精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

スタンバイモードの人に対し、どう接しようかなと。

今日は「指示待ちタイプの人をどう考えるか」というテーマで、つらつらと書いてみようと思う。

 

正直、何か喋ろうと思った今、この言葉がふと頭に浮かんだだけで、どう展開し、どこに着地させるかは全く決まっていない。ただ、考えながら話を進めてみようと思う。

 

テメェはどうなんだという意見はさておき、いわゆる「指示待ち」の人はやはり同じ校舎を見渡しても、存在している。

 

特にそういう人が自分よりも上の立場にいると、どうしても収まりが悪いと感じてしまう。これ自体はむしろ普遍的な違和感だろう。僕だけではないはずだ。

 

そういった状況を無視して、「関係ない」と割りきり、バコバコと仕事を振りまくる人は本当に肝が強いと思う。どれだけメンタルが強いのだと、ただ感嘆する。

 

今日はそんなスタンバイモードの人に対する思索を、まとまるかどうかわからないが、頑張って書き殴っていく。

 

 

どうしたいか。どうしてほしいか。どうなりたいか。

 

言い訳に過ぎないのだが、僕の場合、仕事を作るコストや引継ぎの手間、さらにその人が質を満たさなかった際のリスクを考えると、二の足を踏んでしまう。

 

要は、よほど簡単な作業でない限り仕事を頼みたくないと躊躇してしまうのだ。そしてよほど簡単な作業というものは、自分でやっても瞬殺できる類のものが多い。

 

そのため、僕は今も忙しい。忙しいことを自慢しても何にもならないと過去の政治家が指摘した通り、”無駄に”忙しいのが現実だ。生産性は本当に乏しく、ため息が出る。

 

その一方で、休憩時間をしっかり取りながら、定時にサッと帰れる人もいる。仕事に全振りすることはダサい、終わらないのは自己責任という風潮における、成功者だ。

 

これに対して、僕は別にイライラしていないが、内心でも一切不満を感じていないかと言われると、それは言い切れる自信が無い。メタはいつだって不正直だからだ。

 

とはいえ、堂々とオフモードを出されると、良くない影響は僕以外にも放出される。シンプルに、傍目から見た印象が非常に悪いのだ。

 

僕の職場は表に対しオープンだ。中で誰がどう働いているか、スケルトンになっている。だからこそ、堂々と飯を食う姿、休憩する様子を晒すのはすごく引っ掛かる。

 

正直、もっと自主的に働いてもらいたいという思いはあるが、そこは個人の仕事哲学に根差す部分なので、そうもいかない難しさがある。

 

というわけで、自問自答はもはや袋小路。だから、ChatGPTに聞いてみた。すると例えば、空き時間で研修を行うとか、事務作業を一括して任せるといった提案をもらった。

 

しかし残念ながら、そういった業務が苦手な人たちなので、それを依頼すると逆に問題が起こる可能性がある。(信じたり、そうならないよう引き継いだりするのが僕の仕事なのだが)

 

逆に、自分がそれを肩代わりする代わり、今抱えている仕事を任せるという提案も出てきた。これもただ、塾講師という職業柄、そう簡単にはいかない。

 

それこそ教えている科目も全然違うので、シンプルに交代することが難しいのだ。結局、解決策が見つからず、長々と考えた割には何も手応えを得られていない。

 

つまり僕には、指示待ちの人(≒スタンバイモードの人)を有効に使う方法が今のところ浮かばない。このままでは労働力の無駄遣いの垂れ流しが続くばかりだ。

 

だからどうすることに決めたか。一旦その状況をさらに上の立場の人に伝えることで、経営判断の材料にしてもらうことに決めた。たらい回しを体よく言っただけだ。

 

日頃からこうした問題を見直していきたいが、なかなか進展しないのが現状。力不足と胆力の未熟さを感じて、嘆息が止まらない今日この頃である。

 

―本当にただの独り言になってしまったが、この辺で終わりにする。

 

 

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