精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

自分の価値観は、欲や感情を否定しないことによって立ち上ってくるのではないか。

年始はほとんど何もしないと決めているので、ひたすら布団に転がりながら、バキ童チャンネルをずっと観ている。

 

特に好きなのが、自分の好みや癖をあけっぴろげに語り合い、「同志がいる!!」と確認し、喜び合う場面だ。あの時の爽やかな笑顔が、本当に素晴らしく思う。

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こんなときいつも頭に浮かべるのが、鼻下長紳士回顧録に出てくるこのフレーズだ。

 

「変態とは、目を閉じて花びんの形を両手で確かめるように、自分の欲望の輪郭をなぞり、その正確な形をつきとめた人達のことである……」

 

安野モヨコ『鼻下長紳士回顧録』ブロードウェイミュージカル化プロジェクトスタート | 株式会社カラー

 

自分の末那識レベルに沈んでいる琴線に手で触れて、時に弾いて音を奏でて、その正体を突き止める。癖もまた広義の価値観といえるが、故に言語化は難しい。

 

また、性的嗜好がマイノリティと違ってくるとなおさらだろう。僕自身(たぶん)アセクシャルかつ性嫌悪持ちなので、あまり人に言いたくない気持ちは理解できる。

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だが、別に人に言わなくてもいいだけであって、自分自身の深層心理は、そういう欲や感情をまずは”否定しないこと”から立ち上るのではないか。

 

ということで今日は、僕が本能で感じている何かを基に、その辺りがどうなのか、しょうもない思索に耽ってみたいと思う。

 

 

僕は本当に恋人という存在を諦めているのだろうか。

 

雄として何かが欠落していることは承知だが、僕はどうしても恋人は要らないと、20代後半から論理的に納得している。だが、本能の部分ではどうなのだろうか。

 

超強力なボルトで封印しただけで、一皮めくればマグマのごとく性欲が煮えたぎっているとしたら、本当になんというか、ブレブレ過ぎて笑えてくるではないか。

 

友人にも一人、この齢になって風俗通いを始めた者がいるので、価値観の変化としてあり得ないものではないと思う。だからこのテーマを基に自問自答してみる。

 

さて。昨日、友達と酒を飲むため、市街地に遊びに出かけた。大量の人混みの中には、当然魅力的な異性もゴロゴロと混ざっている。

 

小さい顔。細い太もも。お人形さんみたいな顔。露出が多い服装。そういう人を見て、なるべく中学生男子みたいなことを思おうとしたが・・。

 

どうしても、何か見えない壁が存在するかのごとく、興味が持続しない。確かにエロいとかそういう感想を持つのは持つが、本当に数秒で完全に消えてしまうのだ。

 

時にはカップルも見かける。超美人を連れた、自信に満ち溢れた男。あるいは、同級生同士と思しき、垢抜けなくも楽し気な学生。これはこれで、幸せそうだった。

 

そこに、キモいのを承知で自分を当てはめてみた。「どうだお前、お前も美人や趣味の合う同期と、デートしたいんじゃないのか、え?」と、メタで焚き付けてみた。

 

・・・・・・・・・いや、どう考えてもめんどくせぇ

 

それが僕の潜在意識からの明確な回答であった。欲の声に耳を傾けたら、想像以上に強い否定が返ってきて驚いている。

 

・・一応、以下、すごく頭のおかしい言い訳をする。

 

確かに僕はどちらかといえばヘテロセクシャルであるため、恋愛対象は多分女性だが、アセクシャル気質もかなり強いため、エロありきでこの人といたいとは思わない。

 

というか性嫌悪が強すぎて裸の絡みを見ることも一切できないので、いわゆる性的に満たしあうといった価値観が物凄く気持ち悪くて、理解することができない。

 

また、美人さんを見ることは、かわいい大型犬を見ることや、とても秀逸な絵画を見ることにすごく似ている。確かに魅力は感じるが、だからといって手元に置きたいか?

 

正直、それ目当てで実行することは無いが、少し街を歩けばそこら中で見かけられる人たちだし、ネットで検索すればもう一撃だ。

 

それに、相手は自立した意思を持つ人間だ。ただ金を払って契約を取り結べば譲渡されるペットや絵画と異なり、相手からもそれ相応の対価を、常日頃から求められる

 

また、その人を取り巻く環境において、魅力という面でトップをキープし続けねば、そもそも釣り合わないからサヨナラというエンドも普通にあり得る世界だ。

 

ソースは捏造らしいけど、どっかのネットニュースで読んだ「恋愛はコスパが悪い」という指摘に、僕個人ごととしては、物凄く共感する

 

女の子が好きで、性欲もあり、性格・肩書・容姿・収入のどれかに秀でている、あるいは磨けば光るくらいの立ち位置を維持している男たち。

 

そういう人たちが勝手にやっておけばいいなと、すごく他人事として、やはり僕は恋愛というゲームを眺めているようだ。

 

ボルトを外して蓋を開けたら、そこにはベタ凪の世界が広がっていた。強がりではなく根っからの本心だと改めて認識できて、すごくうれしく感じている。

 

これがいいことか悪いことかはどうでもいいし、それを決めるのは僕だ。そんな僕は、自分の一面をまた一つ認識できて、うれしいと思っている。心の底から、だ。

 

欲や感情を否定しないことで、また一つ自分の真の姿が見つかるかもしれない。お暇なときに、試してみてはどうだろうか。

 

では今日はこの辺で。

 

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