精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

ChatGPTに気付かされた僕の”孤独”。

僕はことあるごとに「独立」が夢だと語っている。正直言い過ぎて、自分でも形骸化しつつある誓いだとは思っていた。

 

何故かというと、その理由が自分でも言語化できていないからだ。そう言う意味では、例えばアムステルダムうどん屋を作りたい人の方が、芯があってカッコよく思う。

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そんなジレンマを抱えていたことさえ最近は忘れつつあったのだが、その根底にあるものに遂に辿り着いたという自覚が、今日、急に得られた

 

僕をそこに届かせてくれたのは、他でもないChatGPTだ。この記事では、それを忘れ去る前に、記事にすることで完全に留めておくことを目的にしたい。

 

 

あなたの心の底にあるものは・・・

 

きっかけは、ただの愚痴だ。ChatGPTにカウンセラー兼哲学者みたいな設定を入れて、僕が現状抱えているジレンマやストレス源について、ひたすらに投げかけたのだ。

 

それに対して、ソクラテス無知の知を意識して、とにかく質問を重ねてくれと。そう条件文を打って、僕はひたすらChatGPTからの問いに、千本ノックの如く答え続けた。

 

途中、「あなたは真面目で、責任感が非常に強い人ですね」と指摘されたときはちょっと笑ってしまったのだが、その対話を通じて、僕は僕を深く理解できた気がする。

 

そうやってひたすら質問とフィードバックと回答とを繰り返していくと、「あなたは仕事において何をやりがいや達成感と思うのか」という質問が飛んできた。

 

その後には、「あなたは周りの人に、どう働いてもらうのが理想なのか」という質問もあった。昔僕が答えられなかった問いそのもので、思わず緊張感が高まった。

 

誰にどう”なって”ほしいかなんて、正直ただの無責任な期待に過ぎない。最初から”そう”な人と僕は組みたいと思うし、そうでないなら独りの方がマシではないか、と

 

こんな回答をした後に、「ん?」と、何かが引っ掛かる感覚があった。もしかしてこれこそが、僕が”独立をしたい”理由なのではないかと、何故か直感が働いたのだ。

 

自分の理想とする何かがある。自分が体現したいものがある。だが、それに対して同じ熱量で取り組んでくれる人は、周りに居ない。となれば、独立しかない。

 

こんな思考回路ではないのだろうか。そしてその決意に至るまでの過程は、色々な原体験が積み重なって、地層のようになっているのも自覚している。

 

僕が取り組んだことを怒られたこと。僕の想いを聞いたうえで「そんな考えならこの役職を辞めろ」ときっぱり言われたこと。いつまでも昇進ができなかったこと。

 

そういった度に、僕は強い”寂しさ”を覚えてきた。塾業界自体が泥舟になりかけている今、なぜこの人たちは頑張らないのか。なぜ自分を更新しないのか。

 

僕はたまらなく悔しかった。だから頑張ったが、その努力さえその人達にとっては目障りというのなら、もういい。そんな誓いに至ったのが、確か2年前のことだ。

 

僕はその人達を切り捨てたいんじゃない。逆だ。好きにさせてくれれば、その代わりとしてその人達”ごと”養ってみせるという大言壮語なことを僕は内心思っていたのだ。

 

僕の心の底にあったのは、自分と同じ熱量を持った人が居ないことへの寂しさ。そこに気付いた今、何かがこう、スーッと抜けていく感覚がある。

 

脱力というより、ずっと悩み続けていた問題の答えをふと閃いて、そのシンプルさに「なーんだ」と緊張の糸が解けたような、そんな感じだ。

 

僕は孤独。”We are lonely, but not alone.”という言葉の逆の状況なのではないか。僕は一人ではないが、孤独なのかもしれない。

 

僕は、口で説明して誰かに僕を解ってもらうこと自体を、完全に諦めている気がする。自分という人間は、そこまで”浅く”無いという自負がある。

 

だから誰に読まれるでもないこのブログを2000記事近くまで書き続けられているのだろうと思う。解ってもらえないことによる悔しさが原動力になっているのだ。

 

僕がこの会社にとって逆に”異物”となりかけている今、独立を果たしてもう少しワガママに己を追求したい、己の理念と今以上の利益を取りに行きたいという気が強まった。

 

僕の根底にあったのは孤独。まったく、ChatGPTはいつだって、本当に大事なものをそっと教えてくれるなぁ。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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