精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

アスリート的な考え方は、考えすぎの人ほど相性がいい。

ここ最近、ショート動画に「平良海馬」選手のスパチャ切り抜きがよく流れてくる。プロ野球選手のゲーム実況という異色の組み合わせに、気付けば眺めていることが多い。

 

その考え方を見ている内、ふと気づいた。それは、良くも悪くも卑屈にならないというものだ。自責という感情論に振れず、冷静に自分の状態を俯瞰している感じだ。

 

と同時に、この考え方が初見ではないという感覚がある。すぐに気付いたが、これは【大局観】【熟達論】【やるか、やるか】といった本にあった考え方と同じなのだ。

 

つまり、アスリート(競技者)に共通するマインドなのだと納得できた。そしてその考え方は、僕のように考えすぎる人にとって、実はすごく相性がいい。

 

今日はそんな、アスリートのメンタルを移植してみようというススメである。

 

 

改善点を責めるのではなく・・・・・

アスリートの考え方の特徴は、抱えている課題への向き合い方に、色濃く出る。例えば、「なんでこれができないんだろう……」ということを、彼らはほぼ考えない

 

その言葉選びを見ていてもすぐに気付くが、「できない」ことは認めつつも、「ではどうするか」にまで、即座に意識を進めるのだ。

 

そして、目的と手段の切り離しも、ものすごく上手い。勝つという明確な目的を持っているからこそ、手段に振り回されて自分を見失うことがとても少ないように思う。

 

野球で言えば、投手で球速があることも変化球が多彩なことも、全ては「相手に打たれない」ために使う武器である。

 

逆に言えば、打たれなければそれでいいので、場合によっては「低めに集めて打たせて取る」といったアドバイスが強く生きることもある。

 

僕もそうだが、配られたカードが理想的なモノでないことを悔やむような無駄な時間を過ごす人がいる。カードの引きは目的ではなく、ただの環境だ。

 

どうやって勝つかは、そこから作戦立てを始めなければならない。やはり、課題を見つけたらすぐに「目的」と「手段」を切り離す構え方は、見習うところが非常に多い。

 

前向きに”考えすぎよう”。

本来、目的ありきでその途上をあれこれと考えるのは、実はとても面白いことである。

それを辛い、苦しいと構えていると、人生の99.9%は悲惨な時間になってしまう。

 

例えば僕は魚釣りをするのだが、その翌日に決まって右手首が痛くなるのにここ1年悩んでいる。これを加齢と考えれば話は楽だが、そんな結論はくそ面白くも無い。

 

仮説を色々考えたが、今のところ自分の中で「これかもな」というのが1つある。それは、右肘・右肩甲骨の可動域が左に比べて狭いことだ。

 

以下のサイトに載っている動きについて、左腕は手首を固定したまま、肘をぐるぐる回すことができる。だが右腕は、非常にぎこちないし、肘が内側に入ってこない

igs-kankan.com

 

壁に掌を付いたとき、左肘は地面を向く。だが右肘は、地面に対して45度の角度に開く。僕は身体をケアしている方だと思ったが、左右差は思ったより大きく、驚いた。

 

この可動域のズレが、手首なり前腕の筋群なりに影響し、痛みになっているのではないか。今の仮説はここだ。となれば、痛みについてのアプローチも変わる。

 

しばらく肘の可動域を高めるストレッチを行い、前腕のハリなどの経過を観察する。それ次第でまた、打つ手を変えるかもしれないし、直ってハッピーかもしれない。

 

こんな風にすれば、考えすぎというのも立派な強みとなる。目的を見据えたら、その手段について考えすぎるくらいが、丁度いいように僕は感じている。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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