今日は、「中学校まで成績が良かった子が、なぜか高校でたまに失速する現象」について、今僕が考えている仮説を書いておく。
これは「熟達論」に書いてある話にも似ているのだが、そもそも論、中学と高校の学習は、その性質が全く異なるのに、驚くほどそれに無自覚な人が多い。
これがどういうことかというのは、実はスポーツに置き換えれば、とてもわかり易くなる。
てことで本題は、その具体例から始めていこう。
ルールが変わったことに気付けたらいい。
野球でも、友達同士の遊びで勝つためにはどうすればいいかとかいう話と、少年野球のリーグ戦で優勝するために何をすればいいかという話は、次元がまるで異なるはずだ。
それが高校野球、甲子園を目指す、プロ野球で勝ち残る、あるいは世界を舞台に戦う、という風になると、同じ野球というルールにおいても、その性質は異次元と化す。
中学と高校の勉強においても、これが当てはまる。しかしながら、このことに気付いて修整することができるのは、本当に一握りの生徒達だけだ。
原因について身も蓋も無いことを言うと、中学の勉強は小学校の貯金であったり、あるいは本人のセンス次第で、さして努力をせずともクリアできることがある。
ある種の方法論というより、よくわからんけどたくさん解いたといった脳筋的方法が、だいぶ通用する。そんな印象だ。(これはただの持論だが)
もちろんやり方が大事なのは当然だが、案外我流でも、いわゆる「勉強的なこと」を適当にやっただけでも、意外と中学の間なら成績が伸びる。
だからこそ、勿論両輪としてある種のセンスは必要だが、中学校の勉強は頭を使わず、量さえやっておけば、そこそこの進学校には行けるように僕は感じている。
ところが高校になると、まるでルールが変わる。例えば英語の試験では、和訳スキルはあまり求められておらず、ひたすら長文が読めるかどうかを問われるようになる。
訳の分からないまま、すなわち”頑張って”いればなんとかなるだろう、ということには全くならなくなってきて、ある程度の型の理解と習得がカギになってくる。
例えばそれは、科学的に効果が証明されてる暗記法を意図的に組み込むこともそうだ。つまり、熟達論の言葉を借りれば、「遊」の段階から「型」に移行せねばならない。
口で言うのは簡単だ。しかし現状、さっきも書いたが、それが素直にできる生徒は極めて少ない。それはなぜか色々考えたが、多分成功体験のせいだと感じている。
中学の勉強も、高校受験もうまくいったモデルを捨てるのは、全く持って非合理的だ。なにせ、これまでずっとうまくいっているんだから。
こんな風な観念、もとい成功体験が邪魔をして、今までのモデルを捨てることができないということは、大人になった僕らでも、十分に当てはまる現象だ。
頭でわかっていても、それを捨てるのは難しい。指2本でタイピングをするよりも、10本全てを使って打つ方が早いのに、その練習が億劫なのと似ている。
このジレンマに嵌り込むと、泥沼が待っている。いわゆる”頑張ろうループ”だ。やり方を変えるという発想に行きつかず、ひたすら時間だけ伸ばす、あの感じ。
岩の壁を素手で叩き続けるのに似ている。この場合はもっと頑張る前にハンマーを探してきて装備する方が先だ。しかし、この心の壁は、とてつもなく固い。
では、どうすればこのしがみつきを失くせるのか。実を言うと、ここについては、まだ観察も検証も進んでいない。
しかしぼんやりと思うのが、挫折経験である。やり方を変えてうまくいった人が、そもそも違うやり方を試した理由は、挫折を経験したため、という例が割と多い。
このタイミングで素直に教えを請い、然るべきコーチングを受けられるかどうかってのが、僕はすごく大事だと思う。
だからこそ、テストで点が下がったときほど、生徒へどう声掛けするかによって、はっきりと講師の力量が問われるという風に、僕は感じている。
最近はそんなところにも責任感を覚えるようになっている。もっと頑張れ、なんてのは愚の骨頂だ。
いざ相談を受けた時に、その克服の仕方がわからない、なんてのは論外だ。日頃から学習自体を研究し、自分でも試し、知見を溜め続けねば、あっという間に落第する。
これは前々から記事に書いてる話ではあるが、僕は今、講師というより、本当にコーチとして生徒と接することを心がけている。
だから最近、アスリートや監督が、自分の心技体を観察して得た言葉というのにすごく興味が湧いていて、そこを重点的に学習している。
さて。少し話が逸れたので戻しておくと。中学でうまくいっていたのに高校で挫折する原因というのは、雑に言えば単に我流が通じなくなるから、である。
中学と高校の勉強は、ルールが違う。そのことに気付いていないのか、バイアスによって意識を歪められているのか、その理由は様々だが、とりあえず無自覚だ。
行き詰まったときは、やり方を変えてみる。抵抗があるなら、フルモデルチェンジではなく、一部分だけ変えてみるというのでもいいはずだ。
その話を通すためには、日頃からこちらもネタを収集し、更に信頼関係を構築しておかねばならない。本当に総合力勝負の仕事だなと、つくづく思う。
まだまだ僕もいろんな意味で学びの途上であるので、日々引き続き情報は仕入れていきたい。では、今日はこの辺で。