精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

「空き時間」を悪いものにしない思考法とは?

今、職場にいるが、暇である。なぜかというと、予定していた授業が1つ、急遽飛んだからだ。だから今、すごく手持無沙汰である。

 

熱い人が聞いたら、「仕事はテメェで見つけるものだ!働け!!」と怒り出しそうな状況である。だから今は、Midjourneyで画像を作って、仕事してる風に遊んでいる。

 

実際、僕のメタがさっきから、「することないわけないじゃん」と、ずっと囁きかけているのは、薄々感じている。だが僕は、この空き時間を、ゆるやかに楽しみたい


空き時間ができる度に強迫観念に駆られて、穴を掘っては埋めるような仕事を生み出して忙しくする。そんなクソみたいな状況を繰り返し、20代の頃は本当に疲れた。

 

そういう原体験があることが大きい。しかし、自分の潜在意識に刷り込まれた「暇=悪いこと」という洗脳を解くのは、なかなかに大変だ。今もまだ、その途上である。

 

ということで今日は、「空き時間」を悪いものにしたくないがため、僕が意識的に考えていることを、一旦棚卸としてまとめておく。

 

 

順番待ちという解釈。

 

例えば、リレーの場面を想像してほしい。第一走者が走っている間、第二走者、第三走者は、何をしているのがベターだろうか。

 

色んな考え方はあるだろうが、例えばHIITをするなどして、全力で疲れておくべきというアホなことを言う人は、絶対に居ないことだと思う。

 

それは他のスポーツでも同じだ。代打として、補欠として、ベンチに控えている選手がするべきことは、コンディションを整えて、体力を残しておくことである。

 

間違っても、出場している選手と同じ気持ちを味わうといった理由で、スクワットや腕立て伏せに興じることは容認されないに違いない。

 

―正直、仕事における空き時間や有休の持ち回りは、それと同じ論理だ。誰かが働いているときに、別の誰かが休むことは、チームプレーの一環である。

 

むしろ自分が多忙ゆえに他者にもそれを押し付けるのはただの害悪であり、そういう人をゾンビ型社畜と形容した秀逸な記事さえ存在する。(とても面白い指摘だ)

dennou-kurage.hatenablog.com

 

自分が休むことは悪ではない。逆に、休めるときに休まず疲弊すれば、仕事を回せず、結果周りの人の時間を奪ってしまう。休むのもまた、仕事なのだ。

 

もちろん毎日欠伸が止まらないほど暇なら大問題だが、たまに空き時間ができる程度なら、じっくりとそれを味わうくらいで丁度いいのだと、自分に言い聞かせている。

 

”微差”を見つけるには余裕が必要。

微差力という本と、そこで書かれている考え方が好きだ。ざっくり言えば、「大差を生むのは、微差の積み重ね」というものだ。

 

例えば金メダルの選手と銀メダルの選手の差は0.1秒くらいなのに、知名度や評価など、その差は歴然とする。

 

一方、大差を一気に得ようとすることは、それはただの博打であり、時に組織や自分ごと破滅することもあると書かれていた。

 

微差、微差、微差。少しでも今より良くするためには何をすればいいか、じっと周りを見つめて、考えて、仮説を作り、マシンガンの如くそれを確かめていく。

 

そして、その集積こそが、いつしか圧倒的な大差を生む。平易な解説と豊富な実例があり、スポンジに水を注ぐかの如く、心にすーっと染み込んでいった。

 

しかし、その微差を見つけようと意識を集中し、あくせくと息巻いていても、不思議となかなか見つからない

 

むしろ、完全に空き時間の中外でぼーっとしているときなんかに、「あそこの窓に掲示物を貼ったら映えるな」とか、「ここの床、少し汚いな」と気づく。

 

微差に気付くには、そもそも余裕が必要なのではないか。そう考えると、空き時間を設けないことは、つまり微差をどんどんかなぐり捨てることと同義に思えてくる。

 

一人さんは、心を豊かに、まず幸せになることで、新しいアイデアがポンポン湧いてくると説く。これをハイソウデスカと真似するのは結構タフだが、真理だなと感じる。

 

実際今日も、空き時間の手遊びを通じて、ある面白いイベントというか、校舎運営に関する取り組みを考案することができた。

 

空き時間様様である。

 

ということで、暇なことは決して悪くないよというのを念押しして、今日はこの辺で終わりにする。

 

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