精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

やはり改めて問いたい、『自学ノート』の価値。 ~惰性ならやめちまえ~

GW後まで休校が伸びた今、聞けばぞっとする量の課題が学校から課されているという。(生徒のためなのか対外的な目的のものなのかはさておき)

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僕自身は『やらないよりやった方がマシ』だし、『解くための問題が与えられるのは良いことだ』と考えているため、そこは別に否定しない。

 

だが、主に中学校でしれっと膨大に課される『自学ノート』とやらは解せない。それ、本来の目的に合ってます?

 

―今日はそれについて、私見を書き殴ってみようと思う。

 

まずそもそも『自学ノート』とは何なのかという話だが、生徒から話を聞くと、『各人が好きなことを学び、それをまとめておくためのノート』なのだという。

 

最初に念押ししておきたいが、その『好きなことを学ぶ』という大事な要素を重視し、それさえ入っていれば高く評価するという学校も、もちろんある

 

(『自学』を『評価』というよく考えたらキテレツな構図は、話が面倒になるため今回一旦無視させていただく)

 

だが僕が微妙だなと感じるのは、『自学ノート』の使い方を指定されているパターンだ。具体的な数値は出せないが、体感値としてこのケースは【結構】ある。

 

例えば、漢字練習への使用はNG、主要五科目のテーマを選ぶこと、でも教科書に書いてないことをネットで調べるのはダメ、みたいな・・・・・。

 

・・・・・・・。

 

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もしこういう『ただ埋めることが目的』のものに成り下がっているのならば、いっそその学校では『自学ノート』を廃止するべきだと思う。

 

添削する教師と、それを埋める生徒たち。ここには双方莫大な時間が費やされている。だがもしそれが意味の無い時間というのなら、それはお互いの労力の無駄だ。

 

断言するが、結局この場合は好きでもなければ興味も無いことをイヤイヤ学ばされているも同然だ。勉強嫌いを生みこそすれ、勉強好きを生むことは無いだろうと感じる。

 

ということで乱暴に言い切ってしまうが、以下の要素をもし全て満たしているなら、その『自学ノート』は適当にちゃっちゃと埋めた方がまだ健全かもしれない。

 

① 教科書の説明等の『書写』を求められる

 

② 計算用紙、或いは漢字練習としての使用はNG

 

③ 主要五科目に関するテーマ以外はNG(ついでにネットも非推奨)

 

・・・もっとも、ここまで酷いケースは多分稀だ。大体はもっと融通が利く。

 

ということでここからは、『健全な自学ノートの使い方』について、話を変えようと思う。

 

オススメな『自学ノート』の使い方。

 

①別解のまとめ

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数学の文章題は、大体において解答が複数存在する。一次関数を使って解くのかと思いきや、実は相似でもイケますよ、的な。

 

こういう『引き出し』を作るのを目的として、それらを一ヶ所にまとめるのは、非常に有益だ。

 

ついでに、問題をプリンターか何かでコピーして貼るのがOKなら、課題が一瞬で埋まるというものぐさには嬉しいメリットもある。

 

②『苦手』をまとめる

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自分の英単語帳を読み返していて気付いたが、特定の単語だけやたらとチェックが付いていることがある。

 

それは不思議と覚えられない、特筆するべき弱点だ。こういうのは単語帳に埋もれさせておくのではなく、別にまとめておく方がいい

 

ちなみに、僕は主要五科目全てでこういう穴を持っている。(例えば白状すると、未だに百済新羅高句麗の割り振りを覚えきれていない)

 

そしてこういった『弱点』を、科目関係なくノートにまとめておくと、『苦手』の共通点の発見につながる可能性もある。そこを潰せれば、学力が飛躍する希望もある。

 

余談だが、僕はどうやら『特にイメージがわかないこと』と、『2つ通り以上の説明が浮かばないこと』が覚えられない性質らしい。

 

だからこそ、例えばその英単語で画像検索をかけたり、2冊以上の参考書に目を通したりといった対策を採っている。参考にされたし。

 

③本当に調べたいことを調べる

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かくいう僕も、小4の頃は『自学ノート』という宿題が出されていた。

 

僕は何を思ったか、当時ハマっていた釣りゲームの魚の名前を100種類以上、思い出しながらノートに書いただけのそれを提出したことがある。

 

担任の先生は、それを『本当に好きなんだね!』と素直に感心してくれた。仮に演技だったとしても、僕は認められたというその感覚が嬉しかった。

 

―それが原体験かはわからないが、未だに時たま自分の知識をまとめたり、それを伝えたりというのが好きである。(だからこんなのも書いてるし、職業も塾講師だ)

 

・・・やはり、『勉強が好きになる』ためには『知的好奇心』を刺激するのが大切で、それはこちらから強制することは絶対にできない。

 

都市伝説でも心理学でもゲームの裏技でも将棋の戦術でも、テーマは何でもいい。『知ること』は『楽しいこと』という感覚を持てれば、その子は将来的に絶対強い

 

本でもスマホでもなんでもいいので、知りたいことを調べるツールを提供し、その『学習』の中身は本人に任せる。

 

ある種、『勉強』のスタートはここでは無いかなと、書きながら今感じている。

 

終わりに。

 

ということで改めて話を戻すが、『自学』とは名ばかりで色んなことが制限されている場合は、いっそそれは廃止した方がいい。誰も幸せになっていないからだ。

 

それに近い実例として、去年まである高校において、『授業で教えた通り以外のやり方は認めない』なんてトンデモナイ形式の定期テストがあった。

 

多分その世代の生徒たちは、『暗記』は得意になっただろうが、『応用力』はそうでもないだろうなと思わされる。

 

やはり、『強制』はあればあるほど面白くない。もしも望ましくない行動を減らしたいなら、『ルールづくり』より『システムづくり』が先だと感じる。(この話はこの辺で)

 

さて。

 

ついつい暇なので文字数が伸びてしまったが、同様に手持無沙汰なあなたの暇つぶしになっていれば嬉しい。

 

では今日はこの辺で。

 

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