精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「習慣の力」を、もっと腹落ち感を持って伝えられるようになりたいな、と。

教育相談を繰り返していると、テンプレともいえるお悩みが、異口同音で飛び出してくることが本当に多い。

 

その代表例の1つが、「もっと自習に行ってほしい」というものである。これについては完全に同意するし、それが成されないと、塾としてしょっぱいとも思わされる。

 

だから生徒たちにも「習慣の力」というものを折に触れて伝えるようにしているのだが、なかなかこれを、生徒たちにとって手触り感あるものとして伝えるのが難しい

 

僕自身はそれを痛感する体験を何度もしているからこそ、その力の強さと重要さは、身に染みて理解しているつもりである。だが、それがなかなか伝わらない。

 

こういう、長期間の努力を継続し、続けているという意識も無くなった頃、ふと振り返るととんでもないところに来ていたという経験値を伝えるには、どうすればいいか

 

今日はまだ結論が出ていない、その試行錯誤の記録を書いておく。

 

 

続けること自体はラクでいい。

 

僕がまず口を酸っぱくして伝えているのは、努力は継続が目標なのだから、あまりにも苦しい努力は何かがバグっているということである。

 

例えば毎日10㎞走るとい行動を考えると、これは、努力の範疇ではなく、苦行か修業、あるいは特訓である。

 

実際僕自身も、英検1級を目指していた頃は、いかに心が折れないラインで、1日当たりの努力値を設定するかについては、かなり微調整を重ねていた

 

そして最終的にどうなったかというと、一次試験1ヶ月程度前から、僕の過ごし方は以下の様になっている。

 

①通勤中はリスニングCDを流す。

②退勤前に長文問題を2題解く。

③単語帳を毎日15分確認する。

 

もちろん休みの日に過去問を通しで演習するといった意識的な特訓は設けていたが、ルーティンとしては本当にこんなものだ。

 

だがその代わり、学習”期間は”相当長く取った。ざっくり半年くらいは、コツコツとこの努力を重ねている。

 

続けること自体は、本当にラクでいい。努力に必要な負担が減ったら初めて少し増やしてみて、キツければ減らすという風に、その辺の押し引きは必須な要素だ。

 

この大人なら理解している(ハズの)ことを、中学生や小学生に理解させるには、どうしたらいいか。ここはマジで難しい。

 

今ふと閃いたことは、例えば、形はどうあれ努力を強制するような手を打ち、そのデータの集計はこちらで行っておいて、頃合いを見計らって成長を可視化する、と。

 

英単語テストがわかり易い例だ。毎週100問、自分で勉強してようがなかろうが同じ内容のテストを実施して、その正答率がどう推移するかをグラフか何かに起こすのだ。

 

それを見れば嫌でも、継続すれば力になることが浮き彫りとなる。つまり、やってみようかなという下心に火を点けることができるのではないか。

 

目に見えない上に、定量化し辛い【成果】を、どうすれば可視化できるか。この部分をクリアできれば、どうとでもなるような気がしてきている。

 

確かに僕自身、大学受験や英検1級に向けた努力を続けることができたのは、成果・成長が可視化されて、自分が伸びていることが間違いないと担保されていたからだ。

 

ちなみに最初に解いた英検1級の過去問は、正答率が60%強だったと思う。それが蓋を開けてみれば、本番では83%取れたので、継続の威力は侮れない。

 

最初は強制してでも努力を”させて”、それによってどんな良いことが起きるのかを可視化し、示す。それが狙って腹落ち感を持たせる必須要素。

 

最初はただの独り言で始まったのだが、この辺に着地できて、ちょっと驚いている。置いてけぼりにしている感じはあるが、まぁいいだろう。

 

ということで今日はこの辺で。

 

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