最近のナイトルーティンは、ヨッシーアイランドの100%TAS動画を観ることです。大体10分持たずに寝落ちするのでオススメ。中元です。
はい。昨日、別にたるんでいるわけでもないのだが、自分の気を引き締めるという狙いもあって、こんな記事を書いた。
プロ意識が高いことを宣言する人を、小馬鹿にする風潮はどこの国でも見られるが、どんなすごい人も、最初はブチあげることから始めたのではと、僕は思う。
神様に持ちあげてもらっている状態を自分から作り、現実との差を可視化して、それを埋めるために必死で努力した結果、本当に辿り着く。そんなイメージだ。
安全地帯で吠えている状態からは、永遠にたどり着けない場所。そこに行きつくための第一歩が宣言というのは、本当に面白い。
このことを端的に表した発言を、イチロー選手が現役のときにインタビューか何かで答えている。
イチローは怪我なく、毎日試合に出続けているために準備を怠らないのはなぜかと聞かれて、こう答えています。
「僕、いくら貰っていると思います?」
これを冷笑するのは簡単だが、僕はここにかっこよさを感じたし、そのレベルへの憧れも強く抱いた。これぞプロの考え方なんだ、と。
ということで今日は、もっと自分をヒリつかせるため、「授業」や「指導」のプロとは何かというテーマについて、もう少し思索を深めたいと思う。
書いてしまえば言い逃れできなくなるが、ある種、「望むところ」である。ではいこう。
【ネットワーク思考】を身に着けるべし。
プロというと、ある一つのテーマなり技能なりだけに、長年打ち込み続けた果てという印象も抱く。10年間、プロになるため将棋のことだけ考えました、という風に。
自分の芯を明確に定め、全てのインプットもアウトプットもそれに帰着する。講師・教員であることは己の矜持であり、文字通り人生を捧げる、という風に。
そういう突き詰めた生き方を、僕は別に否定しない。毎日毎日、教育に関することを突き詰めて考え続けるという姿勢も、プロの在り方の一つだと思う。
しかし僕は、そのモノサシを自分に当てたと仮定すると、それはとんでもなく息苦しいと思った。それだけに捧げるには、人生は長いし、使える資本は多すぎる、と。
抽象論になるが、知識・経験の深さは確かに凄いところまで行けるだろうが、その広さは果たしてどうか、という疑問も抱く。
僕はその人自身の深みや知識は、「体積のようなもの」だと考えている。厳密には違うだろうが、つまりは「広さ×深さ」なのだ。
それもあって、僕が目指したいプロの像は、様々な事柄を臆せず学び、習得し、そして自分の中にある全ての既知の事柄と紐づけていく人である。
例えば歴史小説一つ読むにしても、それを通じて語彙力を強化したり、社会や国語の授業のネタにしたり、あるいはストーリーの型を学んだりできる人でありたい。
いわば、1つのテーマから10のヒントを同時に得られる人。脳内の知識が有機的にコネクトされた状態を狙って創れる人。これが僕の思うプロである。
具体的にそのために何をすればよいかは、まだまだ試行錯誤の途上である。現状、ガムシャラに色んなことを勉強し、たまたま繋がる瞬間が起こる確率を上げるしかない。
僕は深さではなく広さで勝負できるよう、これからも自分の守備範囲は拡大していく所存である。
脳が最高のパフォーマンスを行えることに、最たる優先順位を置く。
大学生の頃の僕が聞いたら腰を抜かすだろうが、僕ははっきりと、自分の脳みそがきちんと働けるような環境を創ることを、優先順位のトップに置いている。
といっても、それはそこまで難しいことではない。無駄にリソースを奪うことをせず、またきちんと睡眠に投資をすれば、事足りるわけで。
安河内哲也氏も、著書でこんなことを書いていた。
「睡眠時間を削って準備をするのは、美談に聞こえますが、どうにも二流です。一流の講師は、授業準備をさっさと終わらせて、ちゃんと寝てます。」
―こんな話は、そこかしこで見聞きする。睡眠時間を軽視して仕事をするのは、誰もが口を酸っぱくして説く、二流の所作らしいのだ。
それを受けて、僕も眠りを軽視することは止めた。学生の頃は死ぬほど没頭したゲームも、睡眠時間から逆算して始まりと終わりを決めたほどだ。
その内、そんなに長時間没頭しなくてもいいやとなって、ゲーム自体から遠ざかっている。(その代わり今は、酒との付き合いを考え直さねばならない段階だが・・)
あとは、食物繊維にこだわってみたり、サプリメントをあれこれ試したり。遂にはFitbitを購入し、全てを数値化するところまでたどり着いている。
・・・別に塾講師として一流になるためだけにこういうことをしているわけではないのだが・・。
ただ佐渡島庸平氏もいうように、一日を健やかに過ごすための、ドミノの1枚目という実感は、確かにある。
きちんと眠れれば、何をするにも楽しいし、要らぬ反芻思考も湧きづらくなる。また、脳機能を高めておけば、本だってガンガン読めるし、難問への集中力も続く。
自分の身を削ることを避けるのもまた、僕が思うプロの所作の一つだと考えている。
終わりに。
ということで、ここに書いてしまった手前、僕は上記のあれこれからもう逃げることはできない。
勉強は継続して、しかもそれぞれをネットワーク化する必要があるし、健康には今以上にオタクな知識・経験を身に着ける必要がある。
―だが、別にそれはある種日常の延長であるため、そこまで苦ではないというか、何の感想も抱かないというのが正直な体感だ。
周りから見れば「やっぱプロだなぁ」という思想と、そこから出る行動も、本人からすればある意味単なる日常なのかもしれない。
そうなったとき、僕は本当にプロへなれたんだと思えるのだろうか。一流は努力をしている自覚が無いという格言もあるが、その域はまだまだ先に聳え立っている。
・・ということでだいぶ独り言めいた内容になったけれど、今日はこの辺で。