僕のような字が汚い子が、人生で言われる言葉トップ3には、確実に「丁寧にやりなさい!!」というフレーズが入ってくると思う。
そんな「丁寧」という言葉だが、最近ふと気づいたことがある。僕は「丁寧」という言葉を、「丁寧」という言い方以外で説明ができない、ということだ。
なんとなく「ゆっくり落ち着いてやること」というイメージを感じてはいるのだが、あまりにも解像度が低いなと、ちょっと自分に呆れる部分もあるわけで。
ということで仕事の空き時間を利用してその意味をきちんと調べてみたところ、この「丁寧」という言葉は、非常に含蓄のある言葉だったと判明した。
今日はそんな謎の発見を、せっかくなのでシェアしておこうと思う。
「丁寧」とはなにか?
まずは何より、辞書の意味で確認をしておこう。実用日本語表現辞典曰く、こんな感じの説明が書かれていた。
丁寧(ていねい)とは、「細かい部分に注意や気配りが行き届いているさま」、「入念に丹精込めて行うさま」、「礼儀に則り折り目正しく振る舞うさま」などを表現する言葉。主に動作(所作)、態度(対応)、表現(言葉づかい)などを形容する語として用いられる。
「丁寧」は基本的には形容動詞として用いられる。
―つまり、「動作をゆっくり行うこと」といった部分は、あくまで結果として出てくるものであり、「丁寧」とはつまり心構えができている、という具合の意味らしい。
別の「語源由来辞典」というサイトも参照したが、言っている意味合いは大体似たところであった↓
丁寧とは、細かいところまで気を配ること。注意深く念入りであること。言動が礼儀正しく、心がこもっていること。叮嚀。
細かいところまで気を配り、注意深く念入りに、一つ一つの動作・所作に心を込めて実行する。ここまで心掛ければ、なるほど確かに「丁寧」だ。
・・・ところで、「丁寧」の言わんとするところをこうやって調べていくと、最近話題のあのスキルのことを指してないかと、また別の疑問が湧いてきた。
そのスキルとは、「アンラーン」である。「丁寧」にやるとはつまり、「アンラーン」のことを言っているのではないか。
ということでここからは、その気づきについて書いてみる。
「アンラーン」って、なに?
「アンラーン」は英単語であり、スペルで表すと「Unlearn」と表すそうだ。これは「学ばない!」という意味ではなく、「学びを手放す」という感じだという。
色々な説明を読んだが、わかり易いと思ったのは以下のそれだ。
アンラーン(Unlearn)とは、「学習棄却」や「学びほぐし」などと訳されます。
一般的なラーン(Learn)は「学び」として新しい知識・思考・習慣などを得るなどインプットが重要視されます。
一方で、アンラーンは既に学んだ知識・思考・習慣などを見つめなおす(必要によっては手放す)ことを言います。
新しい環境に適応するために、過去の延長線上にない学びをするためのスペース作りとも言えます。
また、対談の文字起こしなのだが、こういう解説も見つけることができた。
アンラーンを分かりやすく言い換えるとすれば「これまでに身につけた思考のクセを取り除く」です。
「思考のクセ」というのは、環境に適応してパターン化した思考のことです。
僕たちは仕事でも日常生活でも、発想や選択をある程度パターン化することによって、よりスムーズに物事を進めることができています。
でも、ある1つの環境に適応し過ぎてしまうと、ひとたび環境が変わったときにはこれまでのパターンが通用しなくなってしまうという事態を引き起こします。
「やったことがない」「前例がない」という理由で何も決められない。すぐに対応できない。前向きな行動ができない。
今回のコロナ禍における様々な場面で、このような事態が多く見受けられたことに、みなさんもお気づきではないでしょうか。
変化に直面したときには、パターン化された「思考のクセ」が柔軟な発想の妨げになることがあります。
いや、それだけではなく、「思考のクセ」は自分自身の成長を止めてしまう可能性もあります。
そうならないために、「思考のクセ」をまずは捨て去ること。その上で、よりよい学びを実践すること。
「アンラーン」とは、そうした一連のプロセスなのです。
ざっくり言えば、まずは無意識下に沈んでいる自分の行動を、観察によって意識下に引き上げて、一つ一つ分析していく。
それによって掴めた自分のクセや思考に仮説をぶつけて、自分の”無意識”の部分をアップデートしていく。これもまた、広義のアンラーンではないかと思う。
ところで、ここまで考えれば、やはり思う。これはつまり、あらゆる所作を「丁寧にやること」ではないのか、と。
普段何の気なしにやっている動作に意識を向ける。一つ一つの所作を入念に行う。そうすることで、無意識下に沈んでいるクセを段々と理解することができる。
自動化された動作や思考を手放して、新たな学びへ繋げていく。「丁寧さ」とは、その一歩なのだとしたら、なんと含蓄に富んだ、素晴らしい言葉であろうか。
「無意識で実行していることに意識を向けろ!」と言われても、どうにも難しい。しかし「丁寧にやれ!」と言われれば、できないことはない。
言っていることは同じなのに、だ。
僕も色々なことをガサツといわれる大雑把野郎なのだが、時には意識的に「丁寧さ」を発動して物事に取り組むのも悪くないなと、改めて思った。
では今日はこの辺で。