精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記180】"PSYCHO LOGICAL"読書感想ブログ⒖ ~Addiction or Dependent~

自分が自分ではなくなる感覚という言葉を、よく漫画等で見かける。僕はその体験をまだ味わったことがないのだが、依存症はその感覚の一つではないかと思っている。

 

それまでの自分を完全に塗りつぶし、全てを奪い去る。依存症とはその身に宿る悪魔のようなもの。その恐ろしさを形容する言葉が見つからないくらい、ただただ怖い。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

怖いもの見たさという好奇心もあるが、依存症に対する興味自体はどんどん強まっている。酒、タバコ、アルコール、ギャンブル。嗜好品に潜む闇。

 

今週もそれについての学びを深めていこう。

 

 

6月3日(月) 「依存を語るな!!」

 

スマホやゲームは依存症と呼ぶにはあまりにも軽く、タバコや酒は、それらと同列に語るにはあまりにも重い。

 

そういう事情もあって、スマホやゲームに熱中している状態はきちんと別名でカテゴライズすべきという雰囲気があるようだ。

 

無理矢理訳すなら「慢性利用」とかそんな感じらしい。僕はこちらの方が、確かにしっくりくるイメージだ。

 

ちなみに衝動性をコントロールできないこともまた、依存症とは違うらしいが、依存症の人は得てして、衝動性をコントロールしにくい傾向にあるという。

 

頭が痛くなる論理だが、それゆえに心理学者の苦労がまざまざと分かるような感覚を覚えている。

 

6月4日(火) 専門用語が阻む理解。

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依存症の代表格として語られがちなものに、インターネットがある。これもよく考えれば、なかなかに謎だ。

 

例えばオンラインの状態にあり続けたいという話なら、「オンライン依存」と書く方が適切だろう。

 

ついついインターネットに接続して、なんかをダラダラとしてしまうというのは、依存症というより、別に普通のことなのではないか。

 

それに、インターネットに接続している時間の大半は、良いも悪いもラベリングできないニュートラルなそれだ。

 

定義してしまうのは確かに気持ちを楽にするが、思考を硬直化させるリスクもある

 

その好例だと受け止めて、安易に○○依存症などと決めつけないようにしようと思った。

 

6月5日(水) 実は依存がもたらすもの。

 

依存か衝動かを分かつ基準に、面白いものがある。それは、やってて快楽があるか、ないかだ。

 

例えば家を出てから、カギを閉めたかを何度も確かめる人がいる。これは「カギ確認依存症」なのだろうか?

 

このとき、カギをかけたかを確認すること自体に、恐らく【快】の感情は乗っていないだろう。

 

これはどちらかといえば、不安や衝動性の方が、行動原理として適切だと考えられる。すなわち、【快】の感情が、曲がりなりにもあるか、ないか。

 

それを自問自答して、結果「無い」ものは依存症と呼ばないという目線は、なかなかに新しいと感じる。

 

6月6日(木) ”しがみつき”。

 

依存なのか、その人の拘りなのか。依存も拘りも、何かしらを手放せないという意味では同じだ。

 

面白いのが、それらを改良したり、解きほぐしたりするために必要なものが、両方同じということだ。

 

それは心理的な安心と安全だ。例えば依存症治療の施設では、苛立ちを抑える薬も、相談相手も、必ずそこで保証されている。

 

依存症による苦しみを克服したいという想いを持つ仲間もいる。ここまで安心と安全を確保することで、やっと少しずつ、改善ができていくそうだ。

 

自分一人の力で、どこか根性論的な方法しかないと思っていただけに、この見方は新鮮だし、かつ救いがあるなと、嬉しくも感じた。

 

6月7日(金) 快楽自体の破壊。

 

依存症を克服する方法の1つに、それの摂取や利用を強制的に不快にするというものがある

 

例えば、アルコールの代謝を思い切り阻害することで、即座に二日酔い状態を生む薬があるそうだ。

 

こうすれば、酒を飲むことは快楽でもなんでもなく、むしろ罰ゲームと化す。依存サイクルの根本をぶったぎるのだ。

 

ちなみにこの考え方は、日常生活から減らしたいあれこれに立ち向かう際にも、応用が効く

 

ついついYouTubeを見すぎるなら、アプリ自体をフォルダの奥底に封印し、起動をめんどくさくするように。

 

人の脳はどこかワガママだ。満点回答の快楽でないと手が出なくなるという可愛げは、いい意味の弱点だと思う。

 

6月8日(土) Addiction VS Dependent

 

日本語だと区別が難しいが、addictionの類語にdependent というものがある。訳すと両方「依存」になるのだが、厳密には違うという。

 

依存症と診断するのに必要なのは、常習的なそれそのものの利用と、快楽の刺激の存在だ。酒やタバコに当てはめるとわかりやすい。

 

ただ、糖尿病患者にとっての薬はどうだろうか。確かに常習的な利用はしているが、多分快楽で摂取しているわけではないだろう。

 

日本語だとわりかしファジーに解釈されている「依存」という言葉だが、意外とクッキリ区別した方が、正確な理解になる場面もある。

 

考え事をする際の面白い視点になりそうだなと感じた。

 

6月9日(日) Addiction or Dependent

 

痛み止めに頼りきりになるなと、よく言われる。聞けば、痛み止めに依存してしまうからだ、という。

 

この考え方は正しいのだろうか。筆者の立場からだと、これはかなり怪しいのだという。

 

そもそも依存症の始まりは、激しい快楽を味わうことで報酬系がバグることにある。ドラッグの例がわかりやすいだろう。

 

では痛み止めはどうか。僕はよく頭が痛くなるため、イブクイックやバファリンを飲むのだが、確かに快楽のために服用したことはない

 

むしろマイナスをゼロに戻して、苦痛を和らげるためのものだ。それを依存が危ないから、といわれたらなかなかに辛い

 

この辺りは価値観のズレで幸も不幸も生み得る重要なテーマだと感じる。無知は罪なり。なぜかふとそう感じた。

 

では今週はこの辺で。

 

 

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