テーマが似ているから当たり前かもしれないが、「宇宙創成」「フェルマーの最終定理」「素数の音楽」で出てきた話や知識が、ちょこちょこ登場する。
男子に生まれたがためか、学校でできることを求められる理科や数学がからきしな僕でも、宇宙や数論の未解決問題にまつわるストーリーは大好物である。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
Wikipediaをザッピングしていても、このあたりのテーマを無意識に選んでいることが多い。こないだもゴールドバッハ予想も読んでいたくらいだ。
知らないことを知っていきながら、それ以上に知らないことが増え続けるサイクル。今僕は割と初めて、「人生って短いな」という感想を持ちつつある。
そんなスケールのお話、17週目の記録である。
- 11月27日(月) 密度のゆらぎ
- 11月28日(火) ないけどある
- 11月29日(水) 特異”点”
- 11月30日(木) 新たな神
- 12月1日(金) ブラックホールに落ちたらどうなるか?
- 12月2日(土) 理論「絶対できる!」
- 12月4日(日) 理解できない孤独とユートピア
11月27日(月) 密度のゆらぎ
次の謎は何か。まだ冒頭のところなのだが、ここで出てきたのが原子の摩訶不思議な振る舞いについてだ。
例えば水素は、必要十分な距離にまで近づくことで、自らの引力で結合し、分子となる。しかしそれが閾値を超えると、なぜがばらばらになってしまう。
この性質と、ビッグバン理論の折り合いがつかないからこそ、定常宇宙モデルの格好の攻撃材料になっていたことは、宇宙創成に詳しい話だ。
では次は、原子の話なのだろうか。今のところ、それこそここからどう派生するか、見えてこない。それはつまり楽しみにして良いことなんだと、納得することにする。
11月28日(火) ないけどある
今回のテーマはブラックホールのようだ。漫画のキャラにも同名のヤツがいるし、色々と馴染み深い。
なんでも吸い込み、光さえ逃れられない穴。ここだけ聞くと、何もないかのように見えるが、実はその逆。
超高密度の物質が"ある"のだ。しかしその密度による重力のため、光すら逃げられない。だから、僕らはそれを見られない。
あるけど、ない。ないけど、ある。禅問答みたいだが、それの具体例として、もはや神性のある存在だと思う。
11月29日(水) 特異”点”
シンギュラリティとはAIの台頭以来よく聞く言葉だが、その意味が今日、しっくりと理解できた。
ブラックホールの内部は、ある点を超えると、既存の物理法則や数学が通用しないとされる。その点の名前がシンギュラリティであり、訳を充てるなら特異点となる。
この比喩で表現される、これまでの知識や法則が通用しない特異点は、そろそろ人間社会に登場する(している)と言われるが、ちょっと眉唾だ。
むしろこれまでも特異点だらけで歴史は動いており、今回もその一つに過ぎないのではないか。
狩猟民族から見た稲作定住も、特異点のようなものだ。そう思えば、恐れるという気持ちも大分和らぐ。
僕らを脅かすモノではなく、遠方の空の積乱雲という解釈くらいがちょうど良いのではないか。その場合は、良い傘を買うか、屋根のある場所で過ごせばいいのだから。
11月30日(木) 新たな神
神学の説明では不十分だから、ガリレオやコペルニクスによる新たな天体のモデルが作られた。更に正確な天体の振る舞いを求めるため、ニュートンによる物理が作られた。
惑星レベルの重力となると、ニュートンのモデルでも狂いが生まれる。だからアインシュタインが相対性理論を打ち立てた。
そして今、シンギュラリティにおいては、アインシュタインのモデルも合わないのでは、とされる。
これは絶望なのか、それとも新たな物理が生まれる予兆なのか。歴史的には後者なのだが、それを僕は確認できるのだろうか。
スケールの大きな話を読む度に、僕は僕の寿命を考えずにはいられない。
12月1日(金) ブラックホールに落ちたらどうなるか?
https://amview.japan.usembassy.gov/black-hole-visualization/
ブラックホールに落ちたらどうなるか。小学生の頃に読んだ漫画には、「一瞬でスパゲッティのように細く伸ばされ、散り散りになる」とあった。
あるいは、外部から観測している人にとっては、落ちて行く人の時が止まっているようにみえるらしい。
そして落ちていく当人にとっては、自分以外の世界が目まぐるしく変化するように見える……と。
ブラックホールに落ちた「あと」を問うのは、ビッグバンの「まえ」を考えるのと同じくらい、難しいという。
あるいは哲学的、もっといえば無意味、なのかもしれない。それでも僕は、考え続ける人を応援したいなと、ふと思った。
12月2日(土) 理論「絶対できる!」
理論はときにハチャメチャなことを「できる!」ということがある。
例えば、雑誌を二冊焚き火に放り込んで灰にしても、そのプロセスをきれいに反対にできれば、書かれた情報を取り出せるというものだ。
これはつまり動画の逆再生のようなものだろうが、カオス理論からもわかる通り、これは無理だ。ランダム性を生み出す要素が、あまりにも多すぎる。
しかし、理論上はできる、と。ここを面白がれるか、それとも揚げ足をとるかで、人の器を問われる気がする。
僕はあくまでも、小馬鹿にせず、真剣に受け止めもせず、「へー」というリアクションに留めたいと思う。これが一番つまらない反応だとは思うけれど。
12月4日(日) 理解できない孤独とユートピア
エントロピーという語句が出てした。響きが面白くて名前だけは覚えていたが、改めて登場されると、やはり意味がわからない。
数学でいうモジュラー形式と同じだ。フェルマーの最終定理を語るに外せないため言葉は知っているが、意味を知らない。理解できない。
こういった難解な用語は、熟達というより、偏愛と才能を併せ持った一握りの人類が理解できるなにかなのかもしれない。
そういえば僕も、主に趣味の話なのだが、「それの何が面白いのか」と聞いてくる人に、その面白さを説明したことがない。
わからないなら結構。わかり合える人とだけ、その話はする。そんな反発心も、ちょっとあるからだ。
難解な語句も、そんなものかもしれない。そう捉えておくと、別にわからなくても気にしなくていいかと、ほどよく諦められている。
では今週はこの辺で。