精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記180】"PSYCHO LOGICAL"読書感想ブログ⒖ ~さようなら、それまでの自分~

僕は何かに依存しているのだろうか。日常生活からこれが無くなったら死ぬというものはあるだろうか。少し思い巡らしたが、特になさそうだ。

 

仕事や健康は、依存とは違う。酒も実際、止めようと思えば2ヶ月程度断酒はできる。では友人は?‥僕にとっては、独りでいることも、むしろ心落ち着くとさえ感じる。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

依存。この恐ろしさは、その辛さ、苦しさが、周りにそのままの濃さでは絶対伝わらないことだ。自分の脳が、脳によって、別物に変わっていく感覚。

 

パンドラの箱という感覚もあるが、今週もこの依存について、客観的に読書を行っていきたいと思っている。

 

 

5月27日(月) 脳を支配する公式。

 

本能は案外シンプルな公式で動く。それはあまりにも純粋な子どものようなものだとさえ、僕は思う。

 

勉強はつまらない。時間に対して、得られるものがとても少ない。だから、なるべく避けよう。

 

一方、ゲームは楽しい。やればやるだけ夢中になれる。だから良いものだ、もっとやろう。

 

脳はただ、その人にとって快の感情をもたらすものを増やそうとしているだけだ。とてもシンプルな原則。だから時に、過つのだ。

 

「楽な方に流されない」という教えは深いことが、これを考えてもよくわかる。

 

5月28日(火) 塗り潰される「じぶん」。

 

「依存」が深刻になってくると、自制すべき場面でそれができなくなっていく。自分の生活が苦しくなるならまだしも、最悪の場合、法を犯したり人に危害を加えたりする。

 

酒やドラッグを得るためには金が必要だが、仕事をしてもすぐすぐには手に入らない、ならば奪おう。こういう思考に、脳がどんどん染められていく感じらしい。

 

全てを投げ打って物事にまい進する人はカッコよく思えるが、「依存」と同じメカニズムだと考えると、どこか踏みとどまってしまうところがある。

 

塗り潰されていく自分。依存によって削りに削られた結果、最後にその場に在るものを、人は「自分」と呼べるのだろうか。

 

5月29日(水) 鎖を千切られた「じぶん」。

 

依存症になると、なぜ止められないのか。これは、脳のあらゆる機能が依存性物質に上書きされるためと書いた。

 

不可逆な変化を経た後だと、むしろ止めたり戻したりする方が不快極まり無いのだ。報酬系を制御する部分が壊れている。

 

例えば一時期特定のお菓子や音楽にハマった時期が、皆様もあるのではなかろうか。僕もいくつか、心当たりがある。

 

だが、それが長期間続いている例は希だろう。大抵長くても数ヵ月で飽きて、気付けば一切触らなくなる。

 

報酬系もまた、飽きによって、本来はコントロールされるのだ。それがバグると、一気に依存へと突き進む。

 

5月30日(木) 快を生まねば脳はやらない。

 

快楽物質に依存してしまう理由は、摂取自体がとてつもない快の報酬になっているためだ。人はやはり、褒美が無ければ、物事に取り組めないとみていい。

 

ただしその褒美は人によって全く異なる。例えば、この仕事を乗り切ったら臨時ボーナスが入ると言われれば僕は頑張るが、モテると言われたら逆にやる気をなくす。

 

自分にとって、何が快の刺激になり得るのだろうか。それが判っておけば、その要素を盛り込むことで、いい意味で自分の習慣をハックできるようになる。

 

依存というテーマを通じて、自分を好ましい方向へ持っていくにはどうすればいいかを学んでいる。

 

5月31日(金) 自分なりの嬉しさを知る。

 

発達障害・非行少年を対象に指導に当たる方の言葉をよく読む。その内容ともリンクしているのが、成功体験の希薄さが、学業を妨げるという考え方だ。

 

特に勉強が苦手な子や、高い理想を押し付けられ続けた子、あるいは特性ゆえにプライドが高すぎる子は、成功体験を自ら潰して、無力であることを証明しようとする。

 

努力に対する快の刺激が、日々減少し続けている。やっても面白くない、報われない、褒められもしない。こうなると、非行や無力感は加速し、戻ってこれなくなる。

 

これは状態として、逆の依存症ともいえる。できないことがむしろ快いという感覚になることで、努力自体が不快な刺激になってしまう、と。

 

それを打破するのは相当骨が折れる。それこそ専門家を介入させるくらいじゃないと、直ってこないそうだ。

 

自尊心をへし折る声掛けをするのは、正直この上なく簡単だ。だがそんなのは復讐モノの漫画を読んで、そこで発散しておけ、という話になる。

 

このラインを超えたら講師・教員としてというより、人として終わる。しかと肝に銘じなければならない。

 

6月1日(土) 依存を上書きする”コツ”。

 

依存症の治療法は色々あるが、その説明の中で一つ面白いことを知った。少し思考実験めいているが、紹介してみよう。

 

例えばタバコを止めたいという人がいる。この人にとって効果があるのは、ニコチンが薄く含まれたガムを噛む、タバコ風の水蒸気を吸う、どっちだろうか。

 

もちろん個人差はあるが、実は、成分の摂取よりも無害な同じ行動を取った方が、上書きに成功する可能性は高いのだという。

 

これは実体験でも感じるところがある。僕は晩酌がなかなか日課から抜けないのだが、いざ止めようと思ったときは、お腹をいっぱいにしてから帰宅するようにしている。

 

酒だろうが飯だろうが、僕は結局、お腹が満たされた感覚が好きなのかもしれない。別にそれによって眠りが浅くなるとか、そういうことは特にない。

 

依存を上書きするには、成分ではなく、似た行動の方が有効。なるほど、興味深い話である。

 

6月2日(日) 実は依存症の異端児たるアイツ。

 

行動そのものは依存症になり得るか。心理学の定義によれば、ギャンブルだけは、そうなのだという。

 

大体の衝動的行動は、ルールや倫理の存在によって抑制が可能だ。窃盗や同意なき性交渉が犯罪になるのもその例だといえる。

 

しかし、一部のギャンブルは合法だ。当たれば快感で、外せば今度こそ勝ちたいという衝動が生まれる

 

自制が効きにくい仕組みが、自然と組み込まれていることからも、ギャンブルの根深さが分かる。そんな気がしている。

 

では今週はこの辺で。

 

 

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