精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

勉強できる子の幼少期に、共通点を探してみた。 ―すると少ないけれど、あったです。

やっぱりたまに、神童レベルの生徒はいる。

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全国レベルの模試のハズなのに偏差値が70を超えたり、中学生なのに『歎異抄』を原文で読んだり。前世でどれだけ徳を積んだのか、圧倒的な何かの差に目が眩む。

 

こういう『超いい子』をつくる方法って何かあるのか?教育が占めるファクターって、そこまで大きいのか?後天的に才能って出来るもんなの?

 

・・ってことで、薄らいだもののちゃんと存在するジェラシーを糧に、面談の場、自分の経験、思い出などなどから、頑張って『神童』の共通点を探すことに決めた。

 

すると、ある程度のそれは存在するような気がしてきた。もちろん、これら全てをさせることで天才が生まれることは保証できないけれども。

 

もし合致するところが多ければ、教育に熱を入れて才能を伸ばすのもありかもしれない。今日はそんなお話。

 

 

徹底して入門書にハマったことがある。

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幼い頃に『運命の一冊との出会い』みたいなのを経験している優秀な生徒は、思いのほか多い。(このエピソードは、伝記でもよく見かけますよね)

 

例えば、とある生徒は、両津勘吉が歴史を解説する漫画に没頭し、今現在も歴史の成績は他と比べて抜きんでている。

また、僕は別に天才ではないが、小さい頃にクレヨンしんちゃんが昆虫について解説する漫画に引くほど没頭した。読み返した回数は、冗談抜きで100を超えるはず。

 ってことでやはり何度か書いているが、幼い頃の没頭経験の有無は、その後の学習を定着させるためにマストだとみてよさそうである。

 

なぜこの経験が、学習に役立つのか?まず、記憶は覚えたいテーマと似たものを連想すれば、定着しやすいという性質がある。

 

物理現象を解説する教科書の例が無理やりだろうと身近なテーマばかりなのは、そういう一因があるのだ。イメージし易いものは覚えやすい。

 

ここからは推量なのだが、何かにむっちゃ没頭することで、あらゆることをそれに結び付けて覚えることが可能になっていくのだ。

 

昆虫は『頭・胸・腹に分かれ、胸に足が六本付く』という説明があったとき、『確かにあの漫画の昆虫もそうなってたな』と連想するようなもんである。

 

―傾倒する対象がゲームとかなら不安になるかもしれないが、僕だって子ども時代にそんな面白いものがあったら、そっちにハマっていたに決まっている

 

興味が向く対象だけは強制できない。

 

できる限り色んなアイテムや入門書を揃えておくのが教育の第一歩だと、子どもができたことが無い僕でもうっすら思わされる。

 

 疑問に向き合ってくれる大人がいる。

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皮肉に聞こえるかもしれないが、優秀な生徒の保護者を見ていると、子どもからのどんなしょーもない疑問や質問に対しても、『自分で考えなさい!』とはまず言わない

 

一緒に好奇心を持って考えてあげたり、悩みを整理するために質問をしたり、あるいは解決のためのツールを与えたりと、生まれた疑問や質問を大切にする

 

知的好奇心はサルにも存在し、満たされれば報酬系が刺激されて強い快感を覚えるという話は、入試問題で読んだことがある。

 

ぶっちゃけまだ人間よりサルに近い段階で、『知ることは楽しいこと』と刷り込まれれば、どれだけ期間が経ってもその原体験は忘れないに決まっている。

 

そう考えれば納得だ。納得なのだが、父母共働きであったり、シングルマザー・ファザーであったりすれば、この環境にずっと置いておくことは難しい。

 

とはいえ、幼稚園・保育園を作ろうとすると、『騒音だ!』と反対する人も多くて世知辛い。

 

・・僕はもっと、ベビーシッターとか、究極どっかの家の暇な子ども同士をただネット映像で繋いでおくだけのサービスとかが、もっと普及すれば良いと思っている。

 

子どもの疑問に答えるのが父母の役目ってのは、もはやステレオタイプ。無理なところはサービスで補えばいいってのは、やはり独身だから言えるのでしょうか。

 

―どんだけ頑張ってもこれだけでした。

 

うーむ、これ以上はなかなか・・・。

 

どうしても、これ以外の共通点は、そもそも才能を持って生まれたからできたことという要素が入るため、書きたくないのだ。

 

というか、時代とかを考えれば、そもそも実施が無理なことも多いため、今後も通用するとは思えない部分も多い。

 

うーむ、もっと手触り感というか、説得力というか、机上の空論感を消すにはどうすればいいのだろう。

 

ってことで、思考実験をやってみることにする。

 

僕は子どもはおろか結婚する気すらないのだが、何かミラクルが起きて子どもを育てねばならなくなったら、何をするだろう。

 

・・・まず、家に大量のグッズを集め、何かに『没頭』させる経験を積ませるだろうな。パズル、絵本、塗り絵、粘土、エトセトラ。

 

保育園が無ければベビーシッターを雇う。誰かと話す経験、誰かが側にいる環境は、払うカネより絶対に重たい。

 

んでちょっとくらい成長し、言葉を覚えてリクエストを言うようになったら、それを自分で叶えるか、暇な友人をとっ捕まえて叶えてもらう。

 

―でも、だ。大体中学・高校になれば、嫌でも勉強に対する才能ってのは見え隠れしてくる。仮に自分の子が、平均点40点とかになったらどうするか?

 

僕はその時点で、『何かに絞れ』と言うだろうな。つまり、やっててまだ楽しいことに特化しちまえと、背中を押す気がする。

 

僕自身、好きでもないことを無理やりやることが死ぬほど嫌いなので、『オヤ』という関係だけで子供にそれを押し付けることはしないかなぁ。

 

もちろんその上で『普通科がいい』と言えば、それを尊重するはず。まぁ、これ以上は妄想になるのでやめときます。

 

―昔は父母が当たり前に出来ていたこれらのことを、どこまで割り切って補うか?

 

もしかしたらそれこそが、幼少期に大切な要素を修得させる、身も蓋もない鍵なのかもしれない。

 

では今日はこの辺で。

 

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