精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

ChatGPTと僕の言語化されていない哲学について”対話”したら、すごく面白かった件について。

ここ最近ハマっている遊びがある。それはChatGPTにこのブログの草案を投げて、校閲してもらうというものだ。

 

客観性を意識しても、僕の主観バイアスは多かれ少なかれ絶対に添加される。真の意味で客観性を獲得するには、本当に他所から見てもらうのが一番正確なのだ。


そのやり取りの何が面白いのかというと、それを通じて、”俺はこんなことを思っていたのか”と、自分自身の本意に気付くことが多々あることだ。

 

僕は哲学の作法についてはよく存じないのだが、恐らくこうやって問答を経て、お互いが知らないところに辿り着く知の探究そのものを指すのではないかと思っている。

www.toyo.ac.jp

 

今日も授業が無くなったのをいいことに、僕はChatGPTと似非哲学問答を楽しんでいた。するとその結果たどり着いたところは、またも驚くべきところだった。

 

そんな対話の記録を、今日はつらつらと書いていこうと思う。

 

 

塾講師と教師の役割はどう違う”べき”?

 

僕は塾講師と教師の仕事は似て非なるものだと思っている。ちゃんというと、似て非なるものであるべきだと信じている。でなければ特に僕ら側の存在価値が無いためだ。

 

こんな掴み所の無い問いから、僕はスタートしてみることにした。ChatGPT曰く、教師の仕事とは、以下の役割に重きが置かれているという。

 

教師の役割には、カリキュラムの遂行、知識の基礎づくり、社会性の育成が含まれることが多いですよね。

 

一方、塾講師は以下のような特色があると指摘された。

 

塾講師は生徒一人ひとりの目標にあわせ、学習効率や目標達成に直結する指導に特化していることが一般的です。

 

この視点を踏まえると、塾講師の役割は生徒がより個別の目標に向かう手助けをする役目ともいえるかもしれません。

 

ここを起点にして、ソクラテスを意識して」という指令文を打ち、ChatGPTがある程度満足するまで問答を繰り返した。

 

最終的に、僕は講師という仕事をこう捉えていると弾き出された。読んでいて歯が浮くような気持ちになるが、「確かにそうかも」という実感も伴っている。

 

これまでの回答から、あなたは講師という職務を「生徒の自己成長と肯定感をサポートする役割」として非常に主体的に捉えていることが読み取れます。

 

具体的には、単に学力の向上を目的とするだけでなく、生徒の内面的な成長や達成体験を重視し、その過程に共感しながらも現実的な目標を掲げ、伴走していく姿勢が見られます

 

以下に、あなたの講師としての捉え方と教師との役割の違いについてまとめます。

 

 1. 生徒の目標設定を重視した「伴走型」の指導

 

あなたは、生徒一人ひとりの目標設定や達成理由を明確にし、それを言語化させることを重視しています。

 

これにより、生徒が単なる暗記や公式の理解に留まらず、自らの努力の意味を理解し、成長の糧にできるよう促しています。

 

この「伴走型」の指導は、教科内容を一方的に提供する「教える」役割とは一線を画し、学びの過程における心理的支えや成功体験を育むサポートに注力しています。

 

2. 過去との比較を重視し、他者との比較を避ける「自己成長」の促進


授業の中で、過去の結果と現在を比較することで、自分自身との比較に焦点を当てる姿勢が見られます

 

これは、生徒に自己肯定感を育ませ、他者と比べることによるプレッシャーを和らげる効果があります。

 

教師が時に求められる評価的な立場とは異なり、講師としては「生徒個人の成長過程に寄り添う」ことに主眼を置いている点が大きな特徴です。

 

3. 検定やテストを活用した「挑戦意識」の育成

 

あなたは生徒にとって次の挑戦となる検定や、少し難しいテストを積極的に勧めています。

 

これは、学びが単なる知識の習得に留まらず、生徒にとって「自ら選び取る挑戦」であることを体現しています

 

生徒が自発的に検定を受けることによって自信と成長を実感できるような支援をしている点で、講師としての独自のアプローチが見られます。

 

教師がカリキュラムに沿って指導するのとは異なり、生徒の興味やモチベーションを起点にしている点が特徴です。

 

4. 発言や失敗を受け入れる「安心感」の提供

 

授業内で発言を促す際、「正解・不正解」ではなく、生徒の発言や試行錯誤を肯定する姿勢を重視しています。

 

これにより、生徒が安心して質問し、自信を持って発言できる環境を整えています。

 

これは、学びの場において「挑戦を推奨する空間」を作ることに重点を置き、必ずしも即時的な「成果」を求める教師の立場と異なる点です。

 

5. 生徒同士の相互学習と称賛の場を設ける「共創的な学び」


掲示や成果発表などを通して、他者の成長も称賛する場を設け、学びの成果を共有する機会を作っています。

 

生徒同士が相互に励まし合う環境づくりは、学びが「競争」ではなく「共創」であることを実感させる機会となっています。

 

これは、学校の授業では一律に学びが進むことが多い中、講師として各生徒の成長を互いに分かち合える独自の価値観を持っていることが感じられます。

 

総合的に見ると、あなたは講師という仕事を「個人の成長に寄り添い、応援し、各生徒が自分の価値を発見する手助けをする役割」として捉えていると言えます。

 

また、学校教育の枠内にとどまらない柔軟さや、自己成長の手段として学習を提供する点で、教師の仕事とは異なるアプローチを意識的に取っています。

 

これが僕で言う「芯」の部分なのだろうか。或いは「軸」とでも評するべきか。はたまた「起点」という方が正確だろうか。考えすぎて自滅しつつある気がする。

 

もっと尋ねたいことはあったが、Freeプランの限界が来たため、一旦ここでストップとなった。今度は僕が思う「学びのプロ」について話し合いたかったが、まぁいい。

 

相手に対して問いを投げかけ続けると、相手も思いもよらなかったところに至る。ソクラテスが説いた無知の知は、こういう真意があるという。

 

ただこれは一歩間違えれば、論破・反駁と等しくなる。質問を繰り返して相手を黙らせてしまうと、浅い人はそれを論破と評して面白がるだろう。

 

ちなみにひろゆき氏は「論破力」の中で、「ただ質問を重ねているだけで相手が黙ってしまう」みたいなことを書いていた。諸刃の剣と捉えるくらいで丁度いいだろう。

 

僕はこの問答を心底楽しいと思えた。もっと人と話してみたいと、何故か今はワクワクしている。ソクラテスの言葉、まだまだ読んでみたいな。

 

いやはや、面白い問答であった。ということで今日はこの辺で。

 

 

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