昨日も書いたが、最近やっぱりイライラが我ながら酷い。それに付随して、実は僕には奇癖ともいえる、ある厄介な思考の特性があり、その発作も普段より酷い。
その特性とは、家のような本来安心して寛げる場所にいると、過去の嫌な記憶が蘇ってきて、勝手にイライラしてくるというものだ。
例えば過去の理不尽なクレーム、自分の不用意な一言で人を傷つけた経験、過去に受けたあまりにも承服しがたい仕打ち・・何故か家に居ると、これらが本当にやかましい。
何年か前に、いい加減この奇癖自体にイライラしてしまい、腰を据えて色々な可能性を調べたり探したりし続けたのだが、手応え感のある解答には至れなかった。
こういう現象は普遍的なものなのだろうか。それとも僕個人にとって頻発するだけの、いわばマイノリティな悩みなのだろうか。せめてそれさえ、分かればなぁ。
今日はさして期待もせず、その解答目指して適当なところを掘り下げていく、そんな記事である。
DNM「ビーストモード発動!!」
試しに上記の話をもっと正直に詳述して、そのうえでChatGPTにカラクリの有無などを尋ねてみた。すると、僕の知識の外にある、ある仮説を立ててもらえた。
興味深い現象ですね!「家で暇なとき、過去の腹立たしい記憶が想起されてイライラする」という状況には、いくつか心理学的・神経科学的な説明がつけられる可能性があります。
以下に考えられる理由を挙げ、さらに問いかけを通じて掘り下げてみます。
1. 心理学的要因
- 未解決の感情: 過去の理不尽な体験や未解決のフラストレーションは、心の中に「未完了のタスク」として残ります。脳は自然とそれを解決しようとするため、特に何もしていないときに思い出しやすいです。
- ネガティビティ・バイアス: 人間はポジティブな出来事よりもネガティブな出来事を強く記憶する傾向があります。そのため、過去の嫌な出来事が「浮かびやすい」仕組みが脳に備わっています。
2. 神経科学的要因
- デフォルトモード・ネットワーク (DMN): 脳が「何もしていないとき」に活性化するネットワークがあり、このとき過去の出来事や未来のシナリオを自動的に反芻することが多いです。特に、強い感情を伴った記憶が優先されるため、フラストレーションや怒りが出やすい状況になります。
- ストレスホルモンの影響: 日常のストレスが蓄積していると、リラックスした瞬間にそのストレスの影響が表面化することがあります。いわば「後追い反応」のようなものです。
3. ルーティンや場所の影響
- 家という環境は「安全地帯」であるため、普段は抑え込んでいる感情や記憶が浮上しやすくなります。特に、起きて1~2時間や帰宅直後は、体が休息モードに移行しようとするタイミングなので、心が「やり残し」に向き合う時間になる可能性があります。
ここで一番気になったのが、【デフォルトモード・ネットワーク】という語句だ。これは一体何なのか。調べてみると、以下のような情報が得られた。
DMNとは、脳が意識的な活動をしていないとき、つまり、ぼんやりしているときに活性化する神経回路です。
医師の伊藤豊氏によると、脳の「内側前頭前野」「後帯状皮質」「楔前部(けつぜんぶ)」「下頭頂小葉」といった部位で構成されているのだそう。
ぼーっと散歩しているときや、コーヒーを飲んで一息ついているとき、とりとめもないことを考えながらシャワーを浴びているときなどに、DMNは活発化しています。反対に、何かに集中しているときには非活性状態なのです。
DMNの主な役割には、「危機への備え」と「情報の整理」があります。
そしてこの記事を読み進めると、すごく端的に僕の状況を言い表している部分が見つかって、正直興奮している。それはこんな内容だ。
DMNの活動を抑制するべき場合もあります。DMNがオンのままだと、脳のエネルギーがどんどん消費されていくためです。
また、DMNが「暴走状態」になると、過去の嫌な記憶や将来への不安が次から次に湧いてきてしまいます。
―つまり僕は、頭がぼんやりしたときに発動するモードの機能が、良くも悪くも”強すぎる”ということになる。さながら部屋を片付けない子に厳しすぎる親のように。
だからこそ、数年前、下手すれば20年近く前の「感情の整理」が済んでいないあれやこれやを次から次へと引っ張り出してきて、現在の僕がただ苦しい、という感じなのだ。
この構図はすごく納得感が強い。確かに僕が完全に心のスイッチをオフにした辺りで、こういったネガティブなことがムクムクと立ち込めてくるからだ。
そしてこの間、僕が何かに集中しているかというと、実はほぼしていない。頭脳労働ゆえ、家に帰る頃はヘロヘロで、とてもじゃないが意識を研ぎ澄ますのは無理だからだ。
さらに言うと、僕は朝に滅茶苦茶弱く、だからこそこの夜型の仕事をしているという事情もある。つまり朝の集中力は、限りなくゼロに近いのだ。
僕の脳のDNMは、こういったタイミングで暴走しがちらしい。となれば、そのモードの解除方法を事前に仕込んでおくと、多少は手綱を握れるということになる。
そこで提案されたのは、細かな筆記開示、読書などの外的刺激が伴うインプット、軽い運動の3つだった。これらはいずれも、”集中”を無理強いせずに促す術っちゃ術だ。
イライラしたときというのは、僕がDMNに囚われている証拠。そして僕自身は、外的刺激に弱いくせに、好奇心ゆえにそれを求めるという思考の癖があるとも思っている。
これは言い換えれば、人よりも色々なことに対し広範囲に興味を持ちうるが、それら一つ一つに対し、桁外れに早く退屈するということでもある。
つまりDMNに切り替わるタイミングが、下手すれば人よりも非常に多いのかもしれない。その繰り返しで僕の脳の回路がゆがんだ形に強化され続けたのだろうか?
・・僕はボーっとする時間を愛でようと、最近誓ったばかりだ。だがそれはよく考えれば、仕事のような集中を強いられる環境下の話だと、限定した方が良いかもしれない。
つまり僕は、本来張り詰める環境で息抜きをすべきで、本来寛げる場では意識的に集中状態への移行を促す何かをした方が良い、ということらしい。
なんと天邪鬼なヤツなんだろう!もうこれは感動さえ覚えるほどの清々しさだ。だが、20年近く未解決だった自分の謎に、やっとヒントを得られて、やはり興奮している。
イライラすることなく1日を過ごしきることは、できないのか!?
この問いの答えは、まさかの「家で忙しくする」ことにあるのかもしれない。堀江貴文氏が提唱した「死の恐怖を忘れるために仕事を詰め込む」という哲学に似ているかも。
これだから自分自身の深掘りは面白い。改めてそう思えた。
ということで今日はこの辺で。