精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【同業者向け】”いつも”未来を見据えると、頑張りすぎて追い詰められて心を壊して糸冬了するだけ。

繁忙期だ。忙しいという感覚が分からなくなるほど、忙しい。熱いお湯に浸かり過ぎていると、熱さそのものに麻痺していくあの感覚に近い。

 

だが、今のところ体感として、疲労が限界に達しつつあるという感じはしない。もちろんこのまま何か月も走ることは無理なのだが、まだいけるという感覚はある。

 

ついでに言えば、この症状・思考が出ればうつ病になりかけているというラインも自分に設定しているのだが、それを超えている感じもない

 

主観的にも客観的にも、とりあえず少しだけ能力が落ちてきたこと以外は、多忙による影響をさほど受けずに来れているというのが現状である。

 

この冬季の最中、僕が心掛けていることはたった一つだ。その心掛けがどうやら、僕の心身が崩れることから、守ってくれているらしい。

 

今日はその心掛けについて、せっかくだからシェアしておこう。

 

 

短期目標という麻薬。

佐渡島庸平氏が、著書やケアの方法を参考にしているという下園壮太氏の本が、数冊家にある。その内、一番文体が優しい↑の本を、今寝る前に読み返している。

 

その中でしっかりと自戒した方がいいなと思った考え方がある。それは、子供の頑張り方に固執しないこと、である。

 

簡単に言えば、我慢しなければならない、完璧でなければならない、どんなことも投げ出してはならないという風に、全ての行動に【must】をつける考え方だ。

 

このように頑張ればそれでいいなんてのは、得てして子供の頃の話だ。世の中がまだシンプルで、大人が庇護してくれて、危なかったら止めてくれた、あの日の論理。

 

その論理を複雑な社会にそのまま当てはめると、無理が出るのは当然といえる。例えば、全ての依頼に、辛さを我慢してYesと答えれば、体よく搾取されるだけのように。

 

「大人になれなかった僕たち」とは、ある種反体制的な響きがあり、アウトローな存在だけを指すフレーズに聞こえるが、実はそこら中にそういう人がいるという話なのだ。

 

そういう子供の頑張り方の中でも、油断すればすぐ僕も依存してしまうものがある。それが、短期目標だ。

 

「あの電柱までは頑張ろう」「このページまではやり切ろう」という風に、目標を目先のところに刻んで、そこまでは全力で頑張る。子供の頃、確かにやったものだ。

 

これは使い方次第では、大人の世の中でも完全に機能する。「この資料までは作ってしまおう」「明日の予定までは片付けよう」という風に。

 

一見すると、非常に健全な思考だ。ではなぜ、これが危険な考え方になり得るのか。それは、ここで加速がつくと、簡単に”頑張りすぎ”というモードに嵌るからである。

 

短期目標とは、言うなれば50m走のようなものであり、そもそも長距離を駆けるという前提には無いものである。

 

しかし気付けば、頑張り屋さんほど、短期目標を延々と重ねて、長期目標にすり替えてしまうことがある。そしていつしか燃え尽きて、心身が壊れるという図式なのだ。

 

明日やればいい資料作成を今日やって、明後日やればいい授業準備を明日にネジ込む。時間は埋まり、仕事をしているという実感はある。だが必要かどうかは、眉唾だ。

 

短期目標は麻薬のようなものという指摘を、僕はどこかで読んだ。本当にその通りだと、恐ろしくなる気持ちもある。

 

不安な気持ちが鎮まり、行動しているという昂奮が得られる。しかし確実に心身を蝕み、そして最終的にはそれらを両方破壊する。

 

短期目標に”依存する”なんて書き方をしたのも、そういう側面があるためである。

 

さて。では、この厄介なモードに嵌っていると運よく自覚できたとして、そこから抜け出すには、一体どうすればいいのだろうか。

 

これについては、自分の中で一つの答えが出ている。ルーティンとしてやっている物事を起点として、今日1日だけに集中することだ。

 

今日やるべきだと感じたことを終わらせたら、そこでオシマイにする。明日の予定は見ない。空き時間を恐れない。代わりに、例えば趣味の知識を調べたりして、埋める。

 

この行動のヒントは、色々なところで見つけられる。例えば【大河の一滴】だったと思うが、こんな風な話がある。

 

南極の基地に派遣されるといった極限の環境であっても、最後まで健康に生き抜く人は、日常の所作を丁寧に繰り返す人が多いのだという。

 

朝起きたら、髭をそり、服をきちんと整えるといった風に、日常生活における決まり事を、どこであろうと守る。そういう人が生き残る、と。

 

なんと示唆に富んだ話だろう。

 

また、ビジョナリー・カンパニー2にも、似た話はあった。そこに紹介されていた、収容所から生きて出ることができた人の逸話だったと思う。

 

捕虜にされた人たちの中で、例えばクリスマスまでには出られるはずだと未来の希望を考えた人は、心身が弱って塀の中で一生を終えた人が多かったそうなのだ。

 

これまた興味深い話だ。未来に希望を抱けば心が弱り、今を丁寧に生きれば健やかさを保てる。時間軸を今に設定し直すことは、思った以上に大切なのだ。

 

現に僕自身、今は何月何日なのかを完全に忘れていた。明日何をすればいいかも、意識的に頭の外に出している。未来の楽しみなイベントも、あえて設定していない。

 

淡々と、毎日毎日、決まった流れで決まったタスクを行っていく。楽しい未来のことを考えるのは、この日々を終えて、余白ができてからでいいのだ。

 

”いつも”未来を見据えると、頑張りすぎて追い詰められて心を壊して糸冬了するだけ。

 

腹を括って、毎日毎日今日この日このときだけに集中してみることは、非常に有益だと保証する。

 

では今日はこの辺で。

 

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