精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

不安と友達になる方法・2024年最新版。

今日は少し逆説的なテーマだが、「不安と友達になる方法」について、自分なりにこれまで考えたこと、実感できていることをまとめておく。

 

僕自身、不安な気持ちが人よりも強いのではないかと思うことが多い。実際、27~28歳の時は、自分が社会不安障害ではないかと思うほどに深刻だったくらいだ。

しかし、最近では、その不安を少しずつ冷静に考えることができるようになり、またそれの働きや必要性について、段々と納得できるようになってきつつある。

 

漫画でよくある、自分の中にもう1つの人格や化け物が同居していて、最初は衝突しつつも最終的には分かり合って仲良くなる、そんな感覚に近いと感じている。

 

今回は、どのようにして僕が持っている強い不安感が、昔と違ってポジティブな意味を持つようになったのか、それをなるべく丁寧に書いていく。

 

 

要るから残った、という前提。

 

結論から言うと、不安という感情がなぜ残っているのかという、そもそもの部分を学んだことが大きい。この部分自体はとても偶発的なものだとは認めるが。

 

感情とは、論理的な意思決定を省き、目先の状況に対して一気に行動へ移すため、人間が進化の中で獲得した認知の一つである。そんな風に僕は知った。

 

それは進化の過程で淘汰されなかったという点で、つまり生存に欠かせないものなのだと考えていい。なぜなら、不要ならば、とっくに淘汰されているためだ。

 

しかし、そう考えたところで、また新たな疑問が生じる。では不安は、どのようにして、生存競争に役立ってきたのか。

 

これの研究はここ最近かなり進んできているらしい。実際に、研究者の書いた本によれば、不安にもきちんと、それが必要である理由があるのだ。

 

不安とはいわば、無意識からの、準備不足の部分に注意を向けろというシグナルであり、曖昧で漠然としたものに対して意識を向けさせるのがその機能なのだという。

 

この考え方を知ると、不安な気持ちに対する見方が変わる。不安を感じた際、「何の準備を怠っているのか?」という問いかけに置換できるようになったのだ。

 

例えば、授業の準備が不十分だったり、面談の資料の用意や、伝えるべき要点が全然整理されていないことが原因で、不安が生じることがほとんどなのだ。

 

そうした不足は、”意識的に”気付くことはとても難しい。風や空気と同じで、”ない”ものを”ある”と考えることは、とてつもなく難度が高い、抽象的な認知なのだ。

 

しかし認知の進化とは本当に驚嘆ものだ。そういった極めて難度が高い認知活動が、既に本能としてプログラミングされているのだから。

 

そう思えば、不安は単なるネガティブな感情で片付けるにはあまりにも勿体ない、ポジティブなシグナルとして捉えられるようになってくる。

 

こんな風に、不安は僕たちにとって、決して悪いことばかりを伝えているわけではない。むしろ、すごくきめ細やかな観察眼を持つコーチのようなものだと言える。

 

ポジティブ至上主義のような主張に中てられて、それを無条件に否定し続けるなんて極めて勿体ない。

 

不安が僕らに届けようとしているメッセージをきちんと復号し、受け入れることこそが、ただ無視するよりも遥かに、心身の健康に良い影響を与えるのではないか。

 

何よりも、転じて建設的な結果を生み出すことにつながると感じている。それはより良い発表かもしれないし、きめ細やかなサービスの構築かもしれない。

 

だからこそ、不安が強い人こそ、逆にそれを利用して、「どんな準備が不足しているのか?」と己に問い直し続けるクセを付けるのが、良いのではないかと思う。

 

過去の自分にも同じことを伝えてあげればと思ってならない。不安はやはり、友達のような存在なのだ。

 

では、今日はこの辺で。

 

 

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