今日は特定の誰かに苦言を呈するという話ではなく、むしろ自分への戒めとして、一般論をまとめたいというのが狙いである。
僕は自分で言うのもなんだが、とても頑張り屋さんだ。またしても連勤術の最中であり、次のフル休みは2週間ちょっと先まで無いくらいである。
これは人気講師だから仕事がたくさん舞い込むとか、そういう話では全く無い。実情はもっと夢の無い話だ。
仕事をさばくのが下手だとか、他の人がやりたがらないがために進まない仕事を肩代わりするとか、その所以なのだ。
だから利益という意味では割と乏しく、一生懸命働きながらも、ただ時給を安くしているに等しいのである。
この弊害は、実は他にもたくさんある。頑張り過ぎは、別に美談ではない。むしろウザがられている可能性の方が高いだろう。
今日はそんな反省を書き殴る。
頑張っている自分に酔っているじぶんはいないか?
連勤が続くとき、ふと気づくことがある。大変だし、心身共に疲れているはずなのに、悪くないなと思っている自分に、だ。つまり、どこか満足しているのだ。
この世の全ては等価交換で成り立っているとすれば、僕は体力・自由時間を全て仕事に投資することで、何をリターンとして得ているのかを考えると、ある仮説が出てくる。
それは仮初の充足感だ。言葉を選ばずに言えば、休まず働いている自分に酔っているだけなのかもしれない。目的と手段が逆になった、不健康な状態。
【起業家】や【多動力】で読んできたクレイジーで楽しそうな労働が自分もできている!・・どこかで、あの天上人達と自分を同一視する根拠を探しているのだろうか。
そんなもの、自分が天空の勇者の遠戚か何かを願う小学生に等しい。あの人たちは成果のために多忙があったが、僕は働いている”感”のために多忙を置いている。
時折そうやって冷や水をぶっかけて、自分の目を覚ましている。僕は今更何をどう頑張っても、年収1000万円を超えることは無いし、そこに幸せも多分無いだろう。
頑張っている自分に酔っている人が職場にいると、申し訳ないが痛々しさを覚えることもある。それはつまり、僕もどこかでそう覚えられている、と。
俯瞰して自分を観察して、少しでも「多忙悪くない」と思っている節があったのなら、なんとかして目を覚ますよう頑張ることを強くオススメしたい。
同調圧力を発する側だと思われたら終わり。
同調圧力は本当に諸刃の剣だ。例えば勉強するのは当然だ、といった雰囲気が広まれば、それは塾としてとてもありがたいムードになる。
だが、例えば意味もなく終業時間+1は働くのが当然だ、休日は半分返上するのが当然だ、といった同調圧力が広まってくると、とてつもなく厄介である。
その要らぬ圧を受けてどうにも帰り辛い、休みにくいというのはどこの職場でも見かけられる、あるあるの光景なのだと思う。
その被害を受けるだけでもたまったものではないが、もし自分が、その圧力を出す側だったらどうか。恨みを知らぬ間に買いまくり、生産性もひたすらに下げている、と。
頑張っているハズなのに煙たがられる。その理由が、その人が頑張り過ぎるせいで、無駄に組織をブン回して疲弊させてしまうからだとしたら?なんと恐ろしい話である。
ちなみにこの辺を端的に表現・説明した秀逸な記事が存在するので、時間があるときにぜひ読んでみてほしい。(僕が書いたのではない)
ということで今日はこの辺で。