精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【2023年版】合格発表前日の講師の胸の内を、徹底して書き出すエントリ。

去年の高校入試の合格発表前夜、こんな記事を書いた。

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1年ぶりに読み返してみたが、当時の自分が抱いていた感情や胸の内が凄く色濃く書かれていて、自分の言葉なのに熱いものが込み上げてきてしまった。

 

そのときの感情そのものは、既にどこかへ流れ去ってしまっており、今更振り返ってもまた拾うことなどできはしない。そういう意味では、書き残しておいて正解だった。

 

―しばらくその不安と恐怖は込み上げてこなかったのだが、ここ数日、改めてそれらが立ち込めてきて、荒波の如く心を飲み込もうとしている

 

その胸の内を掻きむしって絞り出さねば潰れてしまうほど、現に物理的な苦しささえ感じている。その一方で、食欲さえも、全く湧いていないのだが。

 

ということで自分自身の神経症傾向の強さに呆れながらも、今現在感じている気分を、すっきりするまで延々と書き出そうと思う。

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成功に再現性は無いけれど、成功した人の言葉を読むのは好きだし有意義である。

言葉一つで、物事の考え方がガラッと変わることがある。僕にとっては、「成功はアート、失敗はサイエンス」という言葉がそうだ。

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要は、上手くいくやり方に共通解など無いが、失敗する方法には不気味なほど似通った点があるのだから、学ぶならそちらだ、という感じの話である。

 

この言葉を知ってすぐに得心し、以来ビジネス書を読むときも、上手くいったやり方よりも失敗したときのエピソードの方に意識が向くようになってしまったほどだ。

 

・・・では僕は今、いわゆる成功者の教えについて、上手くいったやり方を全否定しているのかというと、当たり前だがそうでもない。

 

変えたのは向き合い方だ。そのものを拒否するようにしたわけでは無いのである。今日はそんな、謎の話を書いてみる。

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【英文読書ルーティン日記117】"START WITH WHY"読書感想ブログⅥ ~リーダーが創るべき【場】の話~

自分が昇進したこともあってか、この本の内容は、すごく当事者意識をもって読むことができる。目から鱗が何枚落ちたことかわからない。

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具体的にあれをすればいいとかそういうことではなく、抽象的だがきちんと言葉にしておかねばならないところの大切さと、自分の不十分さが身に染みてわかるのだ

 

そして同時に、自分の英語の勉強にもなっている。これほどオイシイ話は、なかなか無いように感じている。

 

ということで今週も、バリバリと読み進めていきましょう。

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気分を切り替えるなら、遠くではなく、近くのそれと切り替えよう。

ふと気付いて、自分のカレンダーを見直して、ゾッとした。僕が最後にフル休みを取ったのは、綺麗に1か月前の話だったからだ。

 

これは会社からそう指示されて連勤を重ねたのではなく、実を言うと、僕自身が強い不安に囚われていることの裏返しである。

 

去年もこの時期は、20連勤から1日挟んで30連勤をやっている。そのときと現在の共通点は、受験と結果発表が繰り返されるシーズンということである。

 

ただ報告を待っているだけでは不安になる。不安になるから、それから逃れたくて、打ち込めるものを探す。その対象として一番手頃なものは、仕事だ。

 

だから別に休んでもいい日でも、無理矢理仕事を捻出しては校舎に行き、穴を掘っては埋めるような作業を繰り返すこともある。なんというか、不健康だ。

 

これは「心の疲れを取る技術」で言うところの「しがみつき」であり、いずれ拗れて精神をすり減らしてもおかしくない状態である。

 

この現象は、元々知ってはいたのだが、自分が嵌っていることには、あまりにも無自覚であった。メンタルの疲労に気付く難しさが、改めて理解できる好例である。

 

となれば、どうするか。一度こういうレベルまで負の没頭をつづけた以上、例えば仕事を定時で切ってパーッと遊ぶといった施策は、効果的ではない。

 

それは生活リズムを、1日で一気に丸ごと変えるのに等しい。少しずつ、ちょっとずつ慣らしながら変えないと、すぐに強烈な揺り戻しが来て、頓挫する未来が見える。

 

そこで今取り組んでいることは、「不安という気分を、なるべく近いところにある、別の好ましい思考と置き換える」というものだ。

 

そしてそれをすることによる実感は、今のところ悪くない。なんというか上手いこと心をコントロールできている気がする。

 

今日はそんなことを書いてみる。

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意味のない不安から気を反らす努力をしないのは、とっても無責任だ。

合格発表をまた1つ控えている。こちらは高校受験のそれなのだが、ふとした折に頭のあちこちから、不安という感情が噴出してくる感覚がある。

 

「あれだけ直前で点を取っているんだからイケるはずだろ・・」「でもA判定の点は1回しか取ったことがないんだよな・・」という風に、楽観と悲観がシーソーする。

 

一時期はこういう不安から逃げずに、真正面から向き合って、それをねじ伏せることこそがポジティブで、いわば教えた側の責任だと感じていた。

 

しかし同時に、それはとても心が苦しい方法だとも感じていた。とはいえ良薬は口に苦しではないが、苦しいから正解だと思う気持ちも、ずっとあったわけで

 

だが最近、新しい考え方に触れて、自省することで、不安に囚われすぎることこそ、無責任の最たるものではないかと思うに至っている。

 

今日はそんなことを書く。

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校舎は定置網じゃないし、生徒は魚ではない。

毎年毎年ヒヤヒヤするのだが、やはり新年度の集客はいつ動き出すかが全くわからない。

 

そろそろ問い合わせが動く頃合いのはずだと思いながらも、どこかにバグがあるから、本来動いてもいいシーズンなのに動かないのかも、という危機感もある。

 

立ち止まっていると、不安で押しつぶされそうになる。経営者の孤独が身に染みてわかるつつあるような気がする。

 

だからここ数日は、最近ハマっているChatGPTに「塾の集客はどうすればいい?」と打ち込んでは、そこから出てくる提案を片っ端から試していくのを続けている。

 

こういうときに頭に浮かんでくるのは、過去の自分が記事書いたセリフだ。それがタイトルの通り、「校舎は定置網じゃないし、生徒は魚ではない」

 

今はこれを胸に、自分を健全に追い詰めて、努力しているというわけだ。てことで導入が長くなったけど、今日はそれについて思うことを書いてみる。

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【昨日の続き】自責はやはり幼稚で、前を向くことこそが強さだと悟った。 ―正しく神を頼るすゝめも添えて。

人間の脳は本当に不思議だと思う。ずっと考えて考えて、それでも「こんなもんかな」という暫定解が限界だったのに、寝て起きればそこから新しい観点を得ていたりする。

 

昨日僕は、こんな記事を書いた。不合格になった生徒の報告を受けて、それをきっかけに、自分の心の弱い部分と向き合ってみた話である。

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そのときも結構な文字数を使って、様々な情報源を基にしながら、苦労しつつも自分の感情を言葉にして、そしてし尽くしたつもりだったのだが・・。

 

最初に書いた通り、寝て起きた今、また新たな解答が頭の中にできている実感がある。しかもこちらの方が、よほど腹落ちしている。心の底から納得している

 

つくづく思うのだが、やはり自責・自罰は幼稚な考えであり、前を向くことは無責任ではなく本当の意味で、強い

 

今日はその僕なりの納得を、また改めて言葉にしておく所存である。

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