精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

創りたい塾を考える Vol.11 【凡庸と理想と安心と創造のベン図は描けるのか?】

どんな本を読んでも、どんな動画を観ても、「これを自分の塾にどう生かすか?」に意識が向いてしまう中元です。

 

はい。いつもそうなのだが、今日は完全に、ただ胸の内を徒然なるままに書き殴ることに特化した記事にしようと思う。

 

僕は僕の校舎を”創らない限り”、どこか空しい今を変えることはできない。―これこそ、ここ数日様々な角度から検証し、考え抜いて、辿り着いた結論だ。

 

4月から薄ぼんやりと考えていて、7月には社長へ直談判し、別の道も示されながら、8・9月の繁忙期を乗り切った今、もうゆるぎない決心になった。

 

既存の校舎の長を交代する形で組織を率いることは、僕の幸福度や豊かさには寄与しない。だからその話が来ても断るつもりだとは、どこかで触れた気がする。

 

とはいえ、ある種この時点でエイヤ!と独立し、自分の塾を開いても、数ヶ月も持たずに僕の校舎は潰えるだろう。

 

現状、僕自身に足りないものが多すぎる。資金や経験値は仕方ない側面もあるが、なによりまだ、思考が全然まだ足りない。

 

「あとは行動してデータを集めていく」段階ですらない。この時点での行動は極めて無謀だ。どう考えても美徳にならない。

 

凡庸と理想と安心と創造のベン図が交わるところはどこか。今の僕が突き詰めなければならないテーマはそこである。

 

―ここから、僕が考えたことを、なるべく密に言葉へ落とし込んでいきたいと思う。

 

 

理想だけ追っても人は来ないが、凡庸なだけだと選ばれない。

 

理想の塾とは何か。僕の中ではまだまだ、抽象的な部分が全然定まっていない。具体的なやりたいことはあるのだが、そこに共通点を見出していないのだ。

 

理想というと聞こえはいいが、それが異様になったり奇を衒ったりすると、そもそも誰からも選ばれずに終わる。わけのわからない店には立ち寄りたくないのと同じだ。

 

例えば、「ローカルなエリアに革新を起こすため、インタラクティブなアクティブラーニングをコンテンツの中軸に据えます」という塾は、うさん臭くないだろうか

 

こういう風に、西野亮廣氏のいうところの【変化球】を投げたら、僕は終わる。まずは誰よりも剛速球のストレートを投げる努力をするべきだと思う。

 

となれば鉄板なのは、個別授業・集団授業の二本柱であり、あとは英会話とかそういうのが武器となる。

 

―だが、それ”だけ”を売ったところで、そんな塾は山ほどあるため、僕の塾を選ぶ理由には全くなり得ないのが難しいところだ。

 

特に新しく塾を創るということは、信頼も実績もクソもないという話になる。だから、何を扱うかという点に、まずは安心感を持たせなければならない

 

塾に求めるニーズの1位は、例えば高校受験や定期テスト対策など、ある意味どこまでもニッチな分野に集約されるのだという。

 

そこを全面的に押し出して売りつつ、ある程度の信頼を勝ち得てから、「今度こんなサービス考えてます」という風に少しずつ色を出す。

 

順番を間違えたら、痛い人になって塾を潰して終わる。ここは徹底して自分を脅迫しておこうと思う。

 

安心感のある塾は淘汰されるリスクを孕む。創造性の高い塾は顧客が離れるリスクを孕む。

 

安心感のある塾は強い。ここで言う安心感とは、「ただそこに何年も、同じ文化や価値観のままで存在することが担保するブランド」と言い換えてもいい。

 

今までとずっと同じだから、安心して参加できる。その最たる例は、例えば地域のお祭りとか、伝統芸能の類だろう。

 

―そういうところでは、変化はむしろ否定されるべき行動となる。安心が第一なのだから、何かが変わるとかもってのほかである。変わるなら止める。そんな風に。

 

だがそれを真に受けて、元からいる人の言いなりになって変化を一切しない会社の末路は、揃いも揃って破滅なのだ。

 

安心感だけをウリにする塾は、この世に要らない。新しい技術や傾向を学び続けて、コンテンツを変えられるところだけが生き残れるし、楽しく働ける。

 

変化を拒否する環境を拒否したくて、僕はこの道へ踏み出そうとしている。安心感ももちろん必須だとは思うが、それの維持に終始したら終わりだと強く心に刻みたい。

 

新しいことをすれば、いなくなる人もいるだろう。それを成長痛と思えるか、どうか。間違っても、自分の輝かしいキャリアに傷がついた、等とは思ってはいけない

 

安心を担保しながら、変化を止めず、創造性を殺さない。僕が憧れる塾は全て、この一見相反するような2つのテーマを、完璧に体現している。

 

この辺にはまだまだ観察が足りない。残された期間は短いが、徹底して体現できている人のそれを盗み出す所存である。

 

凡庸ではないが安心感があり、理想に向かって創造が成されている塾。

 

こういった思いをぐちゃっと混ぜると、「凡庸ではないが安心感があり、理想に向かって創造が成されている塾」という感じになると思う。

 

なにかを言っているようで、なんにも言っていないフレーズなのだが、ある意味北極星のようなものとして、たどり着けないけどずっと掲げるべき指針として考えたい。

 

さて。これは別のブログに書いたのだが、当面の目標として、僕は今後社内独立のような状態を目指していく。

 

するべきタスクは勿論するのだが、合格点以上のオプションは控えて、余った時間と集中力を自己投資へと回す感じだ。事業計画書しかり、指導可能科目の増加しかり。

 

ただしこれは非常に都合がいい話なので、当然次年度は、契約社員や非常勤へ、雇用形態を変わりたいことも会社に伝えようと思う。

 

キャリアアップを諦める以上、今の待遇であってはならない。不退転と言えばかっこいいが、要するに依存度をお互いが減らすという風に。

 

日増しに決意は固まっていくが、超膨大な立体パズルを組むようなもので、あといくつの破片が残っていて、完成までどれくらい掛かるのかさえ、見えてこない。

 

それでも諦めずに、考え続ける所存である。では今日はこの辺で。

 

 

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