低脂肪の食事を心がける生活を始めたはいいのですが、わかりやすくしんどいです。ボディービルダーってスゲェ。中元です。
さて。今日はちょっと独り言シリーズになる。それは、【勉強ができない】という状況に対する向き合い方についてだ。
というのも、ウチの塾はターゲット層的に【できない寄り】の生徒が多い。できる生徒を集めて、超絶高みを目指すという類では、決してないのだ。
そういうことを考えると、果たして彼ら彼女らに対し、十把一絡げに【できるようになること】を課すのは正解なのか、とよく自問してしまう。
もっと言えば、世間一般が求めるラインにたどり着くまでは叱咤し続けるべきか、どうにも無理なら許容して別の道を探るべきか、たまにわからなくなってしまうのだ。
今日はそんなカオスをテーマに、記事を書いてみたいと思う。
【できる】【できない】は定義次第。
なぜこんなことを思うのかというと、多分【できる】【できない】という言葉自体が、非常に曖昧で抽象的だからだと考えている。
例えば平均点よりは【できない】としても、過去の自分よりは【できる】ようになったとなれば、この子は褒めるべきか、叱咤すべきか結構難しい。
以前記事にもしたが、目標を絶対的なもの、主観的なものに設定しないと、基本どんな点を取っても誰かに不満やしこりが残ると、僕はそう考えている。
単に良い点を取るってのは最悪だ。共通テスト6割は東大に全く届かないが、地方国公立なら十分狙える。数値はそこにあるだけ。基準をどこに置くか、だ。
定期テストもそれは同じだ。80点なら無条件によくて、それ以下はゴミとお考えだとしたら、さすがに世界が狭いと思わされる。(ヒント:平均点)
そういうことで、やはり【できる】【できない】はかなり曖昧であるため、健全な、妥当なラインに設定してあげないと、誰も幸せにしない呪いとなりかねない。
―しかし事態はそう単純ではない。ここに他者からの期待や、生まれ持った才能がのっかってくると、話はさらに複雑となっていく。
ってことでもう少し論を深めてみよう。
期待より【できない】というトドメ。
―僕自身は、親に過度な期待をされずにのびのび育った人間なので、実は理解できないところも正直あるのだが・・・。
期待が子供の心に悪影響となっているケースがちらほらある。例えば、自分の子の能力はこんなものではない、非はそれを引き出せないそちらにある、の一点張りタイプだ。
過去イチ極端な例だと、平均60点の子が70点に上がった後、「80点取れるはずでしょ」という理由で辞められたってのもある。これはちょっと極端だとは思うけど。
しかし、そこまで激烈じゃなくても、近いところは決して少なくはない。期待より【できない】のだからあなたは【ダメ】。こういうやり取り、何度見たか。
こういう関係性の時は、その子供にとって健全なラインを設定しようとする声掛けは、ご家庭にとっては悪となる。
例えば九九で苦戦している子は、今より一つ多くの段を言えれば褒めちぎるくらいが大切だと思う。
しかし「いずれ医学部に行くんだから、今の時点で九九ごときで苦戦してるのは甘い、そんなの一瞬で覚えて2桁×2桁くらい暗算で一瞬で解け!」となればいただけない。
もちろん期待したいという気持ちもわかる。こちらがその一助になるはずだというありがたい信頼もわかる。それに応える生徒もまた多い。全部また、事実だ。
だから難しい。僕の思う正解は、他の誰かの正解かもしれないが、別の誰かにとっては赤点レベルの不正解なのだ。
この辺の難しさは、学習障害・発達障害について勉強すればするほど、ぐちゃぐちゃになってくる。今はまさに、以下のイラストのような感じだ。
そしてこの世における『成功』のモデルも、超多様化し、また成功の度合いも遥かに強くなった。東大卒の一流会社員より稼ぐYouTuberや配信者は、それこそ多い。
そういうことを考えると、難しくて仕方がなさすぎる。答えのないカオスにずっといる状態であり、答えを求めようとするほどつらくなってくる。
・・・ただこの状態、ちょっと前に読んだ記事によれば、「むしろ歓迎されるべき状況」ともあった。
もしかしたらこの命題はとんでもなく巨大な鉱山のようなもので、諦めず鉱脈を考え、懲りずに掘り起こす作業を重ねれば、何か宝物にぶち当たる可能性もある。
これはちょっと宿題だな。色んな本を読んで、他の人の知見や悩みも吸収して、いずれまた向き合ってみようと思う。
ってことでただカオスな事柄を書いただけなので、何のヒントも書かれていない可能性があるが、ま、いっか。
では今日はこの辺で。