貌の持ち主とすれ違うことがある。それがトリガーとなり、僕の脳内問答が”自動的に”開始される。

 

「すげぇ美人さんがいるなぁ」「横に居るのは彼氏さんかな?旦那さんかな?」「どちらにせよ、あんな人とお付き合いできるなんて、すごい人に違いないな」

 

「羨望の的になる人の隣にいられる資格を得るには、年収いくらくらい要るのかな」「大体2000万円くらいかな」「同じに見えるけど、俺とは住む世界が違うんだな」

 

「そういえば、今見えるマンションに住んでる人も、年収で言えば最低値で600万はあるんだろうな」「すごいな、同じ人間でも、ここまで差って生じてくるんだ」

 

「周りの宝石店とかから見れば、俺って顧客層に入っていないんだろうな」「俺は高級なもので周りを飾らなくても、別に幸せなんだけどな」「不思議だな」

 

「年収2000万円あったら、美人さんとの交際と、高級車の購入、俺はどっちを選ぶだろうか」「いや、その二択じゃないな、家でも買いたいな」・・・・

 

という感じだ。そしてこれまた自分あるあるなのだが、この数珠繋ぎの例で行くと、僕は最初のきっかけから終わりのとこまで、一気に飛躍しちゃうことも多い。

 

「ねぇ、今の人すっげぇ美人だったね」と人から言われて、「そういえば俺、一軒家探しとるんよね」と想起する感じだ。

 

昔はそれを口に出していた。今はそれを口に出すと引かれるから脳内で止めているだけだ。つまり、思考そのものはあの頃から何も変わっていない

 

ところでさっき、「人混みは情報量が多くてしんどい」と書いた。それこそまさに、一人一人の顔、身なり、並んでいる店の佇まい、全てがカットされずに飛び込んでくる

 

そしてその情報一つ一つが、フラクタル構造のように、連想ゲームを開始する。さっきは美人さんを例にしたが、こんな問答はぶっちゃけ、四六時中発生しているくらいだ。

 

スーパーで見つけた真新しい食材。生徒の様子。コップの手触り。外を走る小学生。視界の端を横切ったハエトリグモ。ちょっと節くれだった親指の爪の端の皮。

 

その全てに、僕は反応しようと思えばできる。というか、多分潜在意識ではしている。それが顕在化しなくなったのは、単に理性を司る部分が成長しただけではないか。

 

未だに散歩をしていても、昆虫・爬虫類・両生類が視界に入ると、例えばそれが「虫」ではなく、ハラビロカマキリ」という情報として、意識の上に浮かんでくる。

 

ならば「ハリガネムシが寄生しているかもしれない・・」というところまで一瞬で派生していくが、最近はそこが意識的にカットできるようになってはきている。

 

こういうのを考えると、世間の人が「なんでそんなことが気になるの?」という疑問を僕に向けてくる理由が、少し納得できてきた。情報量が違い過ぎるのか、と。

 

例えば、「イイと思った女の子には話しかけろよ!細かいことは気にすんな!」というアドバイスを言われたとしたら、僕の頭には以下の思考がパッと閃いてくる。

 

「好意のない異性から声をかけられたらセクハラって事例もあったっていうし」「そういえば昔行った合コンは唐揚げ数個とビールに5000円払ったから二度とごめんだな」

 

「『嫌われるメール』の例があったけど、学生の頃は全く無意識で、そのテンプレ通りのヤツを女子に送ってたなー」「思い出すたびにマジ死にたくなるなぁ」

 

「というか結婚市場の価値を考えると、俺はゼロで相手は年収数百万レベルの差があるし」「恋愛・結婚に参加資格があるのは、それこそハイスペックの人だけだ」

 

「自分のシャイなところを取り払ってその人に声を掛けたとして、得られるものはなんだろう」「それはこのリスクや投資に見合う価値を自分にもたらすか?」

 

「異性と過ごすよりソロキャンプ行ってる方が安定して面白い気がするなぁ」「てか性嫌悪症だから色々無理だったわ、俺」

 

これらを一通り終えたら出てくる結論。それは決まり切っている。・・・「いやぁ、面倒だからええわ」なのだ。それを聞いた相手は、ただ肩を落とすだけである。

 

そして今日、たまたまだが、自分がしなければならないことが同時多発的に頭に浮かんだ結果、本気で具合が悪くなるところまで行ってしまった。

 

未来、過去、現実、想定、全ての軸を混ぜこぜにした”刺激”の塊に気圧されて、キッチンで数分、本当に固まってしまったのだ。

 

脳のリソースを100とすると、大抵の人はその内50くらいを、1つか2つの対象に振り分けて、意識を集中できるのではないかと思う。

 

僕は、5~6個の項目に、30ずつくらい割り振って意識を向けてしまう様な感覚がある。なんにも対策しなければ、100という上限を超えて、思考がスパークして停止する。

 

僕が感受している世界は、こうも忙しい。だからこそむしろ、他の人の世界って、どこまで静かなんだろうか。羨望も嫉妬も通り越して、すごく興味がある。

 

そしてあなたが見たり感じたりしている世界は、世間の人の水準より、とても賑やかなのかもしれない。世間一般の助言があなたに通用するか、自省してみてはどうだろう。

 

ちなみに、僕はそういう思考自体は”強み”として受け入れたいのだが、だからといって無制限に発動させていると、万華鏡写輪眼みたいに物凄く体力を食っていく

 

そこで最近試しているのが、日常の動作に意識的になって、自分の身体に思考を集中させることである。

 

例えばこのブログを書いている今も、胸椎を張り、肩甲骨を下制させ、イスの背もたれに骨盤下部と肩甲骨付近が当たっているのを意識しながら、キーボードを叩いている

 

それでも思考が拡散しがちなら、呼吸を6秒で吸って、6秒で吐くという風にして、更に意識を自分に引き戻している。

 

これがなかなか機能しているし、それが転じて、例えば古武術の身体の動かし方や呼吸法などにも興味が湧いているので、色々と副産物が大きい。

 

拡散するなら集めればいい。少し頓智のようなオチだが、お困りなら試してみても良いかもしれない。

 

では今日はこの辺で。

 

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