『書いて覚えろ』と何度となく言われたものだ。そして、それに従い、あらゆることをノートに書き殴った生徒が評価される。
その神話に抵抗する僕みたいな怠け者は、ネチネチとよく怒られたものだ。そしてその神話は、現代にもまだ色濃く根付いている。
ハッキリ言うが、僕は何でもかんでも『書いて覚えろ』という勉強法は暴論だと考えている。
『鉛筆を持て!紙に書け!それこそ勉強!!』なんて価値観が根強いから、めんどくさがったり、着席して数分後には夢の世界に行ったりするのだ。
ということで今日は、『書いて覚えろ神話』を少しでも砕くべく、愚痴と言う名の提案をつらつらと書き殴ってみる。
果たして『書く』は全てに効果的なのか?
教科書を一生懸命『書き写し』、勉強した感を出す生徒は未だに多い。
その後、充実した様子の彼ら彼女らに、よく僕は以下の様に問う。
『それで、今書いてたこと、ノートを見ずに暗唱できる?』
・・・・・。
きちんと言える生徒もいるが、そちらは極めて少ない例外だ。大抵は書き写しただけなので、知識の定着ができていない。
僕は、『書く』学習が時として意味を持たない理由は、以下の原因にあると感じている。
① 書いて満足してしまう。
② 書く内容が何であれ、非常に時間がかかる。
③ ノートや裏紙を用意する手間が発生する。
―やはり自分が勉強したことは、紙に書くなりして表現したいものだ。その気持ちは分かる。
だが、だからといってきちんと暗記ができるかどうかは、完全なる別の話だ。
書いたら覚えるのなら、授業のノートをきちんととる生徒は、全員超高得点のハズ。でも現実は、割とそうでもない。
また、紙に書くという作業のために費やす時間は、決して軽視できない。
極端な例を挙げる。『憂鬱』という漢字の読みを覚えたいとしよう。
『ゆううつ、ゆううつ、ゆううつ・・・』と愚直に書く生徒。それを数回口ずさむ生徒。
きっと、掛かる時間は雲泥の差だが、得られる結果は同じである。(下手すれば音読した生徒の方が点数が高いかも)
そして、だ。『勉強』でもなんでも、新しい習慣を継続する際に大切なのが、『如何にして取り組む手間を減らすか』である。
そうなれば、席に着き、テキストを開き、ノートを出し・・という作業を要する『書く』勉強は、それに逆行してしまっている。
結果、『勉強はめんどくさいもの!』という考えが染み込み、そこから一歩踏み出すのに難儀する・・という具合だ。
うーん、意外とドロドロした話である。(もちろん効果的な『書く』勉強もあるが、それは後述する)
さて。
それらを踏まえ僕が改めて提案したいのは、『読む』ことを主軸にした学習である。
以下、その理由を述べる。
ナメてはならない『読む』学習。
この3年間で、英検準1級と1級に合格した。もちろん結構な努力をした自負があるが、念押ししておきたいことがある。
それは、『書く』勉強を、誓ってほとんど行っていないということだ。
単語帳は全て音読で覚えた。結果、大抵は書けないのだが、意味が分からないものはあんまりない。
さすがにリーディングは席に着いて集中し読み込んだが、それ以外はほとんど『書いてない』のである。
二次試験の面接に至っては、学習時間の100%が音読だ。当然だが、席には付いていない。
―これはあくまで一個人の例だが、『読む』勉強の効果は計り知れないものがある。
例えば、歴史の語句をいちいち書く前に、問題を読む→答えを言う・・というステップを挟むだけで、点数は跳ね上がるはずだ。
理由は、圧倒的短時間で、試験範囲全てをおさらいできるためだ。『書く』作業は、そこが完成してからだ。
それは難儀する英単語も同じ。読み方さえ知らない英単語を無理に書くより、発音を理解してからの方がスペルを覚えやすい。
『読んで答える』のステップを挟まずに『書く作業』をするのは、さながら下書きと色塗りを同時にしつつ絵を描くのに似ている。効率が極めて悪い。
まずは『読める(言える)レベル』の完成度を確保したうえで、"必要ならば"厳選したうえで『書く』。
僕はこれが、大体の学習の基本だと思えてならない。
一応、『書く』のが効果的な学習もあるですよ。
とはいえ、僕は『書く』ことを全否定しているわけではない。僕だって、時たま書いて学習することもある。
ただ、使いどころを間違えなければいい、という話だ。何でもかんでも書こうとするからちょっと違うよね、ということが言いたい。
例えば、数式を音読しても、まず間違いなく頭には入らないだろう。図形なり式なりをアウトプットしつつでないと、アレは解けないし覚えられない。
また、漢字の書きや英単語のスペル等は、むしろ『書く』ことで一層記憶が定着するとも言われている。
こういうのを暗記しなければならないなら、素直に書く方がベターだと言える。(ただし、言えるようになってからのがラクだとはもっかい言う)
それに、僕が積極的に薦めている『人に説明するつもり学習』も、ノート等に書きだした方が絶対に良い。
覚えることがあったとして、どう覚えるか?どこまで覚えるか?
その線引きさえ間違えなければ、『読む』学習と『書く』学習の良いとこ取りで、より効率的に勉強を進めさせることができると思う。
終わりに。
ということで、今日は2000字以上にわたる愚痴だったが・・。
やはり椅子に座ることを強制され、睡眠魔法をかけられているかのような様相で勉強にかじりつく姿を見るのは、どうにも辛いのだ。
勉強を楽しんでいる生徒ほど、意外と学習スタイルにこだわりが無いものだ。この辺りの価値観、いつか壊れるのを期待しても難しいだろうなぁ。
少なくとも僕の手が届く範囲の世界は、この辺を変えていきたい。強くそう思う。
それでは今日はこの辺で。