僕は未だにノートが嫌いで、ノート点の存在が早く滅びればいいのにとずっと考えている。
―正確には、『きれいなノート』だけが評価される風土が嫌いという感じだ。
問題の解答を書き殴ったノートは評価されず、色ペンで線がびっしりひかれた、内容の薄いそれはすごく高く評価される。正当な評価ってどこにあるんだろう。
ということで、僕は生徒が通り一遍のノートを書くことには非常にドライだ。綺麗にノートを取ったものを少し誇りに思う感じで見せてきても、
『で、お前はここに書いた内容覚えたの?』
と平気で言ってしまうくらい、自分の中で隠せない信念となってしまっている。しゃーないですなぁ。
書いたからには覚えるべきだし、不要な情報はカットすべきなのだ。そして、できれば自分の言葉で表現してほしい。
―そういうのを口酸っぱく訴え続けた結果、僕の受け持つクラスの生徒のノートが、少しずつ変わってきている。今日はそれをご紹介。
解き方のメモ&解答書き殴り
僕が板書にしたもののうち、数学で言う『公式』に当たるもののみをメモしておき、その下に延々と問題演習を行った解答を書いていく・・・というスタイル。
これは初見の知識のフォーム固めに絶対不可欠な行程であり、無意識かわからないが、実践しているそいつに僕はセンスを感じた。
まぁ、どうしても適当という印象を持たれるだろうから、学校での評価は乏しいのだろうけど・・・。
メモリーツリー
関連する知識をバルーン状に書き出し、線と線でゴリゴリと繋げていくインプット法。
僕が布教しまくった影響か、社会の授業で実践する生徒は非常に多く、かつ知識と知識を繋げて覚えるという感覚が、少しずつできるようになっている。
―ただし、これを知らない人が見たら、意味不明な書き取りにしか見えない。やはり、ノート点は望めない・・・。
キャラクターを活用。
一部の生徒にクソウケるやり方。
僕の好きな本に、『サクサクわかる世界経済の仕組み』というものがある。
これはどういう本かというと、世界史の講師と漫画家がタッグを組み、講師が行った講義を漫画家がミニコミックにし、解説をその都度添える・・という形式だ。
つまり、特に社会の分野においては、絵が得意ならそれをフル活用した方が良いということを説いたところ、熱心にやるコアな信者が少し出てきたのだ。
・・・ただしこれは、『ふざけている』という評価を食らう可能性が大であり、ノート点という観点で言うと、ヘンな話だがグレーとなる。
終わりに。
ということで、隙間時間が15分しかなかったので突貫で書いた記事ではあったが、色々なことを思っていただければ幸いである。
では今日はこの辺で。