精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【同業者向け】そろそろ【校舎長やのーて、独立することに決めたっす】と切り出すので、誤解されそうな事柄を先に整理しておく。

ストレスが異常に強いときは、大抵意識が負の何かに集中しているという考え方が、最近すごくしっくりきます。中元です。

 

はい。自分の中で完全に腹が決まったのだが、僕は今の会社でポジションを上げてから独立というキャリアを捨てて、再来年から校舎を作る方向で動く。

 

そのため、次年度は契約社員か非常勤講師への、雇用形態の変更を伝える予定である。理由は主に、時間を作るためと、退路を断つため、という感じだ。

 

僕の中では何百回も問いかけをつづけた果ての帰結であるため、突拍子がない話でもなんでもないのだが、これを言われた側は腰を抜かすだろうな。

 

我ながら、そんな素振りは全く見せていないためだ。リアル寝耳に水であり、何かこう、感情的なものが爆発した、やけくそな提案だと思われる予感はする。

 

ただ、それがために、いざ切り出しても的外れな説得や説教を受ける気もしている。それは猛烈にイライラする話だ。

 

だから今回は、なんか前も書いた気がするけど、その想定される質問を自分で作って、自分で解くようなことをして、キチンと説明する準備をしようと思う。

 

もし同業者の方で、ここに書いたのと似たストレスを感じている方がいるのなら、そのキャリア選択の、何かヒントになることが書けるかもしれない。

 

今日はそういう記事である。

 

 

Q:なぜ校舎長になるという道を捨てるのか?

 

今の状態を考えると、そんな未来は描けないからだ。仮にそれが実現したとして、そういう自分を想像したとき、なぜか心が躍る感覚は得られなかったのもある

 

・・他の塾の事情はちょっとわからないが、僕の勤める塾の各支店の校舎長は、僕が入社した時点から一人も変わることなくそのまま来ている。その間、6年以上だ。

 

どの校舎にも、その間そこを治めてきた人の色が、かなり濃く染みついている状態。そこに僕がノコノコ入って、自分の色に返る努力をしたところで、なんなんだ?

 

恐らく僕はどこに配置換えされても、「そこが自分の居場所である」とは感じられないだろう。借り物というか、違和感というか、そういうのをずっと考えるはず。

 

―それに実は、今の会社は人余りの状態だ。そして僕は、社歴が二番目に浅い。配置換えとは、つまり、僕の下に今の上司の誰かを就けるということを意味する。

 

当然、猛烈な抵抗があるだろうし、そもそも降格人事は法的に結構微妙なところなのだ。こんな誰も幸せにならない動乱には、絶対に参加したくない。

 

だからといって、新校舎を建ててほしいというのも、これこそマジで虫が良い話だ。これらが重なって、僕はリスクを背負ったうえで、自分の居場所を創りたいのである。

 

Q:部署を変えたら解決しないか?

 

しないと思う。部署変更とはつまり、僕は結局誰かのサブとして働くという形態に違いが無いからだ。

 

「組織を引っ張りたい」という思いは2年以上伝えてきて、それに求められる数値やスキルについては、その期間ずっと追い続けてきた。

 

それは全体的な発表の場で、堂々と見せつけたつもりではある。反応が良かったという実感もある。

 

それに、実は僕を校舎長に推す人たちも、結構いるそうだ。そしてその声は、更に上役のところにも、届いているという。

 

だが、その状態が2年続いているという現実が、「やはり、期待などしない方がいい」という感覚を強く抱かせる

 

年功序列に代表される、態度が実績に勝る価値観が優勢になりつつある状態なので、部署転換程度の変化は、組織に何も起こさないとしか思えない。

 

ちなみに先ほどの社歴の話で言うなら、僕の順番は次ではなく、次の次となる。やっぱりもう、待っていられないなぁ・・。

 

Q:お前が塾長の塾に、生徒がくると思ってんの?

 

来ますよ。来るまで意地でも募集し続けるから。

 

何十回でも校門へビラ配りにも行く。何時間もポスティングだってする。何十記事もブログ記事を書く。何人にだって頭を下げて紹介を貰う。

 

指導可能科目や質を増やす努力は、手を抜かず続ける。本だって動画授業だって、ひたすらに勉強する。繁栄している他塾のやり方は、全て徹底的にパクる。

 

来るか来ないかじゃなく、問い合わせがあるまで続けるしかない。そこをサボって安穏としていると、そのままイコール、死が待っているのだから。

 

・・・なんというか、こんな質問をされたら、上司相手でも「ナメんな」と言ってしまいそうである。大丈夫かなぁ。

 

Q:お前が抜けると迷惑が掛かる人もいるよ?

 

まぁ、これについては、「でしょうね。」とでも答えるしかない。

 

虫が良いことを言っている自覚はあるが、ではその”迷惑”を掛けないことに集中するとどうなるかというと、僕の将来が死ぬのだ。

 

自分で自分の将来を殺すなんて、感情論だが猛烈に嫌である。

 

―それに、断言しておくが、僕が抜けて困りそうな人を頭に浮かべたが、その人たちは押しなべて、僕を少なからず補助役、時には便利屋として捉えている人たちである。

 

僕が忙しい間、大体その人たちは暇そうであった。だから、僕が持っている作業を返したところで、特に支障が出るとは思わないのである。

 

それは迷惑ではなく、怠惰のツケではなかろうかと。本当にしれっと、すっとぼけた様子で言ってしまいそうである。

 

もちろん授業といった代替不可な部分はあるので、そこだけは1年ほど、引継ぎ等のために担当する所存ではある。それくらいは、さすがにやる。

 

ただし、その他顧客とのやり取り、クレーム対応、事務作業は一切お断りだ。しかし、責任と給料は比例する。それくらいわかっている。だから正社員は辞める。

 

僕は今の便利屋というポジションで、会社に給料分の利益をもたらせてはいない。しかし、僕が裁量をもって組織を動かす状態になることも、一切期待していない。

 

もうこれ以上、自分が無駄遣いされている、自分を無駄遣いしているという感覚の下で仕事をするのは申し訳が無さ過ぎるのだ。

 

迷惑を掛けるだろうという後ろめたさは、このある種胸に秘めた悲愴感が完全に打ち消している。だからこその、「でしょうね。」なのである。

 

終わりに。

 

こうして書き並べてみると、どうにも悲観的に聞こえるのだが・・。ここに至るまでの思考の流れを書くと、実は非常に単純だったりする。

 

上が詰まっている状態では、自分の昇進は現実的ではない。これはどの会社でも起こっている、いわば普遍的な問題だ。

 

この点に不満を表明している場合ではない。それは、夏が暑いことに文句を言うほど不毛な行為に等しい。

 

では、誰かの腰ぎんちゃくとして、出世を狙うか?いや、それはそれでたかが知れている。何より、皮膚感覚で大変不快だ。

 

ならば、誰かの地位を奪いに行くか?いや、素直に渡されはしないことなど、日頃の言動を考えれば容易に推測ができる。要らぬストレスが増すだけだ。

 

自分の校舎を作ってもらうことを依頼するのはどうか。

 

やはり、これはあまりにも虫が良すぎる。恐らく、他の社員の反発を買うだろう。「なぜ俺ではないのだ!」という風に。

 

―そもそも自分は、長になって何がしたいのか?チームを率いて、大きな成果を狙いにいきたいのもあるが、一番の願いは、自分の居場所を創ることではなかったか?

 

「いつも変化を楽しみ、目標・努力を愛し、その途上で得た学びを共有し、皆の学びへ還元する環境」

 

これを一番自分が望む形で達成する方法として、既存の校舎の長になることは、恐らく最適解の一つではない。

 

もっとゼロから始めたい。ただし、今の会社の系列として、自分を活かせると自覚しているポジションから、組織に貢献を果たしたい。

 

ならばやはり、【独立】か。

 

という感じだ。毎朝散歩をしながら、必ず一度はこの命題を考えるが、何度やってもどこから始めても、必ず【独立】に行きついてしまう。

 

僕にある種のバイアスが掛かっていることは間違いないのだが、あえてそれを解かない方向でいく。正の思い込みは強い武器になり得るからだ。

 

だがいきなり直談判をするのも急だろう。実は、【独立】を支援してくれる社員の方も、数名いてくれている。その方たちと語り合い、一層輪郭を定めたいな。

 

気が付けば、独立を果たした人の苦労話や体験談ばかり読み耽っている。その度に強く憧れる。ならばとっとと踏み切れってことなのだろうなー。

 

はい。これ以上書いたところで実のあることは書けそうもないので、今日はこの辺で。

 

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