僕は中学受験の社会も指導しているのだが、時折不思議な現象に出会う。
それは、『語句そのものは非常によく知っているのに、実力テストの点がその知識量に比例していない』というものだ。
例えば、『平安時代、摂関政治により栄華を極めたのは、藤原のダレと頼通の親子でしょうか?』と聞けば、『藤原道長』と即答は出来る。
しかし、答えは同じ『藤原道長』であっても、実力テストで聞かれたらそれが書けないのだ。
これはなぜだ?何が原因だ?
結構色々ずぅっと考えてきたが、昨日の授業時の生徒とのやり取りで、その謎を解くヒントをつかんだ気がする。
まだ仮説の段階だが、今日は見切り発車でシェアしたいと思う。
そのきっかけとなったやり取り。
2018年に一応廃止されたらしい、ある『政策』がある。僕はそれについて、生徒にこう聞いた。
『政府の人がお金をあげて、【あんまお米作らないでね~】って言ったアレだよ』
―すると、思いっきり首をひねられた。
少し困ったので、以下の様に言い直してみた。
『米の作付面積を減らすことを目的として、国が給付金を渡すあの政策のことだよ』
―今度は即座に、『減反政策』とドヤ顔で返ってきた。
・・・このやり取りで、僕は少しピンとくるものがあった。ってことで、以下、仮説の説明に移りやす。
言えるとわかるは違う説。
多分だが、なまじ教科書の言っていることがわかる気がするだけに、実は理解できていないことにさえ気づけていないのではないかと思う。
例えばだが、かしこいヤツであれば、『作付面積』とか『給付金』と言われたら、それだけで何となくだがイメージは抱けるのだと思う。
だがそこで終わるということは、その文脈で問題に使ってくれないと、全く分からないというリスクを秘めている。
先の例だと、『減反政策』を問う問題においては、『作付面積』と『給付金』という言葉が含まれてないと、そのことに気付くことすらできないという話なのだ。
―では、これをどう防ぎ、対策すればいいか?
やはりというか、自学の際は『答えを見て問題を言う』演習がオススメだろう。
欲を言えば、『10歳児に説明するつもりで』という意識も添えてほしいが、そこまでせずとも効果は得られると思う。
教える側の心掛けとしては、『説明をさせる』場面を多く持たせることに尽きるだろう。
『鬼道』とか『漢倭奴国王』とか『金印』とか『摂政』とか『大宝律令』とか、わかりそうだがわからない単語は意外と多い。
授業で出てくるたび、嫌われることを承知で僕はガンガン質問を突っ込むようにしている。『これって何?』とは、もう常とう句だ。
―ってことで、社会の点が不思議と伸び悩んでいる状態なら、やはり『平易な言葉で説明できるか?』という目線を持ってみてはどうでしょう。
では今日はこの辺で。