精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【ADHDと集団授業】第四回・説明を遮らせないことを目指す。

マイナンバーカードの発効に1ヶ月かかると知って焦っている中元です。確定申告が絡む人でまだ作っていない同類の方は、気を付けてください・・。

 

さて。ADHDの生徒は説明を聞くことが苦手なのは、もはや周知のことだと思う。だがそのデメリットは、何故かオブラートに包まれ倒している印象だ。

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例えば、その生徒の学力が伸びないとか、課題を聞き逃して提出ができないとか、そういった感じで。

 

そういう一面もあるのだろうが、一番に危惧しなければならないのはぶっちゃけそこじゃないと思う。周りへの印象だろう。

 

説明を突発的に遮ったり、或いはごそごそ音を立てたりする生徒に、周囲が好印象を抱くケースは、まずない。よほど指導する側の説明がつまらないときくらいである。

 

その当人がちびまる子ちゃんの山田君的な市民権を得ていれば疎外されることも無いだろうが、学校の先生が好意的な通知表を書くことは無いと思った方が良い。

 

実際そのADHDと診断された生徒も、定期テストは50点ちょっとなのに、授業態度が悪すぎるとされ、通知表で2がいくつもあった。なんか、デジャブ。

 

ただしここ最近は少しずつ『今が何をする時間なのか』を察することができるようになっており、演習中は『ごそごそするにせよ音を立てない』ところまでは持って行けた。

 

となれば、新学年に上がる前に、もう1レベル上がれるかどうかを考えねばならない。

 

今日はその生徒を含む集団に、2コマ授業を行う日だ。そして片方がその子の超得意科目である。

 

何がその心理に潜んでいるのか突くのが怖いのだが、その子はその科目の時間だと、説明中に突発的な発言を繰り返すほどテンションが上がってしまうことがたまにある。

 

それについて、もしかしたら効果があるかもなぁと考えられる手は、先日記事にしているのでそれの検証も狙っていく。

 

てなわけで今日も、具体的に打った手の中身と、その効き目について、なるべくリアルに記事へと落とし込んでいこうと思う。

 

 

基本戦略は同じ。

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とはいえ基本から逸脱した突飛な手を打つ気はさらさらない。まず、以下のテーマは必ず伝えるところからスタートだ。

 

これから何をいつまでするのか?狙いは何なのか?

 

つまり、『見通しを持たせる』というヤツですな。これがあるとないとでは、マジで色々違ってくる。

 

その上で、今回は(も)『自分が先生になってこの単元を説明するとしたら・・』という設定で、授業内予習を組み込んでいる。

 

完全に偶然だがこの予習という刺激、授業中の注意散漫に効き目があるのだという。

h-navi.jp

 

完全に未知の刺激に興味を示しづらいのが特徴なので、ならば最初に少し知識を入れておけばいいと言うことだ。

 

その上で、板書を作るという作業には、衝動的な思いのはけ口という意図もある。

 

『知ってる!』という思いを表明する手段が発言しかないのだから説明を遮るのであって、では別の所でそれを証明する術があったらどうか?

 

・・・と思ったからである。ぶっちゃけ僕の説明など必要なところ以外はスルーしてもらって構わないと思っているし、20分ずっと説明を聞かせることも現実的ではないのだ

 

そして最後の15分程度は丸ごと演習に充てる。つまり、35分上手いこと特性をセーブできれば講師としても生徒としても合格点となるのだ。

 

さて、仮説の段階はこの辺にしておこう。以下、実際どうなったかのレポートに移る。

 

じゃあその施策は機能したのか?

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 まぁ結論からポンと。前よりはマシ、てな感じかな。というより、説明しながら気付いたことがある。

 

それは、発問風な文の区切りにすると、速攻で捻じ込まれるということだ。

 

足利義満が建立した、権力の象徴はなんだろうか、そ・・

生徒<金閣!!

 

という感じに。だから意識して、『もう俺が全部喋るか』くらいのテンションでやってみると・・・。

 

足利義満が権力の象徴として建立したものこそ、『金閣』だよ。でな、・・・・

 

てなわけで、捻じ込むスキが色々となくなるのだ。相当一人で喋る時間になってしまったので、生徒の定着度が下がることを懸念したけど・・。

 

ぶっちゃけぽこぽこ発言されちゃっても同じことかと割り切って、それならばと少し早口気味に、スキを与えないよう説明を続けた。

 

・・・・・その後演習をさせて色々確認したのだが、なんと、まぁ。

 

今回の方が全体的に正答率が良かったのだ。いちいち統計なんて取ってないけど、その出来の良さたるや、である。

 

多分それは予習をさせたからであり、かつ必要なところだけは聴いていてくれたからでは?という性善説を考えている

 

最後の最後でまたヒントを得た気がする。申し訳なさはあるけれど、出来る限り説明をコンパクトにして、発問せずに話し切っちゃうのが一つの手なのかもしれない。

 

念押し。

 

曲解されたら面倒なので最後に念押し。僕は別に、『厄介だな、マジうっとうしいな』というネガティブ全振りで生徒と接しているわけではない

 

むしろ、『これは当人の理性でどうにもならないところなのかな』という思いから、『こちらが打てる手でそれを軽減できないか』という考えで色々調べて実践している

 

というかこういうケースがあることなどネットをちょいと調べれば山のように出てくるので、それを全部無視して根性論に落とし込む方が色々違うと思えてならない。

 

今は価値観の過渡期だ。教師の権威のせいという言い分も、事例から手を考察するのを怠っているせいという言い分も、どっちも存在しているという具合。

 

価値観はいちいち叩き潰しても仕方ないので、『そういう人もいるよね』という結論にしかならないんだけどね。

 

というわけで今日はこの辺で。

 

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