今日は時間が無いので、短文。
入試の科目に『小説』がある意味は何なのか、よく生徒から質問される。
入試という響きに、娯楽と言う印象のある小説がマッチしないからだろうか。それか単に、点が取れないことへのいら立ちかもしれない。
だからというワケではないが、『小説』が解けるようになるメリットを、ここに短く書いてみる。
僕が思う、『小説』を『解く』意義。
娯楽としての小説は、語彙力の強化とか、物語に没頭することでストレス解消とか、なんとでもメリットは言える。
だが、『解く』メリットは何なのだろうか?僕はそれについて、
感情や主観を込めずに情報を読み取る能力を鍛える
点にあると感じてならないのだ。
どういうことか、ちょっと例を挙げる。
『ウチの子が、学校の先生にひどく怒られまして・・どうしたらいいでしょうか?』という相談を受けたとする。
これについて、『ムカつく』『辛い』『なんて学校の先生だ!』みたいなことを思った人は、ちょっと危ない。
それらは全部、あなたの印象だ。実際のところは全然わからない。
事実として分かる(正直微妙だけど)ことは、『生徒が先生に怒られたこと』だけである。ひどく、というのもアバウト過ぎる。
理由は?状況は?生徒の様子は?先生の言い分は?
―等々、ぶっちゃけ冷静に目を向けたいのは、こういう『感情』や『主観』を排除した結果出てくる疑問である。
さて。
入試における小説は、あくまで『客観的に』『論理を掴んでいるか』を確認するものなだ。
だからこそ、『感情』や『主観』を込めると、容易に間違うよう罠が張ってあることが大半だ。
『登場人物が泣いている。俺が泣くときは悲しいときだから、こいつも悲しんでいる!』なんて答え方をした生徒が居たら、僕は強めに指導する。
『お前の感情とかマジでどうでもいいから!』だ。ドライな方が、小説の点は取りやすい。
さてさて。
ここでうっすらお気づきかもしれないが、『感情』や『主観』を込めずに情報を読み取る訓練として、入試の小説はまさにうってつけなのだ。
人の気持ちを推察できるようになる、という意義もあるが、それはアニメや映画でも大丈夫だし、そっちの方が視覚でわかる分ラクである。
―ということでまとめとしてもう一度書くと、僕は『小説』の問題を解きまくることで、
感情や主観を込めずに情報を読み取る能力を鍛える
ことが可能になると考えている。
自分勝手な思い込みや感情論が物事を好転させることはない。鍛えておいて損はない能力である。
―それでは今日は、この辺で。