カーテンを開けっぱなしで寝たら、ついぞ起きられませんでした。ドラキュラと同じ体質、中元です。
さて。夏休みが始まり、ある程度の期間が過ぎて、残る課題は自由研究のみという生徒もポコポコと現れるようになってきた。
以前記事にしたのだが、僕は結果も過程も調べたら出てくるような研究をするくらいなら、最初からそれを全部書き写せとさえ思うタイプである。(例:朝顔の観察記)
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そんなのもあり、僕は夏休みの自由研究のネタを相談に来た生徒に対し、
「自分の身体で実験したら?」
というのをよく提案している。これには僕なりに思う、大事なヒント(考え方)がいくつか隠れているからだ。今日はそないな話である。
【結果】も【過程】も評価される経済。
理由は死ぬほど簡単で、オリジナリティを出す一番シンプルなコツは、検索しても出てこない何かをすることだからだ。
そしてそれは、【結果】だけに焦点を合わせるとかなり難しいが、逆に【過程】を意識すると、驚くほど簡単になる。
例えば、ベンチプレスで100㎏を上げられる人は、無茶苦茶凄いが、結構たくさん存在する。(YouTubeで検索掛けたら一発)
しかし、どのような努力・日々・考え方のもとでそこに行きついたのかという過程の部分は、全く同じ人などいないと思う。だからそこをまとめて研究にすればいい。
ーここだけ言えば、「いや、カブトムシの育つ過程もバラバラなんだから、普通に研究すればよくね?」と思われるかもしれない。
とはいえ、よほどのマニアでない限り、生物の個体差まで気にして独創性云々を問う人って、いないのだ。
また、カブトムシにその時々の気分を聞くこともできないので、見たまんま以上の情報がまず伝わらないという側面もある。
できることなら、自分ができない何かを習得するとか、能力を伸ばすというテーマにして、日々の感想・試した施策とかをコツコツ重ねていくようなものが、僕は見たい。
とはいえ、「そんなの自由研究じゃない!(理科っぽくない)」と言われそうなすれすれのラインなので、別のことも提案しておきたい。
例えば「やってみてほしいなー」と思うので言えば・・。超錆び錆びの10円玉とか、謎のおもちゃとかをどっかで集めてきて、修復するとか。
また、どうしても生物にこだわるのなら、アサガオの「比較」観察記とかも観てみたいかも。2つ鉢植えを用意して、片方は栄養剤ドクドクにするとか。
ということで僕が提案したいことをふわっとまとめると・・。
検索しても出てこない情報を、過程を添えてまとめた何か
である。伝わりにくいだろうけど、さわりが伝わっていればそれで充分である。
真似するのはいいんだよ。それに終始しなければ、さ。
今は教育カリキュラムに大ナタが入り、【狙い】含めてゴリゴリと修正されている最中である。
現行の制度がどういう人材の育成を目指しているのかについて、僕は自分で問題を定義し、解くことができる人間ではないかと思う。
近いところで言えば、数学の文章題から計算式を起こすような思考が、どの科目でもできる人間という風になる。
問題は与えられるものではなく、創るもの。そういう思考を地で行く人は、大抵どこの組織でも頭角を現しまくっている気しかしない。
その練習として、実は自由研究はかなり優れた、そして貴重なチャンスなのだ。科目をまたいで、どんな事象を問題とするかさえ、自由。
全く何を調べればいいのか見当がつかないのなら、手垢べとべとのテーマを採用することも別に構わない。
ただしそれに必ず、自分なりの検証や考察、仮説を添えることを忘れないこと。
アサガオの観察記、カブトムシの成長。どれもこれもネットに過程から答えが落ちているが、それに対するコメントはあなたが書けばあなた独自のものである。
塾は夏こそ繁忙期なので、そういう自由研究2.0とでもいえるワークショップを開くことはできないのだが、メッセージだけはめげずに伝えていこうと思う。
終わりに。
自由研究の意義をはき違えているような気がする生徒がたまにいる。厨二心をくすぐるような薬品とか単位を、もりもりレポートに書き込むようなそれだ。
たとえどれだけ高尚なテーマを取り上げようが、ネットで答えがすぐに拾える限り、少なくとも僕はあまり興味を抱くことは無い。
何度でもいうが、検索しても出てこない情報と結果であれば、過程にも自然と価値が生まれる。まぁ、それが何人にとってそうなのかは、別問題だけれども。
ということで今日はこの辺で。