精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

【同業者向け】己の頭の中にあるものだけで、色んな戦略を考えようとする人は、マジで危うい。

偏頭痛が一度出ると、3日続くという覚悟を決めるだけで、心が楽になる気がするという謎の悟りを得た中元です。

 

はい。ここ最近、新年度の募集に向けたキャンペーンについて、先輩方の間で議論が盛り上がっている。(まァ、僕は校舎長じゃないので蚊帳の外なのだが)

あーでもない、こーでもない、そういう先例は無い、どんなアイデアがいいのか、等々。話が進んだり戻ったり反れたりと、本当にせわしない。

 

僕は人の話を聞くのが苦手で、意識しないと自然にスルーするという特技を持っているため、そういう方向性が定まらない話し合いの間は、基本スイッチを切っている

 

・・・にしても、先日の会議の際は、えらい全員が袋小路に嵌っている印象を持った。何がどうしてというのは言葉にし辛いが、傍目から見てそうだったのだから仕方ない。

 

そこで、珍しく議事録的なものをメモに書きながら、途中からではあるが話をしっかり聞くようにした。そしてしばらくして、僕が抱いた違和感の正体に気が付いた

 

今日はその正体と、結果少しゾッとする教訓に気付いたということをベースに、記事をまとめてみたいと思う。

 

 

「オリジナリティ」という無価値なブランド。

 

僕が気付いた違和感の正体は、例えば誰も他塾の例を引用しなかったことである。

 

あたかも、自分の経験値や仮説だけを頼りに、完全独自な計画を作らなければ絶対にダメとでも言いたげな異様さであった。

 

誰もその情報を持ち得ていないのなら、それは認めたうえで、各々が一旦持ち帰り、勉強することが肝心なのでは、と。僕はそう感じた。

 

だから実際、会議が終わった後で個人的な意見を求められた際、僕は自分がその情報を持ち得ていないことは重々承知していたので、こう答えている。

 

「一旦他の塾の例とか、調べ直してまたお伝えしますねー」

 

・・・その際の、「これだから頭でっかちなヤツは・・」と書いてありそうな怪訝な顔が、まだ思い出される。だが心に小波が立つほどではない。成長したな、俺。

 

その際に悟った。自分が知らないということを可能性に入れないというのは大いにあり得るし、伝播するし、それを意識下に引き上げることはかなり難しい、と。

 

「オリジナルであることに価値はない!」と断言する経営者も多いが、その言わんとする理由がまた変な側面から理解できた瞬間であった。

 

調べることは敗北ではない。調べたのをそのまま工夫せずに使うのはアレだけど。

 

実は僕自身も20代前半の頃はこの辺を勘違いしており、「すでにこの世にあるモノに価値は無い」と信じ込んでいた

 

だから、人の意見なり作品なりを調べることに、抵抗があったと言えばウソになる。もがき苦しみながらも、自分独自のスタイルを持つことが大切だと思っていた。

 

しかしそうやって、よくわからないまま独創に走っても、結局出来上がるものは模倣とさえ呼べない、型の劣化版に過ぎないのだ。

 

※その辺の洗脳は、以下の本を読んだことがきっかけで、完全に霧散することになった。かなり面白いので、ぜひ読んでみてほしい。

だからこそ、先例をいくつも調べ、真似し、仮説でもいいから型を作り、それを使いながら、修正を繰り返すことが大事なのだと、ようやく腑に落ちたのだ

 

オリジナリティとは、その人が何重にも、仮説と問いと検証を繰り返した集積の果てに表れる。そう納得してから、ずいぶんと心が楽になったのを覚えている。

 

では、今僕がやるべきことは何かというと、そもそも思考の材料が無いのだから、仮説ができるまでひたすら先例を集めることだろう。

 

ということで、今から打とうとしているキャンペーンについて、10個くらい先例たる塾のページを開き、ノートにまとめてみることをやってみた。(大手塾は除外しながら)

 

すると、結構共通する売り文句みたいなものが見受けられることが判明した。簡単にまとめてみよう。

 

①いつ初めて、具体的に何の単元を行い、いつ終了するかといったスケジュールとカリキュラムが完全に可視化されている。

 

②例えば「テストが難化」「英単語暗記量の増大」といった、"新中1講座"で早期に始めねばならない理由が明記されている。

 

③コースを2つ以上用意し、受ける・受けないではなく、「どれにするか」という推し方をしている。

 

④キャンペーンからの入会は一部費用免除など、おトク感が出る広告になっている。

 

⑤とはいえオリジナル教材を使用し、教材費を取るなどして、きちんと一部分はペイできる設計にもなっている。

 

⑥どこへ問い合わせをすればいいかが明白。

 

―等々。15分くらいリサーチしただけだが、これだけの情報が集まってきた。この手間を惜しむのは、ちょっと・・・・。

 

また、こうやって列挙すれば、単に値下げすればいいとか、適当に声掛けして内生を呼べばいいといった類のアマアマな話ではないことなど、即理解できる

 

己の頭の中に答えが無いとき、如何に早く見切りをつけて調べに掛かるか。この文化、僕が校舎を引き継いだ暁には、徹底して普及させる所存である。

 

・・・これらの情報をまとめて、上司に進言したら、どうなるか少しイメトレしてみた。結局は、ナァナァになるような未来が見えてしまった。まぁ、言うだけ言うけど。

 

己の頭の中にあるものだけで考え抜くことは、実は思った以上に危険である。そういう話がここから伝わっていれば嬉しい。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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