ここ最近、心身の調子がそこまで良くない。具体的には、将来の不安・過去の黒歴史は普段以上に気になるし、お腹もゆるゆるでしょっちゅう下している。
慢性疲労とは、こういうことだろうかと、うっすら思っている。これは原因が不明瞭かつ複合的ゆえに、改善が凄く長期戦だと聞いたことがある。色々と絶望的だ。
そうやってある意味悶々と過ごしているが、勿論その間何もしてないわけじゃない。できる範囲で運動もするし、睡眠時間も削ってないし、サプリも飲んでいる。
それでもどこかネガティブな感情はずっと付き纏い、最近ルーティンに戻した瞑想を行っていても、それに気を取られることなどしょっちゅうだ。
どうしよう、どうしよう。そんな風に答えが出ない問いを考え続けているわけだが、昨日ふと、それを打ち消し得る方法の、ある仮説が立った。
それは結構劇薬かつ偶発的なモノだったのだが、面白い話かもしれないと思い、急ぎこうして記事にしておく次第である。
メンタルサイヤ人理論。
昨日の教室は、もはや戦場だった。まず、小さい男の子が、問題を立て続けに間違えた結果大号泣。大声で泣き叫び、物を投げたり落としたりと癇癪が爆発したのだ。
このままだと周囲とその子自身に危害が出てしまうため、やむなく無理矢理教室の外に出し、ご家庭へ連絡を取り、帰宅させることにした。
だがその日は同時に、別の手が掛かる子が来校しており、その子の世話もマルチタスクで行わねばならず、頭がおかしくなりそうであった。
そして、送迎に来た癇癪を起した子の保護者に事情を説明して事なきを得て、先に述べた手が掛かる子の指導に集中。
それが終われば、先日問い合わせがあったご家庭2件に、5分でクロージングの電話を入れた後、授業準備をタタっと済ませて、集団授業に入った。
―そんな怒涛の時間を過ごしたもんだから、心の中はぐちゃぐちゃで、身体も激甚の疲労に襲われる・・・と思ったのだが、実際は全く違った。
もちろん最初は疲労が強かったが、家に帰って一息ついて、そのクタクタモードを抜けてくると、びっくりするほど心が穏やかになったのだ。
なんというか、「多少のことでは、俺は殺られないんだな」という謎の自信が湧いてきたのだ。ここまで余計な不安や苛立ちに無縁な時間は、本当に久しぶりだ。
例えるならば、心身を追い詰め切った後、適切なケアと時間を経れば、元の強さ以上になって復活する、ドラゴンボールのサイヤ人みたいなものだと言える。
そしてこのある意味極端な疲労経験こそ、漠然とした疲労や不安に効くかもしれないと、今はそう考えている次第である。
フィジカルもメンタルも、トレーニングで整える。
ここでふと気づいたのだが、メンタルを本当の意味で壊すストレスというのは、「1日なら耐えられるが、それが長期間持続し、かつ改善の目途も無いもの」だと思う。
例えば面倒な人に1日だけ絡まれても、「なんだあのアタオカ」という風に、1~2日嫌な気持ちをすれば基本は記憶から消えていくものだ。
しかし、それが職場や学校、部活といったコミュニティに存在していると、嫌でもほぼ毎日顔を合わせねばならず、それによるストレスが常態化するようになる。
白アリが毎日木を内側から蝕むことで、いずれ巨木も倒れるように、本当に人を病ませるストレスとは、災害・離別を除けば、意外と長期かつ日常的に発生するものなのだ。
一方、例えば1日だけ突風が吹いた日のようなストレスは、一度経験すると、一層根を強く張ったり、幹が太くなったりと、成長のきっかけになることがある。
それゆえ、強いストレスと、回復の期間がセットになった日々を送ることで、慢性的な疲労ではびくともしない、強くしなやかな心と身体になるのではと、僕は思う。
例えば毎日80㎏のバーを担いでスクワットをし続ければ、1ヶ月もしないうちに関節がぶっ壊れるだろう。
だが、筋トレをした後、しっかりと栄養・休養を取れば話は変わる。筋肉は太くなり、関節は回復し、動作も上手くなって、つまり強くなるのだ。
そういえば最近、僕は疲れていることを言い訳に、運動やタフな仕事に対して及び腰という感じがある。これは疲労というより、単に億劫になっていただけなのではないか。
本当にオーバーワークであるなら、もっと別のところで不調が起こるはずだ。もしかして僕は今、単にだらけた日々を送っているがため、色々だるいのではなかろうか。
バリバリ仕事をする人は、皆すべからく元気だ。これは元気だからそうできるというより、やってるうちに元気になるという側面もあるのではなかろうか。
しばらく、自分の心身に”良い”負荷をかけるにはどうすればいいか、日々試して実行してみようと改めて思った。
では今日はこの辺で。