自己愛が強い人のめんどくささを感じつつも、裏でこっそりあれやこれやとやっている中元です。僕も権力持ったらそうなるのかなぁ。
さて。昨日アップした記事にも書いたのだが、ある種実験として、今年は非常勤講師の研修を自分なりに、かなりみっちりと実施するようにしている。
生徒情報を教え、予習の仕方を教え、失敗するモデルケースを教え、とにかくいきなりずっこけないよう全力でサポートした感じである。
そして今のところそれが首尾よく機能し、楽しげに授業がやれていたので一安心だ。しかし、そこで気を抜くことは、絶対にできないとも同時に感じている。
勝って兜の緒を締めよ、というわけではないが、実は2回目、3回目の授業こそ、こちらが気を引き締めねばならないところなのだ。
己自身にも強く戒めているのだが、【放任】と【自由】を履き違えると、クレームはくるし、講師も辞める。
今日はそんなミステイクの話をしたいと思う。
【自由】にやらせたければ、補助しろよ。
【自由】な雰囲気を求める人は多いし、だからこそそれを前面に出したシステム設計を行う組織も珍しくないと感じている。
特に講師業と言った、講師自身のクリエイティビティが大きく質に作用する業務内容であればなおさらだ。それそのものを否定する気は全くない。
しかし時に、【自由】を履き違えて、単に【放任】しているだけの管理職を散見する。かなりの序盤で「好きにしていいよ」といって、その通りにするタイプだ。
僕はこの態度が好きじゃなく、右も左もわからない状態で放置し、わざと失敗させようとしているのだとしか思わない。
だからこそ、ある程度の研修を重ねて、自走できるだけの基本を確認したうえで、少しずつ裁量を渡していくくらいがちょうどいいのではと感じている。
僕が今取り組んでいるのは、授業前後のミーティング実施だ。最悪LINEになろうとも、やり取りを必ず重ねることにしている。不安点などを消すためだ。
アドリブを要求する場面が多ければ多いほど、特にキャリアが浅い講師に仕事を依頼する側としては失敗だと考えるようにしている。去年、痛い目に遭いまくったからだ。
だが様子を見て、また当人から意欲を感じれば、裁量を与えていくこともやぶさかではない。つまり、良い授業を行ってね、という以外の指示を与えないということだ。
しかし、それはこちらの下準備をサボっていいという意味では全くない。そこは気を付けないとならない。彼ら彼女らが準備をできるような準備をするということだ。
身に染みて感じるのだが、良い授業を作るために必要なのは、経験値もそうだが膨大な情報やヒントにアクセスできる環境だと思う。
例えば、優れた問題集、ヒントになる参考書、授業で使える過去問などなど。これらを揃えることはこちらの責務であり、これを果たさねば【自由】は無理なのだ。
尚、会社の経費にも限界があるので、ある程度はブックオフで揃えようと思う。講師にオススメの参考書とか問題集、きいてみようっと。
「テメェの頭で考えろ!」というフレーズを言ったらゲームオーバー。
ついでに、僕自身が「言ったら負け」と思っている言葉について書いておく。それは、「テメェの頭で考えろ!」という暴言である。
これはこちらの仕事を全放棄し、責任を取ることも拒否した最悪のフレーズだとさえ思う。ラクにはなるが、その対価は信用の完全なる失墜である。
もちろん僕も人間なので、例えばへとへとに疲れたタイミングで僕じゃなくてもできそうなことを言われたらそう返そうというイヤな兆しは一瞬閃くが・・・。
その後は、言わずに食い止めても、強烈な自己嫌悪に見舞われてしまう。多分骨の髄から嫌いだから、なのだと思う。
ここまでクソ真面目に考えているとうつ病になりそうっちゃなりそうだが、それくらい手を尽くした方が僕自身としては、精神衛生上よっぽど平和になれる。
他者を不幸にするよりよっぽどマシだ。この目線は捨てずに頑張りたいと思う。
ってことで今日はこの辺で。