授業と授業の間に1時間くらい空き時間があると、普段の数倍疲れる中元です。
はい。今日のテーマだが、こないだふと思ったことをネタに書いてみようかなと。それがタイトルの通り、【優秀な人ほど、自分の脳みそを無条件では信じてない説】だ。
ざっくり言うと、すごく優秀な人は、自分が無条件で「デキる」という前提にまず立たないよねという意味である。
やっぱりよくわからないので、以下詳述する。
計算と準備と勉強に裏打ちされたアウトプット。
ふとそう思ったきっかけは、某YouTuberが女性漫画家の家に訪問するという回を見たときのことだ。
その漫画家は筋肉が非常に得意で、ムッキムキの男性を何も見ずにさらさらと描ける力量の方なのだが、その家にあるものと、その扱い方に驚いた。
解剖学の本をはじめとした、資料の束。そしてそれを、時たま読み返して確認するということであった。
「・・・もうすでにムチャクチャ上手な域じゃないですか?読み直す必要ある?」と疑問を思ったところで、色々と「そういえば」と気づくことがあった。
例えばR25というサイトを見ているとすぐにわかるが、超絶勉強や仕事ができる人ほど、無条件で自分の脳を信じるということをしていないのだ。
講演にもノープランで挑むある実業家がいるのだが、その方は日々のスケジュールに学びの時間を予め作っているため、実際はネタの仕込みは済んでいるという裏がある。
またある編集者の方は、徹底して睡眠をハックして、脳がガンガン回るように心掛けているともあった。
つまり、「何もせんでも大丈夫だろ」ではなく、「こんだけしてんだから大丈夫だろ」というロジックなのだ。
このことは、もっと身近なところに目を向けても同じだ。
旧帝大に通っていたとある後輩は、僕ごときの話でも、引っ掛かることがあったらその場でメモを取っていた。
理由を聞けば、「いや、人間すぐに忘れますから~」と笑いながら返された。その時の屈託のない笑顔が印象的だ。
また今働いてくれている非常勤の中に、医学部レベルの方がいるのだが、その人はそんだけの脳みそを持ちながらも、予習を引くほど基本のレベルから行っている。
とんでもなく真面目な性格なのだろうと最初は考えていたのだが、今は「たぶん自分の頭を無条件には信じていないのかも」という仮説に至っている。
では、逆はどうだろうか?つまり、完全に何も準備せずに、アドリブ一辺倒で乗り切ろうとする人に、大物はいるのだろうかという話だ。
思うに、そんな人はどうやら、いそうにない。
情報は常にアップデートしないと、いずれ間違えたことを言ったり、古いことを語ったり、独りよがりなことを伝えたりと、弊害がぼこぼこ出てくるだろう。
ここまで考えてみると、なるほど、予習をしないことはプロ失格という強迫というか当たり前のことが、改めて眼前に突き付けられた気分である。
自分のことを省みると、最近は忙しさにかこつけて、予習が不足しがちだったことを素直に認めざるを得ない。
もちろんラジカセなことをしていたわけじゃなく、某YouTube動画風に授業を展開してみるなど新しいことはやったのだが、もう少しできたよなと。
今後は、事前に問題をゴリゴリに解いたり、板書を密に考えておいたりってのは難しくても、せめて参考書を流し読みするといった時間は確保するようにしよう。
改めてそんなことを思わされた。というわけで、僕は僕の脳みそに期待するのを止める。
酒の飲み過ぎで、10代の頃と比べて鼻血が出るほどの脳細胞が死んだとさえ思う。そんな人間が準備もせずにいけるだと?
己の体験や思想を語るだけでお金が貰えるような、贅沢で突き抜けた位置に僕はいない。というか、大体の人はそうだろう。
であれば、予習や準備は絶対に必要。改めて胸に刻んでおこう。
ってことで、今日はこの辺で。