精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【小ネタ】なんか最近、モテたいっていう中高生を聞かねぇな、と。

僕が中学~高校の頃、『恋人』がいることは勝ち組の証であった。

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おりしも『恋空』とかが爆発的ブームになった頃であり、かつ『電車男』というサクセスストーリーも流行ったので、陽キャ陰キャ問わずその傾向はあった気がする。

 

だから皆、よくわからないままにファッション誌をかじったり、不良マンガからアウトローな文化を学んだり、みんな方向はどうあれ努力に余念が無かったのを覚えている。

 

口を開けば理想の彼女・彼氏像の語り合い。どれだけ高邁な理想を語るかもまた、ステータスに寄与していた印象だ。

 

―が。

 

最近、生徒の雑談に少し意識を向けた際、少し「おや?」と思わされた。『彼氏・彼女』について、誰も喋っていなかったからだ。

 

昔みたく、『いないとかwww』みたいなマウントもない。なんかこう、淡々としているというか。いてもいなくても、『それで?』というのが共通解。

 

この現象って面白いよな、と。ってことで、これについて気付きをつらつらっと書いてみます。

 

まず、『では代わりに何が話題になっているか?』について、ちょっと意識を向けてみた。すると、ある程度の傾向は見て取れる。

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内容は、例えば部活とか、アイドルとか、面白いYouTuberとか、そういう『あるある』の探り合いと共感というのが主であったのだ。

 

『彼女欲しいわ~』『彼氏いいな~』という願望は、グループが違ってもほぼ全く聞こえない。すでに死語になっているかのようである。

 

―ここからは完全に私見を述べてみよう。

 

とりあえず、僕も実感として思うのだが、『彼氏』『彼女』なる存在が持つ価値は、色んな状況の変化により激減している

 

強がり(笑)ではなく、かくいう僕自身も、今は全く必要としていない。

 

何故かというと、昔は『彼氏』や『彼女』が満たしていた部分全てに、代替サービスが存在するからである。

 

例えば、いつも楽しく笑わせてくれる人が好きなら、そういう人を探すより、そういうYouTuberをフォローした方が速い

 

また、顔重視であるなら、アイドルを追っかけた方が遥かに素早く目的を達成できる

 

恋愛的な要素を楽しみたければ、そういうシナリオのゲームは無数に存在する。

 

人が不満を抱えるものの解決策や、憧れを抱くものをドライに言い換えれば、『需要』という言葉になる。『需要』があれば『供給』があるのは当然なのだ。

 

そしてサービスには、あまり感情が付随しない。『合わねーな』と思ったら、簡単に乗り換えが可能である。『恋人』という関係を結んじゃうと、こうはならない。

 

・・・それでも、もし今の世で『恋人がほしい』と真剣に思うのなら、ライバルはもはや自分の周りのコミュニティに生きる人たちではない。

 

意中の人に『生きがいや面白さ』を提供し続けている、文字通り世界中の人やサービスなのだ。その時間より、あなたの方が価値があるか?これが問われる。

 

少なくとも僕は僕について、そんなサービスを誰かに提供できる気は一切しない。そして別に、一個人からこの現実世界で、恒常的に提供してほしくもない。

 

だから無駄な努力と割り切って、恋愛に対する投資は数年前からピタリと止めた。

 

・・・後は、あらゆるSNSが台頭し、『恋人の負の側面』と、『独りであっても楽しく生きる人たち』が可視化されているのも大きい。

 

大げさだが、ちょっと前まで『恋愛』ってどんなものかを知りたければ、ドラマか漫画などで美化されたものか、それを満喫する人から話を聞くしかなかった。

 

しかし今は、Twitter等をチョイと流せば、いくらでも無脚色でドライな話を聞くことができる。浮気自慢・彼氏のディスりなど、それこそ山のように、である。

 

そんなリスクを取って、代替案だらけの『恋愛』に突っ込む中高生は果たして存在するのか?その目線で考えれば、みんなが興味を示さなくなったのも頷ける。

 

彼ら彼女らの話題のメインは、部活とか、アイドルとか、面白いYouTuber。つまり、形はどうあれ、心を満たしてくれる存在の紹介とシェアと同意である。

 

若者の恋愛離れガー・・・とあちこちで評論家が呆れているが、価値が下がっているモノからみんなが離れていくのは、ある種普通のことだ。

 

石炭が廃れ石油が普及するように、または手紙が廃れメールが普及するように、社会の中で併存はするが、偏りが生まれるのは避けられないよな、と。

 

そう考えれば、わざわざ『彼氏・彼女』という存在を無理に作らなくても、色んなところからその分の『面白さ』『楽しさ』『充実感』をかき集めれば良い

  

結果それで満足しているんだから、話に出てこないのも当然である。

 

―って結べば、僕の中では納得である。ま、ホントのところはわかりませんけどね・・。

 

今度、作文練習とかこつけて、セクハラにならん程度に『恋愛観について』エッセイを書く時間を授業で取ってみようかな。

 

その方が色んなリアルがわかる気がする。その場合はまた記事に致しやす。

 

では、よくわからんことを書きましたが、今日はこの辺で。

 

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