忘年会でも何でも、皆で酒を飲んだ日の翌日の朝に、すごく不安と空虚になる感じ、何なんでしょうね?寂しいの?自分を信じてないの?中元です。
はい。相も変わらず、数学のことを英語で読むというややイカれた生活を始めて4週間経った。今のところペースは悪くなくて、全体の1/3は超えている。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
というより最後の方はほぼ全て、補講であったり謝辞だったりなので、中身としては結構佳境なのではと考えている。
ってことで今週も読んでいきませう。
- 12月13日(月) ~P125.5まで
- 12月14日(火) ~P131.5まで
- 12月15日(水) ~P138まで
- 12月16日(木) ~P141まで
- 12月17日(金) ~P149まで
- 12月18日(土) ~P157まで
- 12月19日(日) ~P163.5まで
12月13日(月) ~P125.5まで
今から非常に頭が痛くなる文言を引用してみる。ちなみに、「素数が無限にあること」の証明である。
a, b, …, k を任意に与えられた素数のリストとする。その最小公倍数 P := a × b × ⋯ × k に 1 を加えた数 P + 1 は、素数であるか、合成数のいずれかである。素数であれば、最初のリストに含まれない素数が得られたことになる。素数でなければ、何らかの素数 p で割り切れるが、p はやはり最初のリストに含まれない。なぜならば、リスト中の素数は P を割り切るので、P + 1 を割り切ることは不可能だからである。任意の素数のリストから、リストに含まれない新たな素数が得られるので、素数は無数に存在する。
・・・僕は早々にギブアップしたが、実はこれを考えたのは、紀元前三世紀ごろを生きた人、【エウクレイデス(ユークリッド)】なのである。
ここからのテーマは、どうやら【無限】という、表現は容易くも、扱いが難しい新たな概念になるようである。明日、仕事に回す集中力、残るかな?
ーこれがどういうことか、興味がある人は以下の動画を観ていただけるとよくわかると思う。暇なときにぜひどうぞ。
12月14日(火) ~P131.5まで
数学を勉強して何の役に立つのかと自問したことがある人は、割と多数派だと思う。そして実際、長いことそう思われていた分野があるという。
それこそが、今回のテーマになっている【整数論】だ。数の規則を深く理解して、なんなん?という感覚、実は一般的なことらしい。
ただ実は、巨大な素数を用いることで、非常に堅牢な暗号を作ることができるという活用方法が、ネットの登場以来発明されたという。
その理屈は結構じっくり勉強しないとマジイミフなので、時間があるときにぜひどうぞ。
12月15日(水) ~P138まで
18世紀の時代には、「女は数学なんてやるもんじゃない」という、根拠のない迷信が常識としてヨーロッパに広まっていたという。
その女性の一人がフェルマーの最終定理にまた一歩大きな進展をもたらすことになるという話が出てくるのだが、その功績より、取り巻いていた状況のひどさが気になった。
今もその辺の論争は激しいので触れないでおくが、この状況下でも、この思考が異常であることを指摘する人がちゃんといたのは救いになる。
これまた著名な数学者、ヒルベルト氏が「女性に学業のポストを与えるのってどうなの」的なことを言われた際に返した言葉が印象的である。
「性別とかどうでもよくない?大学のポストは公衆浴場じゃないんだからさ」
・・・めちゃ意訳したが、僕はこういう飄々とした、でもハッキリと論破しているような言い回しに、すごく憧れてしまう。ヒルベルトさん、かっこいいっす。
12月16日(木) ~P141まで
圧倒的な成果を出している人の考え方に、面白い共通点を見た気がする。それは、本当に純粋に、「成果さえ出してるならマジで色々どうでもいいじゃん」というものだ。
天才数学者ガウスも、先に書いたヒルベルトも、栄誉において性別がそれを邪魔するのはおかしいと、まだ差別が根強い時代に堂々と語っている程だ。
おおらかというより、本当にどうでもいいんだろうなと思う。真の平等とは、マイノリティに無関心になることという話に通じるものがあるよな、と。
みんな違って、どうでもいい。この言葉、やっぱ好きだな。
12月17日(金) ~P149まで
引き続き、100年に一度程度だったフェルマーの最終定理の進展について、少しずつ状況が変わっていくところの話であった。
コーシーとかラメとかクンマーとか、人名が連続するためキツい人にはキツいかなという印象である。
僕はと言うと、虚数がどうとか、整数がああだとかで、実は注意散漫になってしまった。うへ。だからこそ今日は8ページも読めたのだ。
まぁ、また明日から気を引き締めてガンバリマス。はい。
12月18日(土) ~P157まで
フェルマーの最終定理については、本当に逸話が多い。例えばその進捗に伴う部分で、なんやかんやあって、一人の人間の命を救っていたりもする。
ヴォルフスケールという、裕福な家庭に生まれ、数学を学びつつも、それについてはそこまでの才能に恵まれなかったと書かれている人物がいる。
そんな彼は、フラれたショックで自殺を決意したという。有能な人だったので、遺書などもきちんと友人ごとに書き、自分が死ぬべき時間や方法も、前もって決めたそうだ。
ただ綿密な計画を立てつつも、実務をこなすスキルは優れていたようで、死の予定時刻に先んじてそれが済んでしまった。だから図書館に行き、数学の本を読むことにした。
そこで読んだのが、先に書いた【クンマー】の論文であるという。そこで突然、「あれ?クンマーさん、間違ってね?」という直感を得たという。
「もし間違ってたら、こらえらいことだ!」と思い、夢中で証明の精査に努め・・結果、間違っているという直感が間違っていたと判明したそうだ。
だがその時すでに自殺予定時刻を過ぎており、「死にたい」という気持ちは完全に消えてなくなっていたという。
結果彼は、命を救われた恩として、フェルマーの最終定理を解いたものに莫大な賞金をかけることにしたというー。
詳しくはこちらを読むと面白い。歴史が長いと、色んなものを巻き込みますなぁ。
12月19日(日) ~P163.5まで
今日は酸っぱいブドウの究極形みたいな話を読んだ。あるパズルが解けたら莫大な額の報酬が貰えるとする。しかし、誰が挑んでも、全然解けない。
これは能力不足なのか、それともそもそも、絶対に解けない類のものなのか?もし後者なら時間の無駄だが、それならそうと証明しないと、解ける可能性も残る。
ここで、証明もせずに「無意味!実は価値無し!」と思い込むのが酸っぱいブドウのお話だ。だが数学者は、「できない」ことさえ、完全に証明してのける。
実際本書には、とあるパズルが絶対に解けないことの証明が載っていた。だから作った人は、どれだけ報酬を釣り上げても、払わなくて済むとわかっていたというわけ。
旨い話には裏がある。その一例だなぁと思わされた。
では今週はこの辺で。